★神武東征
記紀では、まず大地が神々によって作られ、次にイザナギ・イザナミの男女二神の結合によって、
大小の島々からなる日本列島、とくに西日本の主要な土地が生みだされた。
さらに海の神、山の神、水分(みくまり)の神、木の神、野の神、火の神など、
人間生活に必要なものを司る神々も次々に生まれ、
高天原という所在地不明の土地での神々の生活が続いた。
高天原での神々の生活にも、やがてトラブルがおこり、
天照大神は、天石屋戸(あまのいわやど)にかくれ、高天原は光を失い、
そのこともあって移住先を探すことになり、スサノヲ命によって、出雲が開発される。
シサノヲの子孫に大国主命がでて、記紀ともに出雲神話が展開する。
しかしついに、高天原勢力の圧力によって、大国主命は出雲の支配権をゆずることになる。
高天原から移る唯一の候補が出雲だったのにもかかわらず、
その理由にふれることなく日向が登場する。
天孫ニニギが、主要な神々とともに天降ったのは、出雲ではなく、九州島の日向高千穂峯だった。
日向では、ニニギ、ヒコホホデミ(山幸彦)、ウカヤフキアヘズの三代がつづく。
ウカヤフキアヘズの第四子がイワレ彦(=神武天皇)で、武装船団をひきいてヤマトへの東遷を果たす。
ーーー<伝承も重要な歴史遺産>

考古学資料のなかにも、文物の東進を、おもわせるものは少なくない。
銅鏡重視の傾向は、弥生中期から後期に、北部九州(とくに伊都国)ではじまり、
好まれた銅鏡の種類や同型鏡製作技術をも含め、
古墳時代前期には、ヤマトを含む近畿へと、銅鏡愛好の地域をひろげた。

北部九州勢力の東進を想定すると、
東遷したのは、伊都国に都のあった女王国。
邪馬台国は、晋に遣使した女王台与(とよ)の国。

記紀には、太伯伝承は述べられていないが、
高天原という所在地不明の神々(遠い祖先)のいた土地を創作し、
そこから集団移住ともいうべき天降りを想定したことは、
根底に太伯伝承を知っていたとみてよい。