この時間がさすのは東日本大震災が発生した時刻。
今日で震災から15年。
もう15年たったなんて信じられない気持ち…。
時がたつのって早いですね。
当時を振り返って、今だからこそ言えることってありますよね。
この前弟と3.11の時の話しをしていた時に、弟から「正直、あの時◯◯ちゃん(弟はわたしを姉と呼ばない)死んだと思ってた」って言われたんです。
3.11の時、わたし母が伯母と一緒に参加する予定だったバスツアーに急遽代打で参加してたんですね。
茨城県の偕楽園やかねふく、那珂湊などに行ったんですけど、地震発生時ちょうど那珂湊でお買い物してバスに乗り込んでた時だったんです。
わたしが海側に行くことを知ってたからこその発言ですね。
内陸の人間なので家族みんなが地震=津波、って図式が頭になかったんですけど、テレビで大津波の映像が流れてるの見て焦ったんでしょう。
ましてやわたしがいるのは県外。
すぐに帰ってこれる距離じゃない。
電話も全然つながらない。
父は弟に「とにかく◯◯に電話かけ続けろ」って言ってたらしいのですが、弟は電話をかけながら心の中で『死んでるんだろうな』と思ってたそう。
後から聞いたら、母も誰よりもわたしの安否が気になってたんだそう。
実際に家族と連絡が取れたのが地震発生から3時間以上たってからだったので、安否確認が取れるまではさぞ気を揉んでいたことでしょう。
実のところ、わたしは横揺れがすごいバスの中で『デカい地震だな…長いな…バス倒れたらどうしよう…怖いな…』なんてバスが横転しそうな勢いの揺れに恐怖していただけでした。
それ以外何も思ってなかった。
揺れがおさまった直後『やっと地震終わった…』とホッとしていたら、ツアー参加者の1人の男性の方が大きな声で「津波がくるからいますぐ出発しろ!」って叫んだんですね。
思えば海の近くに住んだことがある方だったのでしょう。
その発言があったからこそいまこうして生きていられるわけなんですが、当時は「え、津波くんの?」って危機感がまったくなかったんですよ。
実際那珂湊は1時間後には津波で水没したらしいんですが、テレビもなくラジオも聞けず、情報が一切入ってこないような状況にいたため何が起こっているのか理解できてなかったんですよね。
地震発生後すぐに郡山に向けてバスが出発したわけですが、たどり着いたのが21時過ぎ。
家に帰れたのが21時30分頃。
そこではじめてテレビの映像を見て驚愕したことを覚えています。
「こんなに大変なことが起きてたんだ…」と。
人間って忘れる生き物だけど、忘れちゃいけないこともありますよね。
雪がちらついて寒い日だったあの日のことは絶対に忘れちゃいけない。
わたしは運良く無事だったけど、犠牲になったたくさんの方のことを忘れちゃいけない。
そして日本が地震大国であることを忘れちゃいけない。
差し迫っている、という大地震が何個もありますからね。
備えも大事だけど、まず家族で万が一が起きた際の連絡手段は話し合っておくこと。
外出していたらどこに避難するのか待ち合わせ場所を決めておくこと。
食べ物や水の備えも大事ですが、まず命あってのことなのでしっかりと身を守るための話し合いや準備をしてください。
もう一度言います。
日本が地震大国だということを忘れないでください。
最後に。
東日本大震災で亡くなった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。