賢者は歴史に学ぶ



1837年12月24日ー1898年9月10日



愛称:シシィ


オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝(兼国王)フランツ・ヨーゼフ1世の皇后。



夫フランツとの出会いは15歳と時に姉のお見合いに付き添った時にフランツが姉ではなくエリザベートを見初めた事から始まる。


彼女はお妃教育を受ける事となるが、彼女は父親似で勉強や作法を学ぶより木登りしたりするのが好きな活発な子だった為教育を受けてる時から何度かヒステリーを起こしていたという。


1854年に16歳でオーストリア皇后となる。


だが堅苦しい事が嫌いなエリザベートは宮廷生活や皇后としての職務等を放棄。


個人旅行に出かけたり自由気ままに過ごす。


一番のお気に入りがハンガリーだった。


1889年、息子が自殺する。


その後彼女はマリア・テレジアを倣い喪服を着続け死ぬまで脱がなかった。


彼女はスタイル抜群で体型を維持する為美容、ダイエットに熱心だった。


フランス皇后のウジェニーがヨーロッパ一の美貌を誇っていたエリザベートに興味を持つ。



1898年旅行中のスイスで散歩中に無政府主義者のイタリア人に刺され死亡。



彼女は悲劇の皇后として愛され何冊も書籍化されミュージカル化されているが、旅行先では贅沢をし、そのお金は税金から出ていたのも事実。


やらなければいけない公務を全うしていればよかったが、彼女は皇后としての公務も母親としての義務も放棄して放浪をしていたのも事実ですよね。