賢者は歴史に学ぶ

マリア・テレジア 11歳



1717年5月13日ー1780年11月11月29日






彼女は当時としては奇蹟的な恋愛結婚をしている。


フランツ・シュテファンをマリア・テレジアの父親も気に入っており1736年に結婚。


彼女には男兄弟がいなかったが父親が男児の誕生を諦めていなかった為、政治家としての教育はしてもらえなかった。


その為父親の死後、周辺諸国はマリア・テレジアの相続を認めず、領土を分割しようと攻めてきた。


マリア・テレジアは妊娠中にも関わらず政務を執る。


マリアはプロイセンにシュレジエン地方を割譲する事で乗り切る。そしてカール七世の死去により夫のフランツは神聖ローマ皇帝の座を得る事になる。


その後七年戦争が勃発。この戦争で条約を結びシュレジエンのプロイセンによる領有が確定した。



1765年に最愛の夫フランツが死去。その後喪服を脱ぐ事はなかった。


マリア・テレジアとフランツの間には16人の子供がいる。


15番目の子供にはあのフランス王妃・マリー・アントワネットがいる。


彼女は子供たちが寂しくなったいつでも母に会いに来れるように部屋をつなぐ階段を作ったり優しい母親だった。


しかし、子供達を政略結婚させたり、身体障害者であった次女には冷たかったらしいです。


四女を一番可愛がり、彼女だけは恋愛結婚を認めた。


フランス王妃となったマリー・アントワネットが悩みの種で、何度も彼女の浪費を注意したりした。


六女のマリア・アマーリアは嫁ぎ先で傍若無人な振る舞いをしたので帰国禁止になったみたいです。





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