紀元前4世紀の中国戦国時代。疲弊しきった辺境の弱小国「秦」の君主となった孝公。
彼は秦をより強固に生まれ変わらせるべく敵国・魏を出奔した’奇計の士’商鞅を迎え入れ世紀の法改革を断行する。
献 公(24)
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孝 公(25) 公子虔
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恵文王(26)
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昭襄王(28) 武 王(27)
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孝文王(29)
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荘襄王(30)
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始皇帝(31)
秦と魏の戦いから始まる。
秦は武器もろくに無い食糧もままならい状況で戦争をしていた。
この状況を見て献公の第2公子渠梁(きょりょう)が撤退を提案したが聞き入れられず、その上後軍大将の任を解かれ軽騎兵隊の長に格下げされた。
魏本営でも協議がなされていた。
魏の公子が丞相・公叔座と作戦を練っていた。
この戦いで渠梁が魏の公叔座(丞相)を捕えた。
公叔座が捕らえられたのが魏の本営にも報告が入ったけど無視しろとの命令が下される。
公叔座は秦の本陣に連れていかれる。
魏の公子が打たせた毒矢の前に献公が倒れる。
なんとかその場から逃れられた献公だが重傷をおっている。
献公は渠梁に撤退の指揮権を渡すよう命じる。
夜を徹して秦軍は撤退する。
献公は後継者を兄・虔にするか弟・渠梁にするか悩み選ぶ。
魏が大国で秦が小国だったんだねー。
おじいちゃんが孫と参加してたよ。
渠梁カウボーイみたいに先を丸にした縄で公叔座を生け捕りw
公叔座はそのまま馬にひっぱられて行った。
献公毒矢を打たれてまだ生きてたけど槍とかでやられそうになたった所を渠梁がかけつける。
関羽ばりに強いっ!!!
なんとか生きたまま献公は本陣に戻ったけどやばい状態。
毒矢だもんねー。
この兄弟血がつながってないんだね。
虔は渠梁がふさわしいと献公に言うが本心から言っているのかわからないから献公は疑ってたんだよ。
献公の前ではいい子ちゃんで弟の方がふさわしいと思うって言ってても献公が死んだら渠梁から地位を奪おうとして争いがおきるかもしれないからね。
それを察した虔はなんとっ!!!
指を切断!!
切断した所から流れ出る血で「謀反の心あればいかなる処罰もいとわず」と書いた。
いったぁ~いっ!!!!!
献公は渠梁に「兄弟心を一つにし憎み合うな」っと言った。
虔の血書を渠梁に見せて「虔が裏切った時はこれを公にせよ。誰も反論できない」って言ったんだよ。
「過去の内乱は骨肉の争いにある」って。
献公よくわかってんじゃん。
献公は娘の熒玉(けいぎょく)を呼んで成人の冠を被らせようとした時に倒れて亡くなってしまった。
虔が臣たちの前で献公が逝去した事を言ったら杜摯(とし)が
「虔公子に位を継いでいただこう」と言いだす。
周りの人たちも賛同する。
でも虔は一蹴する。
遺言を聞かず扇動した杜摯の髪をばっさり切っちゃた。
杜摯びっくりしてた。当たりまえかw
虔公子に君主になるよう支持するって言ったのに切りつけられたんだもんねw
今度は逆に周りから「遺言を聞かず私見を述べるとは恥を知れ」「論じても仕方ない。ものには順序がある」等と言われるしまつw
静かになった所で遺言を皆に伝える。
内容は渠梁を君主にして補佐せよとの事。
杜摯は虔に「これでも私を支持するか」と聞かれて謝った。
渠梁が現れて皆平伏した。
こうして紀元前361年21歳で渠梁が君主になった。