「すべての人に誉められるとき、あなたがたは不幸である。彼らの先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」


「買いかぶり」は買いかぶられる人間を容易に高慢にする

もしある人が、愛のため我々について正当以上に感ずるのを我々が見るなら、我々は容易に名誉を感ずるであろう。すなわち喜びに刺激されるであろう。そして我々は自分について言われている善を容易に信ずるであろう。したがって我々は自分に対する愛のため自分について正当以上に感ずるであろう。言いかえれば、我々は容易に高慢になるであろう。

真に有徳な人は、正義、勇気、節制その他すべての徳を持つのであり、しかもそれらの徳は互いに密接に結び付いていて、どれかひとつが他のものよりも優れているということはありません。それゆえにこれらの徳は、何か悪徳が混じっているがゆえに目立って見える徳(愚直さから生ずる善良さ、恐怖から生ずる信心、絶望から生まれる勇気など)よりもはるかに優れているにもかかわらず、多くの人々からはそれほど称賛を受けないのが普通であります。

名誉に対する欲求はすべての感情をはぐくみかつ強化する慾望である。したがってこの感情は、ほとんど征服できないものである。なぜなら、人間は何らかの感情に囚われている間は必ず名誉欲に囚われているからである。キケロは言う、「最も優れた人々も特に名誉欲には支配される。哲学者は名誉の軽蔑すべきことを記した書物にすら自分の名を署する」


「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は断食しているのを人に見てもらおうとして顔を見苦しくする。しかしあなたが断食するときは、頭に油を塗り、顔を洗いなさい」

人が水を飲むかあるいは何か訓練をするときには(酒やうまい物が欲しいときに水を飲んで鍛練した)、彼はそれをあらゆる人に「私は水を飲む」と言っている。君は水を飲むために水を飲むのか。君よ、水を飲むことが君に有益ならば、飲むがいい。だが、このようなことを不満がっている人たちに対しては黙っているがいい。何?君は正にこれらの人たちに気に入られようとしているのか。