「目には目を、歯には歯をと命じられているが、私は言っておく。悪人に手向かってはならない」
罵られるということは何なのか。石の傍らに立って、それを罵るがいい。すると君は何をすることになるだろうか。もし人が石のように罵言を聞き流すなら、罵る人にはどんな益があるだろうか。
「あなたの持物を奪う人から取り返そうとしてはならない」
なぜ我々は立腹するのか。それは我々から奪い去られる事物を我々が尊重するからである。だから君は君の着物を尊重せぬがいい。そうすれば君は泥棒に腹を立てないであろう。妻の美しさを尊重せぬがいい。そうすれば姦夫に腹を立てないであろう。知るがいい、泥棒や姦夫は君のものの中に場所を占めるのではなく、君の権内にないものの中にあるのだ。もしそれらを君が断念して何でもないと思うならば、更に誰に対して君は腹が立つのか。まあ考えてみたまえ、君は美い着物を持っている。君の隣人は持っていない。君は窓を持っている。そしてその着物に風をあてようとする。その隣人は人間の善とは何であるかを知らないで、それは着物を持つことだと思っている。そのことは君もそう思っているのだ。それで彼はやって来て、それを持っていくのじゃないか。君はいやしんぼうの人々に菓子を見せびらかしておいて自分だけむしゃむしゃ食いながら、彼らがそれを奪うのを欲しないのか。彼らを刺激せぬがいい。窓は持たぬがいい。着物には風をあてぬがいい。
弟子の一人がイエスに言った「お名前を使って悪霊を追い出そうとしている人を見ましたが、私たちに従わないのでやめさせようとしました」。イエスは言った「やめさせてはならない。私の名を使って何かの業を行ない、そのすぐ後で私の悪口は言えまい。私たちに逆らわない人は私たちの味方なのである」