Cross-Border どこまでもあるがまま

Cross-Border どこまでもあるがまま

あらゆるものの境界線を感じられない。
私の中では全ての事象は上下左右なく宙を舞う。
でも境界線ってそもそも必要?
思考を整理整頓して入れ物に入れるのはなぜ?
肉体がある世界と自分の内面とのギャップに苦しみながら、感じるままに綴ります…

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雑多な情報の中から選びとったり
情報を整理する

枠にとらわれず自由な発想で
新たなモノを創り出す。

これらのタイプは訓練で変わるものではないと思う。
早いうちに適性を見抜いて
そこを伸ばす方が
ストレスも少ないかと…

でもそれを見つけ出すのも自分自身であり、大人や周りが判断したり押し付けるものではない。


教育とは本来その機会を与えるものであり、
調整を加えるものであってはならない。
その適性は自身の感情の高ぶり(ワクワク)のみが教えてくれるものだろう。


では教育は充分にそれを与える機会になっているだろうか?


また、教育者側がそのつもりでも、受ける側には押し付けのように捉えられていないだろうか?
双方が教育の意味をわかっている方がより効果的ではないだろうか。


もっと生徒をワクワクさせる教育を!
教師は指導要項をこなすロボットなのではなく
あらゆる分野においてワクワクを引き出す、
ワクワクmakerになって欲しいのです。




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