ゴジラ復活 | ちんちくりん的視点 “warped view”

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夏休みといえば怪獣映画ですよね☆

いや、ポケモンだよ!とか、ジブリだろ!とか、様々に異論はあるでしょうが、なにしろ今年は10年ぶりにゴジラが復活したのです

というわけで、夏休みは「GODZILLA」を観てきました


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怪獣映画は好きでわりとよく観てるんだけど、怪獣に特別な愛情を感じたりするタイプなわけではなくて、どちらかというと、あのミニチュア模型を駆使した特撮(特殊技術=特技)映像の面白さに惹かれるんですよね

細部にこだわり抜いて緻密に作り上げられたミニチュアセットの見事さ、リアルに見せるための様々な創意工夫、それを惜しげもなくメチャメチャにぶち壊すカタルシス…!

高精細の大スクリーンで観れば作りものなのはバレバレなんだけれど、それでも町ひとつ分を正確に再現した巨大セットが実際に崩れ落ちたり炎上する様は、CGでは絶対に表現できないホンモノの迫力があります

なによりその特撮を支える職人さんたちの高い技術と、モノづくりにかける情熱に感動を覚えずにはいられません…

そんな特撮あってこその楽しい怪獣映画なんだけど、今回のハリウッド版GODZILLAではもちろん特撮は使われてません

そこはすごく残念なんだけれど、以前のハリウッド版GODZILLAの失敗を踏まえた上での今回の再リブートには、別の意味での興味がありました

あの1954年版ゴジラをかなりリスペクトした内容らしく前評判も上々、それでもまぁハリウッドのやることだから、と過度の期待は抑えつつ…で、結論から言うと、思ったよりかなりよかったです☆
いろんな意味でとても楽しめる映画でした

脚本、キャラクター、演出、音楽、すべてよく練られていたし、なにより今回はGODZILLAがちゃんとゴジラだった!

製作者のゴジラ愛、感じます

CGも懸念してたような違和感はなかったし、スケールは大きいし、スピード感もあって、有無を言わせず盛り上げていく演出は、さすが

お約束のご都合主義も、奇人変人も、タフガイも、適度な感じで楽しめたし、人間ドラマにも共感できました

費やす時間も資金も人材も日本とはケタ違いだから、単純に比べるわけにはいかないけれど、これまでの東宝ゴジラのどれよりも面白いし、完成度が高いです…悔しいけれど

ただ、それは日本で長年蓄積してきた怪獣映画の下地があったからこそであって、”ゴジラは一日にしてならず”を実感して、感慨深くもありました


以下、ボクが観ておもしろかった点を列挙してみます

※ネタバレありなので、まだ観ていない方はご注意ください!!








●ゴジラ vs ニッポン

ハリウッド製とはいえゴジラなので、日本や日本人がたくさん出てきます

だけど、やっぱり外国人が日本を描くとどうしてもヘンな日本(日本人)になる…これはどうしようもないのかな

とりあえずしゃべってる日本語がなんかヘンw 内容も発音も…思わず笑っちゃいます

そして日本といえばやっぱり富士山が出てくるわけだけど、その裾野になぜか原発があるのです

富士を背景に、もくもくと蒸気を上げる冷却塔が建ち並ぶ風景は、かなりショッキングでした(ちなみに日本の原発に冷却塔はありません。あれはなぜかビジュアル的にすごく怖い…)


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(下)スリーマイル島原発



いくらなんでも日本一の活火山の麓に原発なんか作るもんかっ…?!って、でも実際には活断層の上に平気で作ったりしてるんだよね…((T_T))現実は怪獣映画より奇なり

さらにその近くには新宿副都心のような高層ビルが建ち並んでたりして、それいったいどこなのよ?w

日本のイメージ=富士山、高層ビル、、、いつまでたってもステレオタイプな表現、なんとかなりませんかね…そこに今や原発事故が加わってるとか…不名誉な名物です><

ゲイシャさんやサムライが出ないだけまだよかったけど…



●ゴジラ vs アキラ・タカラダ

ゴジラといえばこの人、宝田明さん☆あの1954年版ゴジラに主演された方です

今回の映画にカメオ出演すると聞いていたのだけれど…そういえばどこに出てたかわかんなかった( °д°)

と思ってたら、出演シーン全部カットされたとか???ホント????なんでww

ゴジラファンはみんな楽しみにしてたハズなのに…?


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(上)ゴジラ出演時の宝田明氏 
(下)60年後のGODZILLAを宣伝する宝田明氏





●ゴジラ vs ラストサムライ

渡辺謙はちゃんと出てました!なんと芹沢博士役で( °д°)

芹沢博士というのは、1954年版ゴジラに出てくる最重要人物で、ゴジラを倒す最終兵器を開発する科学者なんだけど、今回の映画の芹沢博士はただゴジラに詳しいというだけで、大した活躍がないのがザンネン(>_<)

せめて眼帯でも付けていれば、もうちょっと存在感出たのかも…(それじゃあ独眼竜か!?)


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(上)芹沢博士(1954年版) 
(下)独眼竜正宗



そんな芹沢博士の最大の見せ場は、映画の中で最初にゴジラの存在を説明するシーン

We call him "GODZILLA"

と、ゴジラの名を初めて口にするところで、彼は"GODZILLA"をあえて日本語で"ゴジラ"と発音します

さすが、日本人としてのプライドと心意気は天晴れ!…と言いたいところなんだけど、こだわりどころがちょっと違うような気がする…

とりあえずせっかくの緊張感を台無しにしてるのは間違いないし、意味的にも、ここは英語で"GOD-ZILLA"と、きちんと"GOD"を発音しなきゃいけなかったんじゃないのかな…?

「人間が傲慢なのは、自然は人間の支配下にあり、その逆ではないと考えているところだ」

ラストのセリフも、説得力が半減してしまいます

理由は後で述べますけど



●ゴジラ vs ガメラ

一番驚いたのは、敵怪獣として登場するMUTO、怪獣好きなら誰もがそう思ったと思うけど、

あれギャオスじゃん!

一目見てあの顔はギャオスだし、その生態や振る舞いもギャオスそっくりです

ギャオスはガメラに出てくる敵怪獣で、ガメラはゴジラに対抗して大映が作ったいわばライバル怪獣です

そこから拝借するのってちょっとどうなの?


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(上)MUTO (下)ギャオス



ギャオスばかりでなく、ストーリーというか設定も平成版ガメラにかなり似たところがあります

ゴジラはもともと水爆実験によって覚醒・変異してしまったモンスターで、核エネルギーを喰い、放射能を撒き散らして町を破壊するんだけど、この映画では、原発に巣食って町を壊すのはゴジラじゃなくMUTOの方なんだよね

ちょっとあれれ?という感じ

MUTOは繁殖のため、雌を求めて日本からハワイを経てサンフランシスコへと移動、それを追ってゴジラもアメリカに上陸します

ゴジラがMUTOを攻撃するのは、それが自分の存在を脅かす天敵だからであり、MUTOはゴジラが持つ放射能エネルギーを求めて襲いかかります

ゴジラは自然界のメタファーとして、自然のバランスを壊そうとする者を排除し、均衡を保つ役割として描かれているのです

ゴジラ=GOD-ZILLA=神獣

ここでいう"GOD"はむろん一神教の神ではなく、八百万の神です

人間の敵でも味方でもなく、畏怖するべき大いなる自然の摂理そのもの…

それガメラじゃん!!!


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(上)「ガメラ3 邪神覚醒」 
(下)「GODZILLA(2014年)」予告編




●ゴジラ vs ゴジラ

怪獣映画を観る度につくづく思うのは、怪獣自体がそもそも荒唐無稽なものだから、それを大人の鑑賞に堪えるものにするのは、なかなか難しいんだろうなということです

科学的に整合性を保とうとすると、怪獣は限りなく恐竜に近づいていってしまうし、リアリティを追求すればするほど主役の怪獣が陳腐なものに見えてしまう、というジレンマ…

しかも、怪獣映画はあくまでも子どものものという大前提は崩せないから、子どもが理解できて楽しめる健全な内容でなくてはならない、となるとハードルはさらに高い…

怪獣を怪獣として、ある程度わかりやすく、かつリアルに存在させようとしたら、神話もしくはオカルト的な解釈に行き着くしかないのかも知れません

平成版ガメラ3部作は、まさにそういう意味で、1954年版ゴジラ以来、怪獣映画の新しい完成形に辿り着いた作品なんだと思います

だから今回のGODZILLAがガメラに似ているのは、当然なのかも知れません

その平成版ガメラに携わった二人の監督の後の作品、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(金子修介監督)も『巨神兵東京に現る』(樋口真嗣監督)も、やはり神話・伝承を元に、怪獣(怪物)を超自然的な概念として描いています

金子監督のゴジラは、歴代ゴジラ映画の中でも最も面白く、納得のできる内容だと思ったけれど、公開時のファンの反応は「これはゴジラじゃない!」と、案外不評だったらしい…

ガメラの二番煎じのような内容では、怪獣王ゴジラのファンは納得できなかったのでしょうか…(めんどくさ!)

1954年版のゴジラの呪縛って、結局ゴジラ映画では破ることができなかった、ということなんですね…ちょっと皮肉なことですけど

ゴジラを超えるゴジラは撮れない…!



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(上)「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」 
(下)「巨神兵東京に現る」




●ゴジラ vs GODZILLA

ところが、日本人には禁忌なことであっても、外国人はいともあっさりやってのけてしまうわけです

今回のリブートの最大のポイントは、ゴジラが水爆の落とし子であるという大前提を放棄したことでしょう

もちろん放射能汚染とは無関係ではないものの、ソ連やアメリカが繰り返した水爆実験は、ゴジラを産んだ引き金ではなく、出現したゴジラを倒すための極秘作戦行動だった、というわけ

ゴジラから反核のイデオロギーを排除して水爆実験を正当化しつつ、しかも「1954年当時の放射能汚染の高まりとともに、ゴジラが地上に現れた…」という設定(現象)はちゃんと受け継いでいて、東宝ゴジラの顔も見事に立ててある

これならファンも納得だし、日本とアメリカが歴史的・政治的なわだかまりなくガッチリ手を組んで戦えるし、ゴジラでありながらガメラでもあるという、科学と超自然の融合も可能になるわけです

「反核の縛り」と「ライバルの垣根」、この二つの禁忌を軽やかに飛び越えて、新生GODZILLAは産まれたのでした

唯一おもしろくない思いをしてるのは、ガメラかもしれませんけど( °д°)


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(上)「ゴジラ(1954年)」 
(下)「GODZILLA(2014年)」




●ゴジラ vs 3.11

ここまで長々と書いてきましたが、ただただ怪獣映画おもしろい!では済まされない、別な思いもやはりあるわけです

9.11以来、ハリウッドはしばらくお家芸のアクション・スペクタクル映画が撮れなくなったし、ボクたちもそうした映像を観ると、どうしても震災を思い出して純粋には楽しめなくなりました

最近は、自然災害、大事故、テロ、紛争…特撮に頼まなくても非日常的な映像が、毎日のようにニュースで流れてきます

こんな時に不謹慎に怪獣映画なんか観て喜んでる場合なのか、と思ってしまう…

でも、こういう時だからこそ、子どもたちには怪獣映画が必要なんじゃないかとも思うのです

今、日本で原発事故が起きたり街が無残に破壊されていく映画を作ることの意味、それは今ボクたちが直面しているこの危機を、フィクションというフィルターを通して端的に映し出すことだし、その危機をどう受け止めどう立ち向かって行くべきなのかを問うことでもあります

「もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類がまた世界のどこかに現れてくるかもしれない…」(1954年版ゴジラのラストシーン)

空想の生き物とはいえ、怪獣が地球上の生物である以上(もしくは地球に脅威をもたらす存在である以上)、物語の根底には「いかにして地球を(人間を)守るか」というテーマが必ず流れているからです

このGODZILLA復活は、だからボクはとても喜ばしいことだと思っています

次はキングギドラやモスラが登場する続編が決まっているそうで、それもまたすごく楽しみになってきました☆


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「ゴジラ(1954年)」



その前に、樋口監督の「実写版・進撃の巨人」も公開されます

怪獣映画とはちょっと違うけど、樋口監督がまたアッと言わせる特撮を見せてくれるに違いありません

配役がどうのこうのと批判的な意見も多いようだけど、それはそれとして、巨人が恐ろしく残酷に大暴れしてくれさえすれば、ボクはとりあえず大満足なんです!


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(上)「ゴジラ(1954年)」 
(下)「スバル フォレスター」CM



(ところでミカサと兵長は誰がやるの?)





〓ちん〓