マリー・アントワネット
1755年11月2日~1793年10月16日
マリア・テレジア と神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンの14番目の子供。
あまりにも有名なフランス王妃。
贅沢をしすぎて国民から恨まれフランス革命時に処刑されました。
彼女はオーストリア女帝のマリア・テレジアの子供です。
マリア・テレジアが各国から音楽家を集めていたと言うのもあり小さい頃から音楽に触れており、マリー・アントワネットが7歳の時、神童と呼ばれていたシューベルトが転んだ所を助けおこして彼からプロポーズされたと言う話が残っています。ほほえましい
政略結婚で14歳でフランスに嫁ぎました。
最初からフランス王妃だった訳ではありません。
彼女の夫の後のルイ16世の父親がのルイ15世が皇帝として君臨していました。
彼女はルイ15世の寵姫のデュ・バリー夫人と敵対します。
ルイ15世が亡くなり夫のルイ16世が即位しマリー・アントワネットはフランス王妃となります。
マリー・アントワネットはルイが原因で子供が出来なかった為、フランス王室での孤独を舞踏会へ出かけたり、ファッションにお金をかけたりしてまぎらわします。
浪費家の彼女を心配した母マリア・テレジアが彼女宛に慎むようにと手紙を送っています。
ルイが手術をしてから子供が出来るんです。
彼女はファッションリーダーとなります。
1785年にマリー・アントワネットの名を騙った首飾り事件が起きます。
1789年フランス革命が勃発。
1791年ルイ一家は庶民に化けてパリを脱出しようとしますが、失敗。捕えられます。
この逃亡で王室を支持する国民からも背かれてしまいます。
その後、国王一家はタンプル塔に幽閉されます。
幽閉と言っても待遇は悪くなかったみたいです。
1793年 革命裁判によりルイ16世はギロチンで処刑。ルイ16世は苦しみを少しでも減らそうとギロチンの改良に携わってたんですよね。
その後マリー・アントワネットも裁判にかけられギロチンで処刑。
最後まで毅然とした態度だったと言う。
「パンがないのならお菓子を食べればいいじゃない」発言はマリー・アントワネットの言葉ではないようです。
マリー・アントワネットを悪女にしたかったのでしょうか。
このお菓子はブリオッシュという食べ物をさしてるようで、パンより安かったみたいです。
パンがないならお菓子(ブリオッシュ)と食べればいいじゃないというのは当然だったのかも。。。?
映像が華やかです。
色がかわいいんですよね。
この映画好きだなぁ。
詐欺事件のマリー・アントワネットの首飾り事件の映画です。
マリー・アントワネットも本当にちょっとだけですけど出てきたと思います。