石川県小松市で「株式会社凪紗」の代表をしております、吉田と申します。

 

現在は、「行政書士」、「カイロプラクター」、そして「元刑事」という、少し変わった複数の顔を持って活動しています。一見バラバラな職業に見えるかもしれませんが、私の根底にある想いはたった一つです。

 

それは、「関わる方の心も体も『凪(なぎ)』のように穏やかな状態になってほしい」ということ。そして、「すべてにおいて、目の前の人を笑顔にすること」です。


 


 

正義の味方に憧れて、警察官になった

 

実は私、以前は石川県警察の警察官、そして刑事として長年現場に立っていました。子供の頃から「正義の味方」に憧れて就いた、誇りある職業です。しかし、長く職務に就く中で、私の中に一つの大きな葛藤が生まれました。

 

私が接した人々の多くは、テレビドラマに出てくるような根っからの「悪人」ばかりではありませんでした。たまたま法律に触れてしまった方や、弱さゆえに過ちを犯してしまった人たちだったのです。

 

もちろん、警察官として事件を解決に導くことは社会にとって不可欠です。しかし、罪を犯した人を逮捕し、裁きを下す裁判所へと送るプロセスに関わることよりも、そもそも社会からストレスや体の痛みがなくなり、みんなが笑顔でいられる環境を作ること。それこそが、私が本当にやりたかった「正義」なのではないか。そんな違和感を、少しずつ抱くようになっていきました。

 

そんな私が、公務員という安定した立場を手放し、50代で新たな道へ挑戦することになったのには、私の価値観を根本から変えた「3つの大きな出来事」がありました。

 


 

50代で刑事を辞め、起業をした3つの理由

 

1つ目は、東日本大震災での経験です。

当時、石川県警察本部の捜査第一課に勤務していました。「こんな時に、自分も何かできることをやりたい。」と考え、希望して検視部隊の一員になり被災地に派遣されました。 部隊員としての派遣先は、岩手県大船渡市の体育館でした。行ってみると千年に一度と言われたところで目にした風景は、未だに忘れることができません。言葉では言い表すことのできない凄惨な現場でした。被災地は、テレビや映画のセットでしか見たことのない風景で、現実の世界だとは思えないほどでした。そうして、被災された現場にいた時「自分もいつどうなるか分からない。自分らしく後悔のない人生を送るべきではないか。」という風に考えました。



 

2つ目は、両親との別れです。 警察官になって、刑事になって、事件の検挙等で表彰を受けたりすると、祖母や両親が喜んでくれました。そんな事もあったのか「安定した公務員という職業に就いていることで親を安心させてあげることができる。」とどこかで考えていたと思います。その両親が亡くなったことで、公務員として「親を安心させる」という私の中の一つの役割が終わったように感じました。東日本大震災の時から考えていた「これからは、自分のために生きてみよう。」という思い、そして、年齢的にも50代というタイミングは、新しいことに挑戦する「ラストチャンス」だと感じていたこともありました。



 

そして3つ目。私の背中を最後に強く押したのは、妻の健康診断の結果でした。 

妻に子宮癌の疑いがあるという知らせを受けた時、私は頭が真っ白になりました。 最初妻が健康診断で「子宮癌の疑いがある。」という事で、精密検査を受けることになりました。その精密検査の結果で、自分の退職をどうするか決めていました。

というのは、もし検査結果が陽性の場合、妻の看病や妻が無理できない分の家事をやるため、退職しない。陰性の場合、警察官を退職し、自分で独立する。という考えでした。

これが、私が退職と挑戦を決断した最終的な合図となりました。


 


 

心も体も凪の状態に、目の前の人を笑顔に


 

これらの出来事を経て、私は今の活動に行き着きました。

 

「関わる方の心も体も『凪(なぎ)』のように穏やかな状態になってほしい」そして「すべてにおいて、目の前の人を笑顔にしたい」という想いに行きつきました。

 

その結果、冒頭でもお伝えした通り「行政書士」「カイロプラクター」、そして「元刑事」という異色の肩書きを持つ私となりました。

 

カイロプラクティックという予防医学を通じて、今ある痛みを和らげるだけでなく、自然治癒力を高めて将来病気にならない体づくりをサポートする。行政書士として法的な不安を取り除く。そして、元刑事として現場で培ってきた「事実を見極める目」や「危機管理(リスクマネジメント)」の視点を活かして、心からの安心感を提供する。

 

これらはすべて、目の前の人の悩みを取り除き「心も体も凪の状態」を取り戻してもらうための手段にすぎません。

 

その「凪の状態」を作るためには、いろんな方々との関わり、睡眠、運動、食事といった生活環境の改善等いろんな要素が絡み合って、糸が紡がれて薄衣になるように、会社名を「株式会社凪紗(なぎさ)」にしました。

 

かつて刑事として追い求めた「正義」は、今、「目の前の人を笑顔にする」という形に変わりました。

これからも自分らしく、ご縁のあった方々を笑顔にするために全力で尽くしていきたいと思っています。

 

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。 

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