八月は前の戦争に無条件降伏をした月でしたので、改めて、戦争の悲惨さについて考えさせられました。

 その一つは航空機による特攻隊という非道な戦術を考えて実行し多くの若い兵士を犠牲にしたことでした。
 私私が旧制上田中学の2年生のとき、6年先輩の卒業生が甲種予科練に⁺進み、特攻隊に参加し華々しい最後を遂げられたことが大きく報道されました。

 それ以来、特攻攻撃に参加され戦死された皆さんに対する尊敬の気持ちは持ちつづけていました。
 大平洋戦争の前の段階での日中戦争で、爆弾3勇士が爆弾を抱えて敵陣に突入し爆死し友軍の敵陣への突入を成功させたたことが、美談として大きな話題となっていましたが、特攻隊の規模はそれを遥かに越えたものでした。

 この特攻隊戦術をはるかに超える非人間的戦術が人間魚雷だったのです。
従来の魚雷を一人の乗員だけを乗せるように改造して潜水艦から発射し、敵艦に衝突させ爆破させるといもので、 直径がわずか1mあまりの大きさの空間に一人の乗員を乗せたこの人間魚雷は操縦性能は前進のみで、敵艦に衝突できても、できなくても、運命は決まってしまっていました。


 特攻隊の場合には飛行機の故障などで飛行が継続できないときには出発地に戻ることはできたのですが、この場合には、その可能性は全くぜろだったのです。


 この意味で人間魚雷は生来、全く非人間的な過酷な使命を帯びていたのです。
 結果は成功例は皆無に近く、犠牲者ばかりといってよい惨憺たるものです。

 人間魚雷の乗員の遺書も多くはありませんが、涙なくしては読むことができません。