きょう3月23日は、私たちが12年半あまりをいっしょに過ごした最愛の家族 瑠生の一周忌の命日です
9年前、2006年にこのブログに初めて掲載した瑠生の写真。
散歩コースのお気に入りのツクシ畑でごろごろー
やんちゃ具合は私といい勝負。さすが馬力がちがいます
瑠生はどんなに辛く、人と話せないときも、いつだっていっしょにいてくれました
瑠生、
瑠生くん。ルイルイ
るいポチ。るいぽっちゃん
何度言ったかわからない、大好きだよ
私のたいせつな、おとうとよ
瑠生がごはんを食べなくなったと母から連絡があったその日、私は最終の新幹線にとび乗って実家へと戻りました。
息の浅い瑠生のそばで夜を過ごし、生きて、と祈り続けると
翌朝るいは、「散歩行く?」の問いかけに応えるように自分の力で立ち上がり、
ゆっくりでも てく、てく、と屋外へと歩きだしたのです
耳も目ももうほとんど機能していないようでしたが、くんくんと匂いを嗅ぎながら一歩一歩、感触をたしかめるように歩をすすめる瑠生くんを見守りつつ、とても久しぶりに、時間をかけていっしょにお散歩をしたのでした。
それからの数日間で瑠生は、病院での注射も効いたのか、みるみる回復してゆきました。
東京へ戻らなければならなかった私は、あたたかな瑠生の身体を抱きしめられるのもこれが最期かもしれない、戻ってすぐに瑠生がしんでしまってもしばらくは駆けつけられないと自分に言い聞かせながら、実家をあとにしました。
その約2週間後、家族や親戚に瑠生の寿命がちかいことを伝え、ひととおり挨拶をすませた頃
我が家で母と姉に見守られ、瑠生は息をひきとりました。
瑠生くん ありがとう あいしてるよ だいすきだよ
家族になってくれてありがとう たくさんの思い出をありがとう
最後にいっしょに見たこの朝焼けを、私はずっと忘れないでしょう。
何度言ったかわからない、大好きだよ
私のたいせつな、おとうとよ
瑠生がごはんを食べなくなったと母から連絡があったその日、私は最終の新幹線にとび乗って実家へと戻りました。
息の浅い瑠生のそばで夜を過ごし、生きて、と祈り続けると
翌朝るいは、「散歩行く?」の問いかけに応えるように自分の力で立ち上がり、
ゆっくりでも てく、てく、と屋外へと歩きだしたのです
耳も目ももうほとんど機能していないようでしたが、くんくんと匂いを嗅ぎながら一歩一歩、感触をたしかめるように歩をすすめる瑠生くんを見守りつつ、とても久しぶりに、時間をかけていっしょにお散歩をしたのでした。
それからの数日間で瑠生は、病院での注射も効いたのか、みるみる回復してゆきました。
東京へ戻らなければならなかった私は、あたたかな瑠生の身体を抱きしめられるのもこれが最期かもしれない、戻ってすぐに瑠生がしんでしまってもしばらくは駆けつけられないと自分に言い聞かせながら、実家をあとにしました。
その約2週間後、家族や親戚に瑠生の寿命がちかいことを伝え、ひととおり挨拶をすませた頃
我が家で母と姉に見守られ、瑠生は息をひきとりました。
瑠生くん ありがとう あいしてるよ だいすきだよ
家族になってくれてありがとう たくさんの思い出をありがとう
最後にいっしょに見たこの朝焼けを、私はずっと忘れないでしょう。
大好きな瑠生
まだ手を合わせに行けていなくて、ごめんね
一年もたってしまったね
きみのぶんまで生きるから
どんなにくるしくても生きるから どうか見守っていてください
ずっとずっと 家族だよ
いつかまたきみのお日様のにおいのもふもふに埋もれられる日を夢見て






