なんか、自分に対して酷いことをしたとか、
理不尽なことをされたとか、
そういった直接の原因じゃないのに、
街で見掛けただけなのに、
「なんか、あの人、許せないぞーーー!!!」
ということ、ありませんか?
私はしばらく長い間、
公共バスなんかの二人掛けで、
席をつめて座ってくれないおばちゃんが嫌いでした。
うんもう、なんか憎かった!!
自分がゆったり座りたいからって、
この混んだ車内で二人分占領してんじゃな~~~っい!!
周りを見ろ~~~!!
図々しいにも程があるぞ~~~!!
デブーーー(←ヒドイ)
ババアーーー(←とてもヒドイ)
・・・・・・。
「お隣り、よろしいですか?」
って一言言えばいい。
それだけ。
それを言えない私が、おばちゃんが悪いことにして責めてるだけなの。
お隣り、よろしいですか?
って言えないのが、私の問題。
周りに配慮出来ないのが、おばちゃんの問題。
でもそれは私には関係ない部分。
だから、
なんで、
たった一言、言えないの?
「お席詰めていただけますか?」
「お隣りよろしいですか?」
そんな簡単な日本語が?
って言う所に自分の意識を集中する。
ここは、思考しない。
頭で、お腹か心に聞く。
ポイントは、責めない事。
なんで言えないんだろうね~~?
幼児に聞くように、独り言のように聞いてみる。
そこに、私の思い込みがあるから。
「思い込み」は、心の傷から出来ている。
それは過去の出来事だったり、
両親から言われて育ったりしたことだったり、
会った事もない祖父母の口癖だったりするから、不思議。
お年寄りに席を譲りなさい!!
と、言われて、
(私より、知らないおばちゃんが大事なの・・・?)
と、傷付いた体験だったり、
子供のくせに、立ってなさい!
と、知らないおばちゃんに怒られたトラウマだったり・・・
母親に、口答え出来ない環境だったり。
そうそう、人を責めて誰かの心に傷を作るひとは、
同じ傷(思い込み)を持っている人です。
チェーンレターってあるでしょう?
あれみたいなの。
だけど、どこかの時点で、私がその心の思い込みを外すと、
その思い込みを作った本人(その人も誰かに傷付けられて出来たんだけどね)
まで、癒されちゃう!!
遡って、嫌されちゃう!!
「その傷に関しては」だけどね~・・・(;´▽`A``
だから、そこで踏ん張って、
モヤモヤを味わって、
怒りを、悲しさを感じて、
「人に迷惑を掛けてはいけない」とか
「人の役に立たなくてはいけない」とか、
「目上の人に逆らってはいけない」という
自分の「思い込み」を外してあげる。
(↑この思い込みがあるから、席を詰めないで座るおばちゃんが許せないのです)
人に迷惑を掛けてはいけない、
じゃなくて、
人の役に立ちたい、人を喜ばせたい
で、いいじゃん?
「思い込み」
じゃなくて
「思いやり」
でいいじゃん?
だって「思い込み」は心の傷から出来てるけど
「思いやり」は愛で出来てるんだから、
チェーンするなら、紡いでいくなら、
「愛」の方がいいよね。
許せない人、を見つけたら
「思い込み」を外すチャンスです♪