私の住む街に一軒の繁盛している中華料理店がある。

店の入り口には雑誌に取り上げらたページが誇らしげに張られている。



しかし意外だが、料理の味は有名な坦々麺を除いては、格別おいしいとはわけではない。

また、この店は夫婦が経営していて、主人は厨房、奥さんは接客係をしているが、

奥さんは元々中国の人なのだが(それが関係するとは思わないが)、

無愛想で、話し方が怒っているようで、お世辞にも接客態度がよいとはとてもいえない。

数人の知り合いの間でも評判がよくない。



なのに店が客に愛され続けるのは、果たして坦々麺だけのおかげなのだろうか??

思わず考えさせられてしまう。。。



その理由は、実はその接客係である奥さんの魅力にあるようだ。



良く観察すると、来店客は皆奥さんの性格を把握しているようだ。

店内の席が空いている時でも、奥さんの案内があるまで着席しない。

料理の注文も奥さんの注文を取るタイミングに合わせるように待っている。

なんだか見てて不自由に感じる。それで店に愛着を持つ理由にはならないだろう。


だが更に良く観察すると、会計を終えて店をでる客一人ひとりに対して、

奥さんはそれぞれ何か言葉を掛けているのがわかった。


その言葉は憎まれ口にも聞こえるようなものだが、

確かに個人個人に対して発せられている心のある言葉だった。

接客マニュアルには決してないだけに、その人の本心なのだろう。

(おそらく態度が不器用なだけなのだ。それを皆分かっているのだろう。)


声を掛けられた相手は、なんとなく自分が覚えてもらえたような気分になり、また来てもよいと思う。

慣れたら逆に憎まれ口を言い返せるかもしれない。愛着がわいてくるのだ。


昔意地悪ばあさんのドラマが人気あったが、

この奥さんを評するとすれば、「愛すべき名接客ばばあ」なのではないだろうか。


店内が汚いけど、人気のある店。


先日大阪梅田に宿泊した際、夜食をとる店を探していたところ、

こんな店に出会った。日本人の経営しているであろう中華料理屋だ。


狭い路地裏にあり、初めて入るには勇気のいる外観。


けれど扉越しに中をのぞいてみるとサラリーマン客が結構いる。

おそらくリピーターに違いないと思い店内に入った。


厨房とウェイター計4名の従業員がいたがこちらを見ても「いらっしゃい」の

掛け声も何もなく、じっと目を見ているだけで奇妙だ。


店内床は油べとべと、カウンターと厨房を区切るガラス窓は油がこびりついて

お世辞にも清潔とはいえない。


けれど頼んだ麻婆豆腐、餃子、ガラスープはおいしかった。

臭みがあり癖があるが、何となくまた食べたくなる味だ。


人気のある店の条件を考えた


この店は少なくとも料理の味を除いてはとても点数をつけられる店ではない。


だが人気とそういうことは関係ないのがよくわかる。

人気のある店になることとは、優等生のようになんでもそつなくなることではない。


むしろだらしなさ、欠点が顧客をひきつけているのだろう。

小奇麗な店だと逆に落ち着かない、汚いから逆に我が家にいるような

居心地を提供してくれる。

店内にいる他のお客とこの汚さを共有しているという事実が、更に連帯感を醸成し、

安心感を与えてくれるのだろう。











本日、仲御徒町通りにある某中華料理店を初めて訪ねた。

入口は狭いが、中は多くの客でにぎわっていた。(60席ほぼ満席)

私の通された隣のテーブル席では、若い中国人男性二人が大きな声で談笑していた。



従業員は対応してくれた中国人女性二人は年の差があったので、おそらく家族か親戚で経営してるのだろう

いずれにしても、店の雰囲気は良かった。中国の顔見知りの店で食事をする時のような楽しさを感じられるお店だった。



中華料理で東北料理というのは知っているだろうか。

久しぶりに老虎菜を食べたかったので頼んだ。東北料理でしか食べられない料理だ。

強い香菜の香りと、黒酢の甘酸っぱさと、老虎(一種の青唐辛子)

の辛みが特徴的なサラダのようなものだ。

食べてみたが本場に負けないくらいの辛い味付けだった。

青島ビールで辛さを薄めながら食んだが、それがまた格別だった。



さて、この店の繁盛している理由について考えた。


1.中国人従業員によるサービス、家族的経営でいかにも中国のローカル的な場所にありそうな雰囲気


2.中国人客向けの、妥協のない中国ローカルそのままの味


3.ローカルな味を楽しみたい中国駐在経験のあるサラリーマン客層、中国人留学生の支持


4.そして最大の魅力は、顧客に中国故郷を思い起こさせる顧客価値の提供


食は人の五感を刺激し、奥底にある記憶や感情を呼び起してくれる。