色々な気持ちを整理するために過去のことを少しずつ書いて行きたいと思います。

 

 

一人っ子の核家族・父公務員母専業主婦・金沢市内の家庭から、

9人の大家族(大姑・舅姑・義兄夫婦子供2・義妹・主人)

商売人の家・未だ光回線が来ない田舎に嫁いで、

今まで育ってきた常識や習慣が全く通用しない生活が始まりました。

義父はワンマンでしたが家族をとても大切に考えている人でした。

【家族】にこだわりすぎて義父の要求は、

義姉や私にはかなりキツイ事も沢山ありました。

 

大きな敷地で(田舎ですから)義兄夫婦は店の二階に

キッチンもお風呂もトイレもある3LDKに住んでいました。

 

私たちは、本家の離れにこれまたキッチンもトイレもお風呂もある

LDKの住まいがありました。

 

義父は「家族は同じ食事をして、同じ風呂に入り、同じトイレに入れて家族だ」と

私たち嫁には、え?と思うようなことを常々言っていました。

ですから、私が嫁に行ったとき義姉はすでに2人子供がいましたが

自分たちの住まいの風呂は使わずに本家のお風呂に入っていました。

 

その頃ミニスーパーは朝7時から夜8時まで営業していましたが

義姉は夕方6時頃から子供と一緒に一番風呂に入り、

そのまま、義兄家族が夕食を済ませます。

義姉は二階に上がります。

 

その他の家族が交代に食事をし

大姑→義妹→義父→義母→義兄→ダー→私の順に風呂に入ります。

 

私にはこのお風呂が辛いものでした。

3人家族だった私には、9人もが入った後のお風呂のお湯が

垢が浮き、モワモワとした汚いお湯に浸かる気持ちになれないのです。

田舎のだっだ広い風呂で、シャワーが水になったりお湯になったり

真冬の寒いとき以外は、風呂には浸からず、

ずっとこの水になったりするシャワーだけを使っていました。

そういう生活を3年しました。

 

下の男の子が生まれて子供が二人になっても

本家のお風呂を使っている(順番は前になった)私を見かねて

実家の父が、義父に「風呂だけは家で入らせてやってください。」と

お願いしてくれて、ようやく自分たちの住んでいる(寝ていた?)

家の風呂を使えるようになりました。

でも、このお風呂を使えるようになったことがまた(苦笑)

なぜか、離れは(以後自宅)水道をつないでくれていなくて

電動ポンプで井戸水をくみ上げて使っていたのですが

この井戸が涸れてしまうのです。

自宅のお風呂を使うまでは、井戸水を使うのはトイレと洗濯だけでしたから(水に少し濁りがあって絶対に飲めそうにはありませんでした)

涸れることも無かったのですが風呂を使うようになって

たまにですが涸れてしまうようになりました。

 

そうすると、トイレが流れない(苦笑)

ですから、バケツを持って本家に水をもらいに行かなくてはならないのです。

これが、足の悪い私にはかなりの負担でした。

主人が「水道つなげて~や~」と義父に言っても

「そんなもんは、毎日毎日井戸が涸れるわけやないのやから繋がんでいい」と取り合ってくれません。

 

この時も実家の父がわざわざ来てくれて義父に頭を下げてくれ

ようやく水道を繋げてもらうことができました。

 

娘のために頭を下げる父。

 

その時父は言いました。

「「今時、水道も繋げんとはどういうことや!!」と怒ることも出来る。

けどな、ワシが頭を下げることで、ちーがみんなに可愛がってもらえればそれでいい。」

「お前がみんなと上手くやって幸せなら、ワシが頭下げることなんてなんでもない。」

父の深くて絶大な愛を感じた出来事でした。

 

この後もあまりの環境の違い生い立ちの違いによって

珍騒動が多々ありました。(追々書いて行きたいと思います)

その度に、私は父や母・ダーの深い愛に支えられ守られて

今日まで来たのです。

誰一人欠けていても私は今こうしてここに居ることは出来なかったでしょう。

 

その、父も母もダーまでもが癌に侵されてしまいました。

 

本当に本当に癌が憎い。

 

どうか、一日も早く癌が消えてしまう薬ができ

癌と闘っている全ての人が幸せになれますようにと願わずにはいられません。

 

つたない文章を読んでくださりありがとうございます。

 

今日も笑顔の溢れる一日になりますように。