孝公が重病になる。
太子不在はあやういとなる。
衛鞅は部下に太子を訪ねさせた。
太子は白村に身分を隠し滞在していた。
孝公は太子に会いに行き連れ戻す。
太子は追放され国を巡った事で新法を理解していた。
と、同時に情勢にも詳しくなっていた。
孝公は太子と衛鞅に政務を任せ養成すると発表した。
しかし裏で孝公が倒れた時が好機だと何やら企てる者たちがいた。。。
孝公は亡くなる時衛鞅に「太子が君主にふさわしくなかったらお前がなればよい」と残す。
それ位孝公の衛鞅に対する信頼が厚かった。
臣下たちにも衛鞅を守れと。
最後まで衛鞅の身を心配していた。。。
孝公が亡くなると反対勢力が動き出す。
反対勢力の甘龍が衛鞅を告発する。
恵文公はどう処理しようか悩む。
思いきった改革を打ちだした衛鞅、そしてそれを受け入れる器があった君主の孝公、この2人がいたから秦は立て直す事が出来たんだね。
共に悩み苦しみ分かち合い弱小だった秦を大国にした2人は最後までお互いを思いあっていたのねん。
秦が天下を統一出来たのもこの2人がいたからなんだねー。
もちろん始皇帝の力もあったろうけど。
基盤って大事だからね。
甘龍が衛鞅の10の罪状を読み上げたけど重婚とか内容知ってないとえっ??結婚してたの??ってなるw
てかなったw
調べたら公主と結婚してたのねー。
もう一人は白雪か。
しかし、秦以外の六国も衛鞅の処刑を望むとは。。。
恐れだね。魏みたいになりたくないと。。。
孝公が生きてたらこんな事にはなってなかったかも。。。
反対勢力動かなかったろうし。
孝公より先に衛鞅が死ねばよかったのにって思う。
宮廷内でも衛鞅派と反対派の対立があるし。。。
反対派の方が一枚上手だったって事だね。
衛鞅定めた法で彼を処刑するとはね。
誰も何も言えないじゃん。
しかも法は絶対だと一番言ってるのは他ならぬ衛鞅だしね。
ドラマのちょっとしたあらすじで
孝公没後、息子の恵文王が即位し、商鞅(衛鞅)を処刑。
しかし2人が築いた法は遵守される。
以降も秦は武王、昭王、考文王、荘襄王と続き、より強国となって始皇帝の代へ至る。
って書いてたから恵文王ってなんて愚王なんだ!復讐かよっ!って思ってたけど違ったよ。
ちゃんと彼は彼なりに考えてた。
衛鞅も恨んでなかったし、彼を君主と認めてた。
恵文王が犯した罪は大きいけど、罰として孝公が国をまわらさせたおかげで恵文王は大きく成長できたのね。
卑屈にならずに(なったかもしれんけどw)国を巡って見識を高めた恵文王も立派だ。
車裂きの酷刑を望むところだと、自分の死が秦の為になるならばと死んでいった商鞅あっぱれなり!!
ん~全体的にダイジェスト版なので話が飛んでてわからない所もあった。
最後白雪が出てきたけど公主が出てこなかったし。
公主と商鞅がどうやって結婚したかもわかんないから愛し合ってなのか、決められた結婚なのかもわかんなかったし。。。
全部見たいなぁ~