「子どもを育てる」という考え方は傲慢だと思う。
私は日々、子どもから学び、子どもに育てていただいている。
もちろん、子どもの成長にとってよくない、その子のくせは叱る。
子どもの成績アップと志望校合格、そして子ども自身の生涯の幸福のために、教育者として、今、何が必要なのかを日々、考える。
その上で、子どもを尊敬し、「子どもから学ぶ」というスタンスは教育者として重要だと思う。
私自身が日々、成長せずして、子どもを成長させる事はできない。
「子どもを育てる」という考え方は傲慢だと思う。
私は日々、子どもから学び、子どもに育てていただいている。
もちろん、子どもの成長にとってよくない、その子のくせは叱る。
子どもの成績アップと志望校合格、そして子ども自身の生涯の幸福のために、教育者として、今、何が必要なのかを日々、考える。
その上で、子どもを尊敬し、「子どもから学ぶ」というスタンスは教育者として重要だと思う。
私自身が日々、成長せずして、子どもを成長させる事はできない。
生徒のお母さまからクッキーをいただいた。
大変、美味だった。
深く感謝している。
仕事とは何なのだろうか?
もちろんお金を稼ぐためのものだ。
だがそれだけでは仕事を続ける事はできない。
仕事には苦しみと共に喜びが伴う。
やりがいが伴う。
仕事を通して誰かのお役に立てること。
頼りにされ、感謝されること。
この仕事について良かったと心から思う。
まず大前提として、人に不幸をもたらす仕事を選んではいけない。
麻薬の売人など、いくら儲かるとしても、もっての他である。
その上で、好きで収入の良い仕事を選ぶのが良いだろう。
心から好きだと思えて楽しめる仕事、自分の才能や能力が生かせる仕事、あるいは社会的ニーズがあって収入の良い仕事である。
それが無理なら、せめて、苦痛でない仕事を選ぶべきであろう。
専門知識と専門技術、そして資格と経験を生かせる仕事も大変良い。
若いうちは自分がどんな仕事を好きか、どんな才能と能力を持っているか、また、社会的にどんなニーズがあるか、わからないものだ。
焦らずに目の前の仕事を、一つ一つ、丁寧に誠実にこなしていくべきだ。
そうすれば自分にぴったりの仕事がおのずと見えてくる。
ビジネスレベルには少し届かないが、英語を勉強していてよかったと思う。
居酒屋でたまたま出会ったアメリカ人の旅人と、英語で簡単なコミュニケーションが取れるのは楽しい。
ツイッターで英字新聞が読めると、日本という国の現状を海外の人々がどう捉えているかも、把握できる。
英語はもともとあまり好きではなかった。
高校受験、大学受験に必要なので、勉強していただけだった。
だが、勉強していくうちに、どんどん英語の便利さに気づき、43歳になった今でも英語の勉強を続けている。
英語ができると将来が大きく開ける。
どの教科も大事だが、教え子に英語の重要性をしっかりと伝えていきたい。
生徒からスープを頂きました。
生徒からの一つ一つの贈り物に、一人一人の心と思いがこもっている。
お金をいただく以上、最優先は成績アップと志望校合格だ。
そこは絶対に死守する。
だがそれだけで終わりたくない。
人生に必要なものは愛と力と多少のお金だ。
学力を中心として、生徒一人一人の人格と実力を徹底的に鍛えたい。
全ては生徒の幸福のために!
42年間、生きてきた中で、自分の無力さと愚かさが身に染みている。
多分、私は他者に対して比較的、優しい人間の部類には入るのだろうが、反面、自分のずるさや弱さもよく知っている。
一見、矛盾するようだが、私は自分自身に対してわりと自信があるほうだ。
私は小さなころからそんなに努力しなくても勉強はよくできたし、リーダーシップもある方だった。
しかし、人生の大きな節目節目の中で、とにかく、いろんな人に守られてきた。
一人きりで乗り越えてこられた事など、なにもない。
自分一人の才能や能力や努力など、高が知れている。
それよりも、人に愛してもらい、人に守ってもらえる人間的魅力と謙虚さの方が重要だと思う。
もちろん、自分自身の才能や能力や努力を軽んじるつもりもない。
私は生徒を、何でも自力で乗り越えていける人間に育てたいとは思わない。
それよりも、ピンチの時にきちんと人から愛され、人から守ってもらえる人間になってほしいと願っている。
そして、人からきちんと守られ、愛される人間は、逆に人がピンチの時に、人に優しくできる人間だと思う。
人に愛され、守ってもらうためには、相手に対して尊敬と感謝の気持ちを持つことと、相手の話をよく聞くことが重要だ。
もちろん、他人の愛情を得るために、自分を押し殺すのはよくない。
他人の愛情と保護がなければなにもできない人間は、立派に自立しているとは言えない。
一人の人間として自立しつつ、いざという時に、他者の愛情と保護をきちんと受けられる人格を磨いておくことが重要だ。
42年間、生きてきて、私はそう思う。
今日、教え子の一人が修学旅行のお土産にクッキーをくれた。
教え子の成績アップ、合格も嬉しいが、こういう出来事も教育者として大変うれしい。
その時いた塾生みんなで、美味しくいただいた。
生徒や保護者から信頼され、感謝され、必要とされること。
そして生徒一人一人が伸びること。
これにまさる教育の喜び、仕事の喜びはない。
言葉を紡ぐのは好きなので、ブログを始めるのが楽しみである。
教育者として、いかに目の前の一人を大切にできるか。
成績アップと志望校合格に徹底してこだわりたい。
そのうえで、教育の目的は生徒の【幸福】である。
幸福という大目的の中に、学力向上や合格といった小目的がある。
教育の小目的には他にも、知性や知恵、人格、家族愛や友情、優しさ、誠実さ、健康、体力、気力、資格、学歴、収入、さらには、趣味や生きがい、コミュニケーション能力、自己管理能力、リーダーシップ、人脈、 進取の気性、知的好奇心、探求心、勇敢さと行動力、忍耐強さ、ユーモア、芸術的感性と創造力、発想力、教養、特技、専門知識や専門技術などがある。
これらの小目的は当然、大目的である幸福の中に含まれるだろう。
大目的と小目的を取り違えてはならない。
どんなに良いことがあろうとも、幸福という大目的に直結しないならば、意味がないのである。
教師として、生徒の幸福にどれだけコミットできるか。
その中で私自身が成長できるのが、この仕事のやりがいであり喜びである。