長いこと

本当に長い間 このブログを書かない時間

個人的に色々あり

楽しいことも

悲しいことも

嬉しい出会いも

絶望も

さまざまな思いや経験をして

ようやくまた 少しずつ書いていこうかな…、という気に。

それは 四年前に癌が発覚した母の闘病につきそい、
コロナ禍で在宅勤務をしながら、途中から在宅介護も加わり
沢山の医療関係者、友人達、母の親友達や仕事仲間。
それらの方々に支えられ、最期 自宅で母を看取るまで
私にとっての最優先時効は母だったからだ。

母が本当に具合が悪くなり最後の10日間を迎えるまでは、
毎日笑いが絶えなかった我が家。

最後の何ヶ月かは私も仕事を辞め 母に寄り添う生活になった。
毎日ブログに書くような面白い日常が展開していたのだけど、書く時間さえ母と一緒にいたかった。

何人かからは仕事があるのだから、お母さんを施設に入れてはどうか、
そんな事も言われたが、母が私に迷惑だとは思うけど病院には戻りたくないと言ったこと。

そして、コロナ禍で施設に入ったら もう直接母に会えないだろう。
私自身が母のそばにいたく、妹ですら そろそろホスピスに入る準備をしないと、
と言い出しても痛みが全く出なかった為、母の望みを叶えたかった。

幸いそれは叶えられたけど、未だにもっと早く仕事を辞めて
一人の時間をなくしてあげれば良かった、とか
なんであの時ああしたのだろう、など後悔が尽きない。

先日、母の幼馴染のおばさま方と話す事があり、
未だに辛いと話したらもうそれは考えちゃダメ。
お母さんは、いつもあなたに良くしてもらって幸せだと話していたのだから。と、慰められた。

お二人とも、暫く前に旦那様を見送り、お一人の方は息子さんも亡くされていた。
芸能人でもないのに増上寺で社葬が執り行われたと聞いたので、
若くして大企業の重役をしていて まだまだこれからという時に病気で他界されたらしい。

そのおばさまからは、母の手術や抗がん治療中、私が寂しくないように
頻繁に電話をもらい、いつだったか「おばさまは後悔がなかったのですか?」と
尋ねたら「ないわ。確かに亡くなった後は色々思ったけど、
これ以上出来ないくらい夫に尽くしたし。
息子もお嫁さんはいたけど 彼に対しても精一杯看病したから!」と、言い切られた。

それを聞いた時から、私もそう言えるくらいやりきろうと決心。

話はそれるけど、私には歳の離れた妹分の介護仲間がいて。
彼女の母親と私の母が親友だったことから実の妹以上に互いを慰め合う間柄に。

先日、その彼女から母親が突然倒れ植物人間状態だと知らされた。
彼女は、県庁所在地ではあるけれど市の郊外にいるせいか、
母親がその状態だと知った近所の人達から「どうせ母ちゃんがいなくなったら
あんたも居なくなるだろうし。」と言われ
広い庭園にある灯籠や、石などくれと言い出されてまいってる、とこぼされた。

普段から彼女のご近所さん達の振る舞いに 聞いてるだけで腹が立ち
大人しい妹分に代わり、私がキッパリ「もう勝手に家に上がったり、
うちに干渉するのはやめてくれ!」と話すわ と息巻く事が度々。

先日、前述のおばさまに妹分の話をし、今度のまとまった休みに
彼女の家に行き、うるさい連中を追い払いたいと話したら笑われた。
煩わしいのは確かだけど、ご近所さんには いつか何かでお世話になることも
あるのだから、あんまり邪険にしてはダメよ。
と、諭され
(あー。なんかお母さんと話してるみたい。よく怒る私に そうは言ってもね、と、宥めていたっけ。)

母がいなくなり、人の出入りが多かった我が家も暫くして鎮まりかえったら、
ご近所さんたちが母親がわりとして、ちょくちょく気にかけてくれ、
庭の草むしりを勝手にやってくれたり。

まあ 色々と走ってきた疲れがどっときたのか、コロナに罹り、
重症化して入院したり 帯状疱疹になったりと、静かに波瀾万丈な日々で。

新たに勤め始めた会社は、人間関係のストレスがなく、
仕事はハードだけどなんとかこなす毎日。

こうやって 周りに支えられ 日々やりくりしています。


ブログを書こうと思ったきっかけは、先日行ったシユンのライブ。

ライブに行った日に書きアップしようとしたら、いきなり消してしまい「あー!」

何年もブログをご無沙汰していたら、エクセルのようなやり直し機能がないのを忘れていた。

なので

今週中にでも、できる範囲でアップしたく。


今日も 良い日でありますように。