漢語における「経済」とは、

「世の中を治め、人民を救う」ことを意味する

経世済民(若しくは経国済民)の略語。とある。

 

数字は嘘つかないと言いますが、

同時に「操作」出来るものでもあります。

数字を出す側が「清い」かどうか。

 

さらに、経済は人の上にあらず。

また、人の上にも人はあらず。

 

命あれば、いつでも社会構造は立て直しが出来る。

人がいなければ、物質的なものも意味がない。

紙幣も紙になる。

 

原点を見失っている社会では

おおよそ、この問題にメスを入れる事さえ

出来ないのではないでしょうか。

 

誰が悪いとか、感染者を忌み嫌うものの様に

言うところも、物質世界での考えから脱却していないのです。

 

現場だけを「切り取る」から「本質」が消える。

 

生かされて、生きている。

自然に恵みを頂けてるから生きている。

 

綺麗事とか科学的ではないと思うかもしれませんが

人が生きていると言う「尊さ」を理解せねば

このコロナに勝つことすら、叶わないと思います。

 

止めるときには一斉に。

そこには色々な悪影響もあるでしょう。

 

そこに己の利のみ通し、そんなのは違う!

と言う思いがあるのなら

それは選ぶべき個人の問題になります。

 

なんのための経済でしょうか?

人が人の為に為すから「経済」が成り立つのでは?

 

今一度、生き方の改革、働き方の改革を

考えながらシフトしていくフェーズじゃないでしょうか。

 

自分の成すことが人に対して

どの様な影響を及ぼすのかを考えていきましょう!!!