chinomuchiのブログ

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ただの日記

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本日、習っている会派の合氣道の指導員に再任命された。

感慨無量。

 

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長者窮子

 

白隠禅師の和賛に、「長者の家の子となりて、貧里に迷うに異ならず」

というのがあるが、そのもとは法華経の長者窮子の例えである。

 

インドである跡取りのない長者が、生き別れになった息子を探すのだが、

なかなかわからない。ある日その息子がたまたま郷里に帰ってきて、

自分の父の家と知らず、長者の家の庭に訪れた。息子は長者を自分の父とは氣がつかず、

こんなところにいたら大変な目に合うとそこから去る。父は息子の姿を見つけ、

使いをやるが、息子はなにか奴隷のようにこき使われるのではないかと恐れて、戻ってこない。

そこで父は自分が父とは名乗らず、また使いを出して、くず拾いだかトイレ掃除だか

卑しい仕事を与えることとした。息子は卑しい仕事なので安心してその職に就く。

父はときどき仕事場に顏を出し、だんだんに息子が慣れるように仕向けて行って、

だんだんに近しくなっていく。そして今わの際に、お前は私の息子である。

全財産をお前に譲ると言ってなくなる。(当時のインドでは、相続者がいないで亡くなると王が財産をすべて没収してしまったそうである。)

息子は「ああ、自分は努力したわけではないのに、いつの間にか財産が手に入った。」と慨嘆するのである。

 

わしは前半生、本当に自暴自棄に生きてきた。

ただただ、自己の理想像と現実のみじめさのギャップに苦しみ、飯を食い、くそをひり、

酒をかっくらい、マスをかいて、無為に日々を過ごしてきた。

わしの習っている武道では、プラスの人生を闊歩せよと教えるが、

真逆にマイナスが好きなのでマイナスの人生を歩みますという見本であった。

三十代前半で、うつ病と診断され、酔っぱらって線路に落ちたり、酔っぱらって救急車で運ばれて病院でくそを漏らしたりしていた。

いつ酔って死んでもおかしくなかった。死ななくてもほっとけばいまごろホームレスになっていたかもしれない。

 

合氣道の先生には、ずいぶん心配をかけた。

本当に先生はわしが幸せな人生を送るように氣を送ってくださっていたのだと思う。

先生はガンになられ、手術後復帰されたが、しばらくして稽古中にがんの再発を告白された。

その時、「もちろん直すつもりだ。だけど万一ということもある。本当に氣のことを知りたかったら、残りの稽古に全部出なさい。」

とおっしゃった。わしは、全部出た。と言っても3、4回だ。

平日の午前中の稽古が1回あって、職場に病院に行くから午前半休にしますと嘘を言って出た。

その3、4回の稽古の次の稽古に出ようと思ったら、先生が亡くなったとの連絡があった。

 

その後もわしは、マイナスの人生を闊歩していたが、転機が訪れた。

どうにもならないから、仕事を辞めて、巡礼の旅に出た。

東京から歩いて四国まで行って(1回くじけて戻ったが)、八十八カ所遍路をして、

その勢いで、高野山、熊野三山、伊勢神宮を徒歩で巡礼した。

その後仕事復帰するまでの間に、禊修行や、本部の世界中から人が集まる合宿に参加したりした。

その後は、盛大な人生とは行かないが、人並みにまともですね。くらいの人生を歩めるようになった。

きちんと仕事をする。責任は果たす。家族を持つまでなった。その5か月ほどの間に人生の方向がプラスに変化した。

 

わしは、自分の意志でやったことだと思っていたが、あとから思い返せば、

先生が彼岸から、「ここまでひどいやつとは思わなかった、ちょっと荒療治が必要だな。」

とやらせたことに違いないと思う。

また、山陰にきて素晴らしい先生に指導を受ける機会を得て、指導員としてやっていかせていただける。

仕事も自分の能力を最大限活かせるだろう職に代わることが決まった。

「ああ、自分は努力したわけではないのに、いつの間にか幸福が手に入った。」

これからは使命を果たすべく生きていきます。