サッカーワールドカップ北中米大会が始まりました。

 

日本強豪オランダと2-2の引き分けを演じて上々のスタートを切りました。朝TVで見ていましたが、追いつ追われつのなかなかいい試合だったと思います。

 

今大会から、前後半に3分間の給水タイムが必ず入ることになって、そんなのはFIFAのルールにはないことですが、これは明らかにその間にコマーシャルを入れるための言い訳、アメリカンフットボールでは、コマーシャルを入れるために突然試合が止まることが当たり前のようにありますが、それと同じことをサッカーでもやろうという趣旨。いかにもアメリカンスタイルを見せつけるようで私は嫌ですね。

アメリカでサッカーがなかなかに人気が上がらないのは、なかなか試合の途切れないサッカーのゲームスタイルにアメリカ人がなじめないからなのではないでしょうか?

 

出場チームが48と増えたことも今回の特徴です。その結果初出場(キュラソー、カーボ・ヴェルデ、ウズベキスタン、ヨルダン)や久々の出場(ハイチ、DRコンゴ、スコットランド、ノルウェー、オーストリア、イラク)、小国(キュラソー、カーボ・ヴェル、カタール)の出場もありました。いわゆる、アンダードッグと思われる国が意外と健闘している点にも注目したいと思いますね。

例えば、

カナダ(初勝ち点)1-1ボスニア・ヘルツェゴヴィナ

モロッコ(この国はFIFAランク9位で決してアンダードッグではありませんが、対戦相手と相対的に)1-1ブラジル(過去優勝5回)

カタール(今回初めて予選突破)1-1スイス

サウジアラビア1-1ウルグアイ(過去2度優勝の南米の古豪)

エジプト1-1ベルギー(FIFAランク9位)

カーボ・ヴェルデ0-0スペイン(欧州王者、FIFAランク2位)

Cab0 Verde

DRコンゴ(ザイール時代以来52年ぶり出場、初勝ち点)1-1ポルトガル(FIFAランク5位)

ニュージーランド2-2イラン

やはり勝ちきれずいずれも引き分けが精いっぱいとも言えますが、あっぱれとまでは言えなくも健闘といえるでしょう。

 

島嶼国で人口65万人初出場のカーボ・ヴェルデがスペインと引き分けたのは、2018年ロシア大会で人口30万の初出場の島国アイスランドがアルゼンチンと引き分けたのに匹敵する快挙。

 

アジアの韓国、オーストラリアがヨーロッパのチェコ、トルコに勝ったのは日本の引き分け以上のあっぱれ。

 

エクアドル、パラグアイが初戦で敗れ、ブラジル、ウルグアイが引き分けと南米勢に元気がないところが気がかりです。

 

メッシ(アルゼンチン)3点、エムバペ(フランス)、ハーランド(ノルウェー語ボックモールではホーラン)、ケイン(イングランド)各2点と各国のスター選手が順調に得点を挙げているのも序盤の特徴か?

Håland(Norway)

 

とはいえ、まだ初戦がすべて終わっていない段階。これからどうなるか?

 

ここからしばらくはサッカーウォッチャーとしての生活が続きます。

 

 

5月31日(日)コンターサークル-S北海道支部の遠足は、苫小牧市の勇払川源流部のたきを見に行くというミッションでした。

 

松浦武四郎の『丁巳東西蝦夷地理取調日誌第十七巻』「志古津日誌」で武四郎は樽前山南東麓を千歳(シコツ)川(地図1.1)・ママチ川(2)・勇払川(3)・苫小牧川(4)・口無沼(5)とほぼ南北に縦断しています。

その中、勇払川源流部につき。

ソウ

是ユウフのソウと云也。凡高十五六間も有両岸屏風の如し。其処より樹の枝にとりさがり見るに、眩みておそろしき事いわんかたなし。

と記しいています。

 

今の地図で見ると、勇払川の源流部には、3つの滝があります。

①支流(と言っても本流より長い)丸山川の七条大滝(地図2.A)

②本流の丸山遠見の滝(地図2.B)

③支流勇振川の勇振の滝(地図1.C)

地図1.

 

地図2.

 

①七条大滝は8年位前に一度見ているが当時の記憶も記録ほとんどありません。

国道453号線のアより東に、大分水嶺に沿う林道に入る。8年前は林道のゲートは開いていたが、今は閉じていたので歩きました。イ地点で右折、まだ大分水嶺上。ウ地点で林間を西に向かいます。この分岐点には特に標識はないので地図で位置を確認しながら進みます。

しばらくすると丸山川に下る道が始まる。ここには標識があります。きつい下り坂にはロープを渡してあるので安全に下れました。しばらくすると七条大滝に出ます。

 

アより林道を歩く

 

イより右折する

 

ウより下る

 

滝が見えてきた

 

川床に降りられる

 

滝の上部

 

滝の下部

 

滝から戻る

 

歩行の記録

 

②丸山遠見の滝は国道453号線に続いて苫小牧に向かう国道276号線のエより東に林間の小径をオ、カと進みます。記録によればカより踏み分け道をたどって斜面をを下り渓を徒渉して滝に至るとなっていますが、ここで道を失い、滑落の危険もあったため断念しました。

ここは、草が少なく見通しの良い時期に再挑戦したいと思います。

ここから入る(エ地点)

 

自転車道路と交差(オ地点)

 

はじめは快適だった。

 

だんだん怪しくなる(右下は勇払川の谷)

 

ついに道を失い断念(カ地点)

 

歩行の記録

 

 

勇振の滝も時間がなく、断念。

5月17日(日)のコンターサークル-S北海道支部遠足は久々に廃線跡歩きの醍醐味を堪能できた有意義なものでした。参加者は私とオイカワさんの2名。

 

旧天北線については前回詳しく書いたが、大正3(1914)年に旭川と稚内を結ぶ宗谷線が低い分水界を越えて音威子府から延伸し小頓別駅設置。以降浜頓別、鬼志別を経て宗谷線は大正11(1922)年に稚内駅(初代)まで開通。その間に宗谷本線と改称。当時日本領だった南樺太への連絡港・稚内に最初に到達した鉄路であった。よって開通当時は函館から直通の寝台・食堂車付きの列車も走っていた。

 

のちに幌延経由に本線の名を譲った後も、北見線、石北本線(当時:網走本線)野付牛駅が北見駅に改称後天北線と名前を変えこそすれ、廃止となった1989年までグリーン車付きの急行・天北(札幌・稚内間)を走らせ、元幹線のプライドを保っていた。

 

さて、天北線が現役だった時と、現在の地図を下に示す。

国土地理院2万5千分の1地形図 小頓別(昭和47年)

国土地理院2万5千分の1地形図 小頓別(平成25年)

 

国道275号線天北峠手前(音威子府側)の駐車場(A)に車を置いて歩き始めます。私はクマよけスプレーを持参。

前を行くオイカワさん

 

右手に鉄路跡

 

こののち鉄路は国道をアンダークロスしていた。国道の左手にはトンネル入り口がかすかにのぞむ。国道の左側を下り道床あとに降りる(B地点)

 

下ると旧天北線の道床に至る。(C地点)

 

道床あとに降りると、先には天北トンネル(376m)が見えてくる。(D地点)幸いにも(?)ふさがれていない。懐中電灯とスマホの明かりを手に中に進む。

天北隧道入口

内部、レンガの壁面はほとんど崩れてなく、出水もなく歩き易かった。

作業員退避場

しばらく進むと出口が見えてきた

もう過ぎ出口

小頓別側(E地点)に到達

 

トンネルから先は、小頓別川(栄川)に沿って小頓別駅まで下ることになる。

 

天北トンネル以遠はこんな状態が多かった

 

この間には7本に中規模の鉄橋(第七~第一小頓別川橋梁)があり、第一以外は幅30㎝ほどの橋桁のH鋼のみが残されている。それを渡るのは結構スリルがあった。

 

第七小頓別川橋梁 幅は30cm弱 このような橋が7基あった

その銘盤

慎重にわたるオイカワさん

 

この後も橋梁が6つ続くのだが、このあとスマホのバッテリーが切れてしまい、写真は撮れなかった。橋桁から水面まではだいたい3mくらい、私もオイカワさんも高所恐怖症でなかったので無事に通過することができたが、人によっては厳しかったのではないだろうか?

 

藪に覆われた道床が続く

 

道床は笹薮だったり、一部林道として利用されていたりなど様々な状態だったが、小頓別まで歩き通すことができた。

途中にギョウジャニンニクの群落(中央)があって、摘んで家に持ち帰る

 

 

一部はこのように林道化されて歩きやすい

 

なんとか小頓別駅跡まで歩きとおすことができた。

 

小頓別宗谷バスターミナル 札幌発北見枝幸行きも停まる

 

国道沿いにある旧丹波屋旅館

 

トンネルが塞がれずそのまま残って通過できる廃線跡は貴重な存在である。また橋梁群も撤去されず、通行止めの策もなく通過可能なのも希少価値があるだろう。

 

廃止直前の天北線時刻表(JTB1988年10月号)

座席指定の急行列車が直前まで走っていた