神や仏などをじざるを得ない体験

 心臓が止まれば、に血液が行かなくなり、脳細胞には酸素がいかず神経伝達機能を失う。脳死として、肉体の死が決定的になる。意識もそこでの機能から起こる生理的現象であって、途絶えてしまう。

 義理の父の亡くなった後二週間くらいの出来事、私が昼寝をしていた時の事(朝3時間夕方3時間の仕事だった)

 しごとに行かなくてはならない午後2時、寝ていた部屋の閉まっている扉を「コンコンコン」と3回叩く音で起きた。妻がもう起きないと間に合わないからと打った音だと思った。

 だが、妻はあとで聞くとそんな事はしてい無いという。義理母は歩けないので養老

寝ぼけていたにしては、ハッキリその音を覚えている。

 仏教では人は49日死んだ後その場に命として居るという。

 義理母が亡くなって、程なく葬式をした。その式に来てくれた方々への挨拶で、自分は、義理母は、優しい娘を二人育て上げたと発言。そのとき、立っていられない程の力が自分の身体にかかり、その場で倒れそうになった。

その式はそのまま終わり、その1、2週間での出来事。

 毎朝、朝食にバナナを食べるが、ある日、明日の分があるか無いか調べるために冷蔵を開けると、締麗なバナナが一本。あれ、こんな新しいのが買ってあったかと特に疑問に思わず冷蔵庫を閉めた。次の日の朝、そのバナナが無い。手に取ってあると確信したのに。

 自分は、時計にこだわりがある。家の全ての時計は電波時計に買い替えて、1秒のズレも気になってしまう癖がある。しかし、風呂に置いてある時計は、防水で電波時計でなく、当時5分ほど進んでしまっていた。表の蓋を開けて直せばいいが、防水のため意外に手間がかかるので、ほってあった。しかし、休みの午後4時に風呂に入ると、ラジオの時報で気がついた (ラジオも風呂にある)が、長針がピッタリ4時を指している。

 多分、義理母が感謝の気持ちを伝えたかった(葬式での発言を受けて)のでは無いのではないか