フラクタル心理学の考え方では、というか真実は、確かに自分が起点になっていて、わがままな自分やいじわるな自分が心の中にいるからこそ、そういう目に自分があうわけなんですけど。

だからと言って、自分に対して失礼なことをした人やいじわるをしてきた人のことを「許す」必要なんて全くないんですよね。(泣き寝入りしなくてもいいということ)

けど、確かにそう先生に言われて、自分に対して酷いことをした相手を許すような態度を結果的に取って来てしまった自分がいるなと自覚して、しかもそういう記憶がうじゃうじゃと出てきてしまいました。(落ちる・・・)

一緒に講座を受講していた方にも「それは自分自身に対して失礼な態度!」と言ってもらえて、最初は脳が混乱状態だったのですが、段々と整理がついて理解することが出来るようになってきました。

愛のあるお言葉、ほんとに、ありがとうございました<m(__)m>

傲慢な人が周りにいるということは、確かに自分には傲慢な部分がある。

自分の中の傲慢を消すために自分に厳しくする。

にも関わらず、同時にその傲慢さ(投影された外側の人)を許す自分がいる。

だから、なくならない。

どんなに自分の中にいる傲慢を修正しても、同時に周りに投影された傲慢な人を許していたら、現象は消えてくれない・・・。ということ。

相手を許さなくてもいいし、無理にいい人だったなんて思わなくていいということ。

要するに、自分も美化しちゃいけないけれど、相手のことも美化しない!

「優しい」は美化。

単に「甘い」だけ。

相手を甘やかしても、それは本当に相手のためにはならない。(つまり愛がない態度)

私の場合は特にそれが男性に対して顕著なので、結局ダメンズが現実化するのを許すことになる。

こんな単純なことも、自分のことだと気が付けないので不思議です。

傲慢な人が沢山いるのだから、自分は余程傲慢なんだなと思ってひたすら修正するんだけど、「自分のせいだ」と思い過ぎて、同時に周りに投影されている人を許してしまうもんだから、その修正を打ち消してしまうんですよ。(怖いですね!!!)

そして、すでに頑張っているチャイルド、我慢しているチャイルドに向かって「もっと頑張れ!もっと我慢しろ!」をやり続ける・・・。絶対間違ってますね、はい。

チャイルドにも色んなやつがいるんです。(※いい子もいっぱいいる)

間違ったターゲットに修正文を読んでも意味がない。

要するに、私に対して酷いことをした人、酷い言葉を言った人のこと、
それを投影する元になっているチャイルドのことを、(つまり内側も外側も両方)

「私は絶対に許さない!!!!」

これで、OKです。

(毎日アファメーションしようかな)

先生が言うには、普通の人は別にそんなことを意識して思わなくても、出来るんだそうです。

この回路が、あまりないみたいです。

だから、もしかしたら多くの方にはあまり参考にならないかもしれません。

でも、私に近い深層意識の方には響くものがあるのではないかしら?と思って、記事にしてみました。

必要な方に届きますように。