創世記の2章はまず、
男性を土の物質から作ったことが
記述されています。

神はそこに生命力=息を吹き込んだ、
とあります。

実際、人間は死ぬと土に還ります。

そこで最初の人間、アダムが造られます。

ヘブライ語では「アーダーマー」。
日本語と共通点が多いとされるヘブライ語。
アダムは「頭」の語源とも。

さて、アダムは動物を観察します。
動物たちはつがいになって仲良く暮らしている
様子を見て、寂しく思ったに違いありません。

神もその思いに応え
「人が一人のままでいるのはよくない」
とアダムを一旦眠らせて、あばら骨を一本
取って、それを元に女性を作ります。

美しいパートナーを迎えたアダムは感激します。
「これは女と呼ばれよう、男から取られたのだから」

少し話はそれますが、、ユダヤのことわざに面白いのが。

「男性は、自分から取られたあばら骨を取り戻そうとし、
女性は、自分の元となった男性に帰ろうとする」
男女が惹かれ合う理由。
なかなかの名言(笑)

神はその締めくくりに
「男は父と母を離れて妻に固く付き、二人は一体となる」
と宣言します。

結婚した二人に早々に、夫婦の絆はどんなものよりも強く、
親や他人から干渉されたりするものではない、
という意味だと思います。

知らない他人との結びつきは、結婚という誓いにより
親子関係よりも強固なもの、という認識を神様は求めて
います。マザコンなんてもってのほかでしょう。

創世記で多くの方が引っかかるのが、創造論。

人類は進化から始まった、という見方が普通ですよね。

「神はありや なしや」という議論は無神論者・
創造論者・不可知論者それぞれにあると思いますので
そこは学者様たちで論じていただくステージだと
思います。

自分のような一個人が強要するようなものでは
ないです。

でもなんで、19世紀にダーウィンの進化論が
根付いたんでしょうね。
動植物の造りを言語でうまく説明しきれない。

ガラパゴス諸島の小鳥の亜種を観察して

そこに進化を見出した。

宇宙の始まりも「ビッグ・バン」で破壊的創造。

 

乱暴な言い方すれば、爆発で

精巧な天体ができた、と。なるほど。

進化が事実だとすれば、

犬はどんな種類と交尾しても犬以外には

生まれません。雑種はいくらでもいますが。
今は「ミックス」って言うんですかね。

稀にライオンとヒョウの間に産まれる「レオポン」
も遺伝子が弱く繁殖が難しいとされています。

それは進化ではなくて退化?

化学のドシロウトの文系の自分でも、石や土や水など
の無機物から、生き物を作り出すことは
できない、ぐらいはわかります。

恐らくなんですが、神の存在を認めてしまうと、
自分の生活が神に縛られてしまうことが
イヤなのではないか、ということです。

古来日本人も、自然の神の怒りを鎮めるため、
五穀豊穣を願い、様々な宗教儀式がありました。
儀式(祭り)と生活が一体化していました。

人間はサルから進化した、
進化論はそこから解き放ってくれる、便利な教えです。

ノーベル賞級の学者さんたちが
「進化ですべてが説明できる」と言われれば
そういう気もしてきますね。

なにか神様に拠り所を求めることが恥ずかしい、
宗教に頼る人は心が弱い、という人もいます。
「貧・病・争」に陥っている人の心のスキに入り込むと。

これは戦後教育が、宗教をタブー視してきた

ことや、宗教団体が信者を獲得し、政治に

関与したり、寄付やお布施で幹部が豪華な

生活をしている。


既存の宗教組織が「神様」「教祖様」の

名を借りて信者を食い物にしている、という

現状が日本人を宗教アレルギーにしていると

感じますねえ。

ま、あんまり書くと批判になってしまうので。。
人間と神様の関係って難しいなあ、と感じます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

エデンの園は現在のイラク、ユーフラテス川・チグリス川

源流にあったとされます。

奥のほうに裸の男女が歩いています。想像図。