Taiki Kobayashiさんの動画「Why People Hate Vegans | ヴィーガンが嫌われる理由」。
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ヴィーガンていうのは嫌われてます。
なんで嫌われてるかっていうのを研究者たちが研究するくらい嫌われてるんです。
今日はその理由について話したいと思います。
その理由を話す前に、ベジタリアンとヴィーガンがどのくらい嫌われてるかっていうのを調べた研究があるんですよ。
LGBTQAとか、黒人の人たち、偏見をもたれやすい、悪い印象をもたれやすい人たちと、
ヴィーガンと、ベジタリアンと、あと麻薬中毒者。
その人たちにどのくらい悪い印象を持っているのかっていうのを調べた研究があるんですね。
その研究で分かったのが、ヴィーガンとベジタリアンは、
麻薬中毒者以外、その人たちを覗いた人たちよりも嫌われてるってことが分かったんです。
で、皆さん人種差別と性差別って悪いことじゃないですか。
でもこの研究ではね、ヴィーガンへの差別っていうのは、その人種差別とか性差別ほど悪いことじゃないよね。
結構当たり前だよねっていう受け入れ方をされてるらしいです。
この研究で1番嫌われてるタイプのヴィーガンの人が、倫理的な観点でヴィーガンになった人たち、
つまり動物を殺したくない、健康とか気候変動とかそういうことではなくて、動物の倫理のためにヴィーガンになった人たちが1番嫌われてるらしいんです。
なんで動物を傷つけることには反対してる人がほとんどの世界で、
動物を守りたいっていう人たちがこんなに嫌われてるのかっていうのはめっちゃ面白いなって研究者の間でなってるらしいんですよ。
で、ある社会心理学者は、
ヴィーガンへのマイナスなイメージっていうのは、ヴィーガンの人たちそのものに対してのマイナスのイメージではなくて、
ヴィーガンの人たちが雑食の人たちに引き起こさせるイメージ、それが原因になって嫌われてるっていうんです。
どういうことかって言うと、この世界で動物性を食べる時にノンヴィーガンの人たちっていうのは、
動物を食べてるって考えて食べる人っていうのは少ないんですよね。
肉をみんな食べるから食べるし、牛乳をみんな飲むから飲みますと。
だけどそこに、ヴィーガンっていう動物性を食べない、動物性を使わない、さらにそれは倫理的な理由でしないっていう人たちがいることによって、
そのノンヴィーガンの人たちは食べること、買うことに関してちょっと考えるようになるんですよね。
で、その中で自分の倫理感とのミスマッチ、倫理感と自分のしている行動のミスマッチが起きて、それでちょっと居心地が悪くなったりするわけなんですよ。
このミスマッチっていうのをミートパラドックスって言います。
で、そのミートパラドックスの根底には、認知的不和っていうのが起きていると、
社会心理学者ハンクロースゲルバーさんは言ってます。
認知的不和っていうのは、自分の信じてる価値観と行動がミスマッチを起こして引き起こされる不快感のことです.
例えば肉を食べるけど、自分は動物に虐待に反対ですと。
それをヴィーガンの人たが存在することに、ストレスが起きるわけなんですよね。
で、そのストレスをどうやって発散するのかっていうのが、
ヴィーガンになるか、動物を食べることを正当化する理由を言うんですよね。
それかヴィーガンを攻撃するかになるわけなんですよ。
だからそれで、植物も生きてるやんとか、タンパク質不足なるやんみたいな話になるんですよ。
だけどね、それは自然なことなんですよ。
人間は今まで肉食べてきたし、変化っていうのは人間がすごく嫌うことです。
だけど、そこにヴィーガンっていう、動物タンパク質なかったら生きられへんって思ってたのに、それを無しで生きてる人たちがいることによって不快感が生まれるわけなんですよ。
モヤモヤが生まれるわけなんですよ。
人間ってね、みんな自分はいい人やって思いたいんですよ、基本的にね。
だけど、ヴィーガンの人たちがいることによって肉を食べること、動物虐待、それがつながるわけなんですよね。
で、そん中で、「いやでも待って、俺は良いやつや。」
良い人間像から今の自分っていうのは遠ざかってしまうわけなんですよ。
だから、それでイライラしてヴィーガンが嫌いっってなるんですよ。
だけど面白いことに、ヴィーガンもノンヴィーガンも同じ倫理感を持ってるんです。
両方動物を傷つけたくない、同じ倫理感だからこそノンヴィーガンの人に起きてしまう認知的不協和っていうのがあるわけですよ。
価値観に沿った行き方をして、ヴィーガンになるっていうのが多分一番楽なんですけど、
それをせずに他のアンチヴィーガンの人たちのコメントを見て満足したりとか、ヴィーガンを攻撃したりとか、
それで肉を食べること正当化して、自分は良いやつなんだっていうことを思いたい。
そういう人たちがノンヴィーガンのままま、アンチヴィーガンなったりするわけなんです。
あと、ヴィーガンていうのは個人的な倫理感に対して脅威になるし、
もっと大きいもの、文化とか伝統に対しても脅威になるって言われてます。
"symbolic threat"って言われるんですけど、それは日本語で象徴的脅威みたいな意味になりますと。
社会的に当たり前って言われてるものに疑問を抱くようになります。
そうすることによって、やっぱり意見の衝突っていうのはいっぱい現れます。
で、ある研究によると、自分と肉食というアイデンティティ、
この結びつきが強ければ強いほど、ヴィーガンが脅威に感じるっていう研究もあります。
でも面白いことに、ある研究では雑食の人がヴィーガンに対して、必ずしもネガティブなイメージを持ってるとは限らないらしいです。
ポジティブなイメージで言われるのが、優しい、共感能力が高い、ひたむき、色々上げられますと。
ただネガティブなイメージ、鬱陶しいとか、お高いとか、批判的、
そのネガティブなイメージが強すぎて、結果的にネガティブなイメージが勝っちゃって、ネガティブに捉える人が多いらしいです。
じゃあ、なんでヴィーガンっていうのはこんなネガティブなイメージ持たれるの。
1番の理由としては、ヴィーガンの人は他の人たちを見下してますと。
で、実際にヴィーガンの人達ていうのは、ベジタリアンの人とかヴィーガンじゃない人たちを見下してて、
倫理でやってるヴィーガンの人たちっていうのは、健康でヴィーガン食を食べてる人たち、その人たちも見下してるいう研究があるんです。
これはもちろんヴィーガンの人全員が見下してるわけじゃないんですけど、
雑食の人からすると、肉食べてて倫理感に沿えてない俺たちを見下してるんやろヴィーガンめ、みたいな感じの考え方をしてる可能性が高いんですね。
これは心理学用語で"anticipated moral reproach"、予期された倫理非難みたいな言い方をするんですけど、
僕が例えば、ヴィーガンの人ですけど、ヴィーガンじゃない人たちを見下してなかったとしても、
その周りにいるノンヴィーガンの人たちが、俺がその人たちを見下してるって勝手に思って攻撃する。
そういうことが起きてしまうらしいです。
ジュリアミンソン氏の研究で、雑食の人に、ベジタリアンの人たちにどう思われてんのかな、見下されてるんちゃうかな、
どう思われてるか、それを想像してもらうって実験をしたんですけど、
その実験をした後に、その雑食の人たちはベジタリアンの人たちに、ネガティブなイメージを持つことになりました。
このベジタリアンの場合でも、ヴィーガンの場合でもそうでした。
で、このヴィーガンの人が逆に、雑食の人たちにどう思われてるのかなっていう想像をまたしたらしいんですよ。
で、その後にまたヴィーガンの人たちに雑食の人たちのイメージを聞いたら、ネガティブになってました。
ちょっと閉鎖的になってたというか。
つまりですよ。
僕たちは別に、そういうヴィーガンのことを伝えるとかせずとも、お互いに見下されてるんちゃうかって考えちゃうから対立が起きてしまうわけなんですよ。
言葉をかわさずに対立が起きてしまうらしいです。
さっきも言うた通り、この対立の根本的な理由っていうのは、
ノンヴィーガンやろうがヴィーガンやろうが、動物を傷つけたくないっていう倫理感、これが共通して持ってるっていうのがあげられますと。
社会心理学者のハンクロスゲルバーさんは、この対立の理由、ノンヴィーガン、ヴィーガンの対立の理由を探ることによって、もっといい関係が築けるんじゃないのかっていうことを提唱してます。
また別の研究では、ノンヴィーガンとベジタリアンに、ヴィーガンになるためにはどうしたらいいのかって聞くと、
家族や友人のサポートが必要っていうこと答えたらしいです。
その中に人類がもっと視野を広げて、ヴィーガンが受け入れられやすい社会、それを作っていく必要があるんじゃないかっていう答えもありました。
ヴィーガンに対する偏見を捨てて、もっとヴィーガンが受け入れやすい社会、
それをすることによってヴィーガンとノンヴィーガンっていうのは、すごく分かり合えるというか、幸せに暮らせる。
ノンヴィーガンの人は、そういうヴィーガンが受け入れられやすい社会になったらヴィーガンになってくれるっていうことが理想なのかなっていうのが僕の感想です。
****************引用終***************
ヴィーガンが嫌われる理由について、色々な研究結果を動画で紹介されています。
個人的には思っていた通りの結果でした。
簡単に言うと、動物を傷つけたくないという倫理観と、自分が傷つけているという矛盾が不快に感じる。
自分は良い人でありたいのにそのイメージが保てない。負い目を感じて、見下されている気がする。自分の利益を守りたい人が、危機感を感じる。
だから、子供には動物タンパク質が必要だからとか、植物も命だからとか、仕方がなくやってることなんだと言ったり、
相手を攻撃して、多数派の自分達はまともなんだ、あいつらは頭がおかしいんだと言ったりして、自己を正当化してしまうわけですね。
ちなみに、子供には動物タンパク質が必要 ⇒ 嘘です。
一時、ひろゆきがこの嘘を垂れ流していましたが、
私のブログで、生まれながらにしてヴィーガンの日本人の子を何度か紹介しています。
こないだYoutubeで言ってましたが、普通に健康どころか、産まれてから一度も風邪を引いたことがないって言ってましたよ。
ヨーロッパなんかになると、生まれながらにヴィーガンの人は山ほどいるでしょう。
今後は日本でもどんどん出てくるでしょう。
苦痛の話をしているのに、植物も命だとか、正気を失っているとしか思えないことを大の大人が平気で言います。
↑こちらに、中国人が生きたまま猫の手足を切断した画像ありますが、
動物と植物が同じだと主張する人は、これが植物を切ることと同じということでいいですか?
人間は頻繁に「認知的不協和」という状態に陥ることがあります。
自分の思考と行動に矛盾がある時に生じる不快感を、心理学用語で認知的不協和といいます。
この不快感を解消するために、人間が行う行動は2種類あります。
自分の思考に合うように行動を変化させる または 正当化して今の行動を続ける です。
よく使われるのはタバコの例ですが、
喫煙者は「タバコは体に悪い」と認識していながら、それでも「タバコを吸う」という行動をしている人が多くいます。
「タバコを吸うことでストレス解消になる」というように認知を変化させ、認知的不協和から生じる不快感を軽減させます。
行動を変化させる方が良いに決まってるのですが、人間は変化を嫌い、欲に抗えない人は多いものです。
それが強烈な欲になればなるほど、変化は難しく、正当化の方向に走ります。
どんなものであれ言い訳の材料を見つける事はできますので、正当化の方が簡単です。
動物虐待に反している人が、動物を食べることに不快感や罪悪感が生じた場合で言えば、
動物を食べるのをやめる または
植物も生き物、人間は何かしらの生き物を食べなければ生きていけないから、動物を食べるのは仕方がない
太古の昔から人間は肉を食べて生きてきたのだから、肉を食べることは自然なのだ
などという感じで、自分の中で正当化し食べ続けるのです。
残念ながら、味という欲は強烈ですので、大半の人は後者です。
だから動物問題を発信している人や、ときにはヴィーガンと名乗っただけで、一度解消した不快感が再び呼び起こされるのを恐れ、防衛本能で強く反発します。
とはいえ、これは本能ですからどうしようもないでしょうね。
結局、不特定多数に向けて発信する以上は、不快感を与えずにやるのは不可能です。
↑漫画「ダーウィン事変」より。
不快感を与えれば嫌われるのは必至。
つまり、嫌われる覚悟を持ってやるしかないということです。
変わる人は変わります。
ごくわずかですが、言い訳をせずに自分に原因を向けられる行動力のある人はいます。
その人に向けて、コツコツと発信を続けていくのみですね。
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