JET  ~Look what I've done and thought~

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卒業

最後はカラオケで泣いて寝た。 

まったく笑って、泣いて、あの瞬間を真空パックにして閉じ込めたかったよ。

またねみんな。ありがとう.

世界遺産へあと一歩

11月半ばに島根にいってたころ、せっかくの休みが取れたので、鳥取へ行くことにした。
目的は温泉と三徳山三佛寺でした。特に投入堂(なげいれ)
鳥取といったら砂丘なんだけど、鳥取市は、島根側からだとかなり遠く、むしろ兵庫側。今回の目的のついでにとは行かなかったので
やめた。しかし、三徳山三佛寺は、いわれないとしらないが、修験道として知られていた場所。天台密教をきづいた円仁(えんにん)という人が寺号をあたえて、三尊が安置されたらしい。それは、849年の出来事。世界史の便覧をひらけば、その頃起きた事件といえば、ヴァイキングがイングランドに侵入し、フランスは3つに分れ、ロシアでは、初めてのまとまった単位のノブゴロド王国誕生、中国では、唐末期、日本では、894(白紙)にもどす遣唐使のころ。
そんなころの寺だから、由緒ある。
九時半頃出発したわれわれは、二時間半くらいで、目的地へ到着。
意外に軽装で、コンバース系のスニーカーに身をつつんでいったが、初っぱなから先行き不安だった。周りの人がけっこうトレッキングシューズとか履いてて、かつ意外に重装備。一眼レフを提げていて大丈夫かと不安をよそに先へ進む。階段をのぼると、まずお金を払う場所へ。いくらかはらって、いくとまた階段が一本。通り沿いに、おみやげや、小さな寺、食事をだしてくれるところ、そして宝物館、脇目もふらず歩き続けると、道がひらけた。そこに、本堂があった。そこで、お参りをして、先へ進むと、また小屋があり、みながお金をはらっている。そこでは、危険を呼びかけるおにいさんが・・
前にならんでいるカップルは先へ行くことを禁じられた。 革靴をはいていたから。 そこの案内人曰く「このまえも人が死んでるから、そんなのでのぼられたらけがをするじゃあすまない」といってた。わらじを売ってるから買ってけといってた。ちなみに500円。コンバースは許可されるか不安だったが、まあそこまですり減ってないからOKということで、六根清浄とかかれた輪袈裟を貸していただき、荷物をあずけ、歩き出した。そこは、3時ころには受付を閉めるし、雨だと中止という厳しい制限の中運営をしている。
ちなみに、六根とは、五感と心、これらがにぶると煩悩がめばえてしまうみたいなので、厳しい修行で、六根を清め、自分を磨く。

正直こんなに大変だとはおもわなかった。足だけではとてもではないけど、登れない。手で木の枝、根をもって、体を支えないと進めないし、道という道があるわけでなく、いままできた人々が踏み固めたような道をのぼるといった具合なので、普通に汗びっしょりかいてしまった。しかし、観光客は多く、年配のかたもかなりの数いた。そういう人とのコミュニケーションや、ゆずりあいとか、助け合いとか、なかなか普段ではなくなってしまった、他人へのアドヴァイス、そういうものが様々な場所でおきていた。「例えば、いやーおかあさん、そっちはあぶないよ。こっちの道にしなー」とか、「ちょっとまってくださいねー。」と、おばあちゃんがいうと、「ゆっくり降りてください。きをつけて」とか。人のなんか優しい部分がいろいろでてくる状況だった。投入堂までくるのに、かるく40分はかかったかな。見られたときは、疲れていたけど、なんか満足感で満たされた。写真をとるには、道が2つしかないので、並んで最前列になってから、後ろに並んでいる人にとってもらった。感想は、どうやってつくったんだ。それに限るね。テレビで見ても、そう思ったが、実物はそれをもっと想起させた。帰りは、地蔵堂という、途中の堂により、そこから望む大山(だいせん)をみた。うっすら雪をかぶるその山は、さながら小さな富士山みたいだった。そのまわりには、一面森があって、紅葉のグラデーションと、空の青さがみごとだった。縁側はすごい開放的できもちいいのだが、落っこちたら死ぬというほど高いところもあるので、ちょっとこわかったな。帰りは、写真をとってくれたカップルと、その地蔵堂からの大山がきれいだぞと、会うたびに言ってきたおじいちゃんと下山。下山はなおさらしんどい。ほんとうに落ちたらけがをするので、ふつうに傾斜角が半端でないところもあるし、もうすべっておちるしかないみたいなところもあるので、緊張の連続。しかし、なんかそんなかんじも久しぶりでたのしかった。帰りに、一番最初の入り口で、ポストカードと、簡易な説明書きを買った。三徳山は、開山1300年という記念だったみたいで、なにか得した気分だった。そして、お待ちかねの、温泉。今回は三朝温泉(みささおんせん)へ。三徳山のお膝元にある温泉で、街一帯が温泉がでるみたいだった。すでに、リストアップしたなかから、飲泉ができる株湯という温泉へ。創業はかなり古かったなー。何百年前か忘れた。200円をはらうと、
玄関が開けっ放しで、カーテン一枚で仕切られている。そこの一畳もないスペースで、いざはいると、歴史をかんじる古さに感動。温泉で、体をあらい、湯船へ。温かさが適温で、40度前後最高だった。山登りの疲れを癒やした。先客のおじさんと話すと、もう毎日きているそうだ。しかし、昔はもうすこし湯船が深かったそうだ。そのおじさんは、寡黙な人だったが、自分が遠くからきたことを知ると、いろいろ街のことなどを教えてくれた。そして、風呂の入り方まで。このまえ、じいさんが我慢して入りすぎて、そこでめまいを起こして、ひっくりかえってたよ、と豪快に笑ってた。おまえも気をつけろよと、いいながらでてった。温泉通いに悪い人はいないというのが、じぶんのなかのセオリーになりつつある。女風呂と壁をへだてて上も空いてるし、声はつつぬけ。お互いはなしていることは知っていたみたい。こんだけプライバシーと言われている世の中でこれだけ開放的なのも温泉の魅力ではないかな。最後に、温泉からあがり、飲泉をして、外のベンチですわっていると、もう一つのベンチにおばあちゃんがいた。その人と彼女が話していたことによると、おばあちゃんは、鳥取に嫁いできたのだが、いろいろなものをもらった。おいしい空気、たくさんの自然、そしておいしいたべもの、そしたら、温泉までついてきたといっていたそうで、最後にわたしは幸せだよといってたんだって。非常にうらやましい。将来いえたらいいなと思う一言だった。鳥取旅行は大成功。残念だったのは東郷温泉にいけなかったこと。そちらも、湖畔にあって、伝統、日本庭園などもあり、趣のある温泉だったが、時間、体力の都合上断念。またこんどにしよう。

最高のコンサート


村治佳織のコンサートへいってきました。
実家から近い場所でやるので、意気揚々と向かいました。
席はなんと一列目のど真ん中。しかも、キャパは500人なので、ギターの生音が聞けるということで、すごーく楽しみにしていました。
しかし、一列目に座ったはいいものの、なんだかお客さんであるわたしもなぜか緊張する始末。なんかすこしドレスアップしていった状況もそうさせるのかなと携帯を消したか何回も確認し、くしゃみしたらやばいから、ハンカチを足の上においといて準備万端。しかし、奏者との距離は半端なく近い。3メートルいや5メートル、そんなもんでしょう。テンションは高まるいっぽう。
開演。
彼女はギターを片手に、礼をすると、いすに座りひきだした。セットリストはすでに配られていたので、なにをやるのかは知っていた。いやーしかし美人だなってそれがfirst impression。 ここから、8曲をどんどんこなした。こういうギターの演奏会の難しいと個人が思うのは、拍手のタイミングがわからないとうこと。どこが切れ目か・・・でも今回は彼女は非常にわかりやすく、曲の最後に音を消してくれたし、その音がきれると、笑顔をみせてくれていたので、、新参者のわたしでも楽しめた。
個人的には8曲のなかで印象深かったのは、蛙のガリアルド、カタルーニャ民謡ー盗賊の歌、アルハンブラの想い出だった。蛙のガリアルドは、ギター教室で一回聴かせてもらったことがあったため。あーあれね、ってちょっと知っている曲が出てきてくれたことがうれしかったので。つぎのは、アルモニコスの使い方がおもしろく、聞き惚れてしまった。最後のアルハンブラは有名曲だが、フルで聴くのは、初だったので、貴重な体験だった。あの親指の動きには圧巻。

そして、休憩をはさむと、第二部がはじまる。彼女はドビュッシーの月の光という曲を弾きおわると、はじめて声を私たちにとどけた。彼女は、ツアーの魅力とこれから演奏する曲の由来、そしてギターを純粋に楽しんでいること、自分の音色を楽しんでいること。ギターのすばらしさをつたえてくれた。「ギターはわたしを瞬時にいろいろな国へとつれてってくれる。」こんな感じの言葉で表現していた。彼女が弾く曲は、ブラジルの曲、スペインの曲、その他多くの国の曲を演奏する。音楽をそんなふうに語る人をはじめて見たので、すてきだなと感じた。

そして最後に武満 徹が編曲したビートルズのイエスタデイを弾いた。
武満徹の名前を知ったのは、バイト先の先輩の話からだった。現代音楽の先駆けだったって教えてくれた。ドビュッシーも彼がおしえてくれた。音大にいっている人が教えてくれたことで、今こうして自分の生活にそういう人たちの曲がリンクしてきているのはうれしい。まだ素人でまったくわからないが、背伸びせず、親しめればいいかな・・
またまたアンコールで、スペインのタンゴをひいてくれた。

結局、曲について、良さを伝えられないのが残念。無知も手伝っているが、それ以上に、CDとかで聴く以上に、なんかただただすげーというしかできなかった。形容できるほど聞きこんでいなかったことを残念と思ったが、たしかに全身で感じ取ったものがあり、楽しかったと思えたことが収穫だった。昔なら、歌のない音楽はきけなかっただろうから。

最後にはサイン会までひらいてくれた彼女には感謝。しっかりともらって感謝の意をつたえた。彼女の細い指であれだけの音量がだせること、弾き方がきれいなこと。グルーヴ感もよかった。また行きたい。

山陰

このまえ出雲にいってきました。
いわずとしれた蕎麦のまちです。なかなか晴れないで、字の通り、曇っています。
しかも、出雲大社のまわりは、ほんとうに霧がたちこめやすいようで、さながら
雲がそこからできているようです。二回目の出雲でしたが、紅葉と温泉を期待していきました。
まぁ卒論もあったので、平日はそれと、午後は街の探索がroutineでした。
島根はJUSCOとかでも魚介類が安く、おいしいのが気に入っている。今回は、せこがに(松葉がにの親、それなので
親がにとも呼ばれる)を味噌汁にしていただいた。知らない名の魚が多く、興味はつきなかったよ。なぜかぶりが異常に安く
驚いたことも印象に残った。そして、島根にはスタバがない・・出雲市立図書館でしらべたら本気でなかった。しかたなく、ネットで探したタリーズコーヒー(伊藤園傘下)にいった。そして、飲み終わったあと、併設していた本屋で、『ミッドナイト・エクスプレス』を購入。
平日ラストの日、久しぶりの快晴で、朝から、一人で温泉にいった。御所覧場という出雲から山へ向かっていくところにあるのだが、
けっこうお気に入り。今回は二回目。掛け流しで、風景も抜群で、露天が川沿いにあり、紅葉がめちゃめちゃきれいだった。川もすんでいるので、景色が反射していてきれいだった。しかし、加温というのが残念だね。その日は、本当に紅葉シーズン真っ盛りだったので、露天風呂から向こう岸にいるひとたちがおおぜいいた。そんななか、露天は一人で使っていたので、非常に贅沢な気分だった。
風呂をあがり、帰るのもおっくうだったので、さらにヤマミチをすすみ、紅葉をたのしんだ。その道の脇で、ひとつだけ真っ赤になっているちいさな紅葉の木をみつけて、写真をとった。いつもだったら止まらないかもなぁなんか思いながら、心に余裕があることに気づきうれしくなった。
 島根のような田舎町を旅するのは非常に心改まる気がする。普通に鴫みたいな鳥が、アパートのそばの池にいたり、道をとおれば、すすきがひろがっていたり、公園のフェンスには、大根がほしてあったり、鴨がうわーっていたり、自然がありふれているとよそ者の自分は感じる。自分のすみかも、昔は、あたりまえのように田んぼがあって、稲があって、鳥がきて、ザリガニがいて、ススキもあって、コオロギもきりぎりすも、なんでもかんでもいたのに、いまでは公園もないありさまで、寂寞の感がある。
 逆に田舎町に住んでる人々は、何もなくてつまらないというけれど、都市に住んでいて、つまらないと感じている人たちもいるし、なにが人を楽しくさせて、惹きつけているのかわからないものだ。
 島根のローカルで、某有名大学の卒業生が、隠岐に就職したという特集をした。その男の子は、ローカルの経済を勉強したみたいで、ゼミでいろいろ隠岐に関わることもやったみたい。しかし、あきらかな疑問、普通ともいえる疑問。なんで!?失礼なことかもしれないが、そうおもった。彼は、民宿の住み込みをしている。朝5時半には、漁にでる。そして、農作業もする。そして、釣り客の相手をする・・・
 開眼させられた。 彼はそうするうちに、漁の仕方を覚えたし、船を操れるようになり、農作業をし、農業機械をあやつり、炊事、その他諸々。かれは、ひとりでなんでもできるようになっていたし、スキルを身につけていた。ふつうに働くこととの天秤にかけると、我が道はもろく、不安定なものにみえる。なげだされたら、赤ん坊同然になってしまう。
 LOHASとか話題になっているが、金持ちの道楽だと思っている。しかし、そういう暮らしのなかで、自給自足の生活を営むことは非常にすてきだと思った。うらやましいが、選択肢としてとっておこう・・鳥取の話は、もうかけないので後日・・

みっどないと えくすぷれす

ついによみおわった。さわきこうたろうの著作、ミッドナイトエクスプレス。ちょうど一週間でよみおわった。ひじょうにいいペースでよめた。読むのが待ち遠しいと思える作品はほんとひさしぶりだった。みんながすすめてくれる作品だったが、なかなか手がでなかったが、こういう岐路にたちだすと、逃避をはかりたいというのは、さけられず旅の世界へいざなってもらった。
おもったのは、旅は矛盾だらけだなと。したことないわたしがえらそうにだけれど・・一人で旅立ち、なるべく一人でがんばる、自分を追い詰める的なところがあるのではないかと思うのだけれど、結局旅の先にあるのは人で、出会いを求めて旅をするんだろうなーと。
さわきさんは、最後のほうで、無駄な時間をすごしているのではないかといっていたが、国内にいるおれからしたら、とんでもなくすばらしい。たとえ、海外でゲーセンいってたとしてもね(笑)日本にいても、無駄に過ごしてると思うときもあるし。逆にいってしまえば、無駄じゃないって無理だろ。すべて合理的にいくのだったら、無駄にはならないが、奇跡とか運命とかって類のものはないよね。番狂わせみたいのがあるから、人は救われると思うし、明日につながると思える気がするなー。
共感ができるのは、かれが転校したいとか、社会人になるときにおもった「まったく新しい世界で新しい自分になれる」というところ。
しかし、そこには落とし穴があって、少し経つと、そう思っていただけで、その自分もまた同じ自分であることにすぐに気づいてしまうところ。人は簡単にはかわれないことをおもしろく示している気がした。どこにもいないんだって。自分をかえてくれる新しい学校も、すべてを奪い去っていくアリババも。
しかし、この時期に読むとなにか空虚感が漂うね。だからといって、旅にでようとはおもわないが・・しかし、なんかなー、なんかなーっていうような複雑な気持ちになるやー。
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