急変
3月29日に入院
コロナ禍で、面会が出来なかったので
父の顔を見に行けないのが
悔しかった
先生からは
父の様子を
電話で教えてもらっていて
あまり良い状態ではないと
4月2日に
先生から、今から説明をしたいけど来れますかと連絡があり
兄がお休みだったので母と私と息子と4人で病院へ
炎症の数値が高いので点滴をしているけど
入院時から今日まで
数値が下がっていない
副腎の大きさが20センチ以上ある
こんな大きくなっていて
手術をしたいけど、手術中
心臓がもつか
分からない
腹水がたまっている
肺に影がある これから検査して良性か悪性か調べる
血圧が低く、透析が出来ないので24時間の透析に切り替えている
と、
先生から、かなり厳しい状態と説明を受けました
病室には入れないけど
顔見ていいと言ってもらい
父の顔を見たら説明を受けた直後だったので
涙が止まらなかった
息子は
父に
ジジ頑張ってねって手をふっていて
父の嬉しそうな顔が見れて良かった
6日の日に
先生から母に連絡があり
食事もできなくなってきて
痛みが出始めてきているから鎮痛剤の点滴をして痛みを抑えている状態
腹水も2リットルたまっていて抜いたと
いつ
急変してもおかしくない状況なので
なるべく
父の顔を見に来ていいと言って頂けたので
翌日の
4月7日に
弟と母、私3人で病院へ
父は思っていたよりも、
元気でした
私のお腹も触ってもらい
産まれてくるまで頑張るから大丈夫だよって
俺はまだ死なないからって
笑っていました
そんな姿を見てほっとしていた矢先
先生から
この間の検査結果が出た所と言われ
弟がナースステーションへ行って説明を聞いたら
末期ガンでした
そして8日の午前中に
先生から急変したと連絡が入り
急いで病院へ
着いたときには
点滴で
眠ってる所でした
個室に移動させてくれていたので
家族全員集まれました
数時間して
父が目覚めました
皆が居ることに驚いた顔をしながら
父が
ありがとう、ありがとう、ありがとうって何度も
最後の力を振り絞るように
手を握ると
離さない位の力強さでした
母の顔を見たときは
母の名前を呼んで
ありがとうって言っていました
こちらこそ
ありがとう よく頑張ったね
ずっと頑張ってきたんだからって
皆で号泣でした
痛みが出てきてしまったのか
苦しそうにしていたので
すぐに点滴を入れてもらいました
先生が見に来てくれて
昨日の夜もかなり痛がっていて
腸閉塞にもなっている
身体の中は
もう機能出来ていない
点滴が切れると苦しがるので
このままだと この繰り返しで
本人が一番辛いと
点滴を止めたら
朝方まで
もつかどうかと言われ
泊まる事は出来なかったので
面会時間の20時までいました
帰り際に
先生に
どうしても看取りたいですと言って帰りました
この日は自分の家に帰ってきたけど
いつ、電話が鳴るか
気になって
眠れず
実家に居れば
すぐに病院へ行けると思い
朝方6時すぎに息子を抱えて
タクシーで実家に向かいました
特に病院からの連絡はなかったので
9時頃病院へ
先生が昨日とは
違う点滴にしてくれていました
父は眠っていて
たまに目を空けて、話かけると
目で頷いたりはしていたけど
昨日みたく話をすることは出来ず
朝から夜までその状態でした
10日の日も朝から病院へ
先生も
◯◯さんは強い人だったね
末期癌じゃなかったら
もっと
生きれたよねって
治してあげることが医者なのに
何もしてあげれなくて、、、と涙目にみえました
ペースメーカーが入っているから
心臓は動いている状態でしたが
血圧も下がってきて
心拍も70から一気に0へ
14時50分に
家族に見守れながら息を引き取りました
亡くなる直前に
父の口が動いて
い き た い と言っていました
父は
生前、好きな事をやってきた人生だから
悔いはないと言ってましたが
きっと
お腹の子や
孫の成長は
もっと見たかっただろうなぁって
入院して、約2週間で亡くなるとは
思ってもいなかった
家に帰ってきたかっただろうなぁ
まさか末期癌だったとは思ってもいなかった
痛みに強い父が痛がって
苦しんでる姿を見るのは
辛かった
最期
家族全員で
看取らせてもらえて
優しく寄り添って頂いた
先生や看護師さん達には感謝の気持ちでいっぱいです。
父が入院してから亡くなるまでの記録を
書いたブログで長くなりましたが
読んで下さって
ありがとうございました

病院の先生との再会
3月29日
朝 母から電話があり
父の具合が相当悪く
ケアマネージャーに連絡して
急遽
病院で診てもらえることになりました
実家に認知症の祖母がいるので
祖母を一人には出来ないので
息子を母に預けて私が付き添いで行くことになりました
この日は午前中に透析をしていたので
すでに辛そうでした
病院に着いて
検査をしてもらうと
腹膜炎の可能性が高いってことで
詳しく調べてみることになり
この日に入院になりました
もともと通っていた病院では
なかったのですが今年の2月と3月に足の手術をする為に紹介してもらった病院でした
十数年前に
心臓の手術をして頂いた主治医の先生が
移動になった病院だったのです
2月3月に入院してる時も
先生も覚えてくれてたみたいで
挨拶しに来てくれたと喜んでました
足の手術をしなければ先生と会える事は
なかったので
父は再会出来て
縁を感じてました
その先生が
また主治医になってくれました
看護師の方も数名
先生と一緒に移動になっていたので
父も覚えていて
看護師さん達も覚えてくれていました
父は
喫茶店を45年間経営していました
喫茶店のマスターだったので
印象深かったみたいです
私が幼い頃から
父がサイフォンでコーヒーを淹れて
お客様と楽しそうに会話している姿を見ていて
人を笑顔にする職業って素敵だなって思っていました
私は高校生の時と
数年前にお店をリフォームする話が出て
私は勤めていたのですが会社を辞めて
お店を手伝うことにしました
私の妊娠や
両親も働くのが難しくなってきて
弟夫婦も二人目が欲しいってことで
(辞めた翌月に授かりました)
2年前に
お店は閉店しましたが
父が
まだ元気なうちに
お客様にきちんと挨拶が出来て
惜しまれながら辞めれて
良かったと思います
話がそれてしまい
長くなりましたが
読んで頂いてありがとうございます
続きます
