いきなり
ブログ史から入ってしまいましたが、

私がしていることについて
お話ししなくては、
ですね。

その前に、
どうしてセラピストになったのか、から。

どうして?には2つありますね。
動機と方法です。

セラピストになりたい、
という意志は、
特に持っていなかったです。

そもそも私が20代の頃には、
セラピスト業というのがなかったですし、
ヒーリングという言葉も
全くなかった、ような。

だから、
目指すものとして、
その存在がありませんでした。

心のことをどこに相談するかというと、
ラジオや雑誌の人生相談!(笑)

でも、そこに、
心療内科というものが、
ポツポツ出てきたのです。
そこでは、
精神科に行くほどに深刻ではない、
日常での精神的な行き詰まりを
なんとかしてくれるらしい、
という話で、
行ってみたかった〜(笑)

でも、すごく敷居が高かったですね。
行くと、
精神に異常があると
レッテルが貼られてしまいそうで。
(昭和ですねー)

もし、行ったとしたら
何を相談していたのか。

情緒不安定な自分について、です。

子育てが上手くいかなくて、
仕事がしたくて、
でも、子供を見てくれる人はいないし、
平日は絶対空けられない。

正規の仕事を持っていなくて、
預かってくれる人がいなかったら、
動きようがなかったんです。
それで毎日イライラしていました。

土日に婚礼司会の仕事はしていたのですが、
平日に動けないのは、
いろいろ支障がありました。
平日に動けないから、
他の人に仕事が回ってしまう、
そんな思いもあって、
私が毎日イライラしているから、
子供も情緒不安定。
そして、問題行動の連発。

3歳児検診から幼稚園に至るまで、
専門家の方々から、
それはそれは、
様々な指摘を受けました。

その頃は、
「お母さんも無理しないで、
充分頑張ってますよ」

などという視点はなく、

「母親であるお前が悪い!」

(笑)
ら一言でいうとそう聞こえました。

だってだって。。。
そう言って泣きたかったけれど、
ホントにその時代時代の
世間の視点というのはすごいもので、
私の在り方、
私の子育て、
それ以外に原因はない
「反省しろ!お前が改めろ!」

そういう雰囲気しかなかったんです。
30年前位のお話です。

私は追い詰められて悪循環。

自己肯定感は下がり、
そう、
私がダメだから、
全てはうまくいかないのだ、と
鬱っぽくなっていきました。

そうこうしているうちに、
私にとっての決定的な事件が
起きたんです。

ある日、4歳の娘が、
素手で、
ガラス戸を殴って割ったのです。

飛び散るガラス。
手から流れる血🩸

今から思うと、
心ここに在らずの母に対して、
私を見て、という、
子供らしい、
承認欲求行動でしかなかったのですが、

「こんな子嫌だー、誰か助けてー」と
なりました。

あれがセラピストの道へ向かう
原点だったと感じています。

子供の問題行動に繋がっている
母親としての私の在り方、
子育ての仕方、
それはノウハウではなく、
魂レベルの深いところにあるものが
起因していたし、
お母さんが幸せになるために
そこに気づいて、と、
最愛の娘が
サインを送ってくれていたんですね。

今は、
その娘がちょうど4歳の娘を
育てていますが、
その子育てぶりは本当に穏やかで、
微笑ましくて、
孫も伸び伸びと子どもらしく
自分全開で、
その光景を見ていると、
あの事件を境に始まった
自分改革に
◎をもらっている気分です。
あの時、
あの事件があったことで、
たくさんのことに目覚めて行った
プロセス、
頑張った自分、
宇宙の采配、
そこに関与してくれていた
様々な役割の方々に
感謝でいっぱいです。