あいとう智佐の部屋

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ようこそ。あいとう智佐です。
これまでの人生で触れ合ってきた動物たちとのこと、日々の暮らしの中で感じたことなどを、気ままに書いていこうと思います。
どうぞ、お気軽に遊びにきてくださいね。

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こんにちは。

あいとう智佐です。

 

歴代わんこの思い出、まずは初代ゴンから綴りたいと思います。

 

ゴンは我が家で初めてお迎えした柴犬です。

ゴンが来た時、私はまだ幼かったので、実のところあまり覚えておらす、気づいたら、ご飯をあげ、お散歩に行っていて、すでに家族の一員という状態でした。

 

当時は犬に対する知識もなく、また、現代ほど情報が簡単に入手できない時代です。

食事は私たちと同じ白いご飯に、味噌汁、時には残ったおかずをトッピングするという、今では考えられないほど粗末なものでした。

また、家族の一員ではありつつも、どちらかというと、「番犬」という役割を期待されており、今ほど人との距離は近くありませんでした。

 

ゴンはとても真面目な性格で、「番犬」として立派にたち振る舞ってくれていました。

私たち家族以外の人に懐くこともなく、誰かが来訪した際には吠えて知らせてくれる、とても頼りになる存在でしたので、幼かった私からすると少し怖い、先輩のような存在でした。

 

そんな真面目なゴンでしたが、私たちとゴンに、大きな事件が起きました。

当時、小学生だった私、兄、そして兄の友人とで、家の敷地内で遊んでいたときのことです。

ゴンをいつもつないでいる場所から、私たちの遊んでいる場所へ連れてきて、リードをそこへつなぎました。

しばらくはみんなで楽しく遊んでいたのですが、そこへ自転車を引いた中年女性が通りかかりました。

すると、ゴンは、突然、敵意丸出しでその女性をめがけて力一杯走り出したのです。

軽く引っかける程度だったリードは簡単に外れ、吠えながら走って行ったゴンは、そのまま女性の足にガブリと、噛みつきました。

一瞬の出来事でした。

私たちは何が起きたのかわからず、流血している女性の足をゴンが咬んだまま離そうとしない光景をただただ見つめることしかできませんでした。

女性の悲鳴に我に返った私たちは、急ぎ駆け寄った兄がどうにかゴンを引き離し、私は手当のためのティッシュや絆創膏を取りに家に駆け込みました。

その後のことは、あまり記憶がありません。

ただ覚えていることは、その日の晩に、両親から、女性のけがは、何針も縫うほど重傷だったと聞かされたこと、

そして、これまで聞いたことのない、深く低い声で

「ゴンは保健所に行かなければならない」

と言われたことです。

その言葉が何を意味するのか、私も兄もよく理解していました。

とんでもないことをしてしまった…重く受け止めることしかできませんでした。

そして、私たちのせいで、人にケガを負わせてしまったこと、ゴンと二度と会えなくなるかもしれないこと、当事者以外の家族にもつらい思いをさせてしまうこと、いろいろなことが一気に押し寄せて、暗く深く落ち込みました。


結局のところ、ゴンはそのまま我が家に居ることができました。

父が先方に必死に謝ってくれたのだと後に姉から聞きました。

 

この事件を通して、犬を飼うことは大きな責任を伴うことを身をもって知ることになりました。

そして、どれだけ慣れた動物であっても、コントロールができなくなると、私たち人は無力さを感じざるを得ないほど、動物の持つ力の強さを思い知らされました。

 

ゴンはその後、フィラリア症で生涯を終えることになります。

まだ8歳位だったと思います。

フィラリアも、現在では予防が当然とされている病気ですが、当時はそこまで知識も認知度もありませんでした。

ゴンのおかしな咳が続き、病院に行ってもよくならないことが気になって、行きつけの獣医さんから別の獣医さんの元に行ったことでようやく発覚したのです。

病院でフィラリア症の症例写真を見た時の衝撃と、これがゴンの中で起きているのかという恐怖と悲しさでいっぱいでした。

 

こうしてゴンは、その生涯をとおして、犬の生態、病気などの基本的な知識のみでなく、「人と動物が一緒に暮らすことの責任の重さ」を教えてくれました。

辛い想い出が多くなってしまいましたが、ゴンとの生活を経て学んだことは、その後の我が家のわんことの向き合い方に全て活かされています。

 

ゴン、つらかったね。苦しかったね。

ゴンをもっとしっかり守ってあげなければならなかったよね。

病気に早く気づいてあげられなくてごめんね。

私たちに、とても大切な経験をさせてくれてありがとう。