しばらくブログを放置してました。

  何から 書こうかな…


  

  幼稚園時代 担任の先生が弾いてくれる

  オルガンに張り付いて、覚えて帰って

  オルガンで 再現して弾いていました。


  そのころの、おうたの伴奏は、

  ドソミソ みたいな 感じのものでした。


  もちろん、楽譜なんて読めない幼稚園児

  音を覚えて 帰ってました。


  そのころから、弾きたくてたまらなかった

  感覚が あったのですね…



       小学校 に入ったころに 仲の良かった友達

  が、習ってるからわたしも 習いたい!

  と、親に頼んで ピアノを買ってもらい、

  叔母の 友達で、音大出たひとがいたので、

  そのひとに お願いしてもらい、教えてもら

  えることになりました!



  考えてみたら、すごいことですよね、

  6歳の子どもが、ピアノやりたい、って

  毎日 親に頼むなんて…


  泣き叫んでました。ピアノ習いたい、と。


 


        続くかどうかも わからないのに、ね。


  でも、あのころ、クラスでも 結構ピアノ

  習ってる子 居ました。


   

  その、最初の先生で、ドレミの 音符から   から、習い、

  バイエルを、頑張ってこなしていきました。


      バイエルも、途中から曲らしくなってくる

  と、楽しくて 楽しくて…

      いっぱい 練習してました。


  まあ、いわゆる、間違えないで弾けるまで

  って感じでした。


  ノーミスで、弾けると まる (合格)を

  もらえたので バイエル時代は 進み

  ました。


  バイエルは、一年生で終わったくらいだった

  かなあ、二年生のころは、ブルグミュラー

  を、やってました。



  小学一年から、三年の途中かな? 二年生

  までだったかな?

  そのころまでは 先生が自宅に来てくれ

  てはったのですが、途中からは、先生の

  お宅にいくことに。


  もう、視力があまりなかったので

  バスの前の 行き先案内 の文字

  もよく見えず

  バス会社を 車体の色で、判断できるときは  よかったけど

  経由地が 違うバスに乗ってしまった

  ときには、家に帰るのにとんでもないところ

  で、降りたときも…




       家からバス停まで、15分くらい歩き、バス

  に 25分くらい乗り、またそこから、かな

  り歩いて 通ってました。


  でも、本人はなんとも思わなかったんで

  すよね、不便だなあ、とも。


  親が 車の免許を持ってなかったし

  お稽古ごとは、自分で行くのが 当たり前

  の時代でした。


  

  話が それましたね。


  わたしは、その先生の生徒さんの中で

  一番 年齢が下で、のちに初めての発表会

  に出たときに 高校生のお姉さんが 

  ベートーベンの 悲愴 など 弾いてたの

  を、かっこいいなあ、と憧れ…

       いつか、弾きたいなと、思いながら、

  子ども時代に チャレンジすることは

  ありませんでした。



  最初の 発表会は、小学二年生で 

  ブルグミュラーの、さよなら を 弾き

  ました。


  あのころ、発表会の選曲がかぶることが

  多くて、ソナチネとか、ブルグミュラー、

  とか 2人くらい弾いてました。


  年齢が 下の子が、先に出番 があり、

  あとから、同じ曲を弾くひとが、焦って

  出だしから、すごい速く弾き始め…

       途中から、えらいことになったり…


      そんなこともありました。



  最初の 先生は、結婚されるとのことで

  ピアノ教室を やめてしまわれ、

  わたしは、四年生あたりで、また先生を

  探すことになりました。



  ちなみに、最初の先生は、声楽科卒のひと

  でした。