先日、大好きだった祖母を亡くしました。
祖母にとってみれば外孫であるもの初孫だった私をホントに大事にしてくれた思い出ばかりです。
7年前に祖父が亡くなるまでは小さな体で脚が悪くても杖をたよりになんでもこなしていた祖母が、
急に老いたと感じたのが叔母夫婦と同居を始めてからでした。
歳の割りには耳もよく聞こえていたし裁縫も普通にこなしていたのに、
自分でなんでもやらねばという責任感が少しなくなったコトで、
車椅子生活、そしてここ1、2年は食事以外はベッドの上で過ごしていた毎日で。
最後に会ったのは去年のお盆でした。
段々とうまく動いてくれない自分の体を老いを受け入れられず、
どんどん口調が強くなる祖母を見ていられなくて私は会いに行くのを避けていました。
介護施設に入所しているわけでもなく、
自宅にいたのに…。
もしも亡くなったら自分は不幸ものだと後悔するだろうと思っていました。 やっぱりいま痛切に感じてます。
祖父は脳梗塞で入院した病院で夜中急変し、
巡回にきた看護師さんが気づいたのは息を引き取った後。
誰にも看取られず逝きました。
そしてその1年後、私の実家の祖父も訪問看護に来てくれた看護師さんが亡くなっているのを見つけたという悲しい最期でした。
祖母はそんなことにはなってほしくないと思っていたのですが、
叔母が朝ご飯を運んできたらイビキをかいて寝ていたそうで、ゆすっても起きなかったのでショートステイに行った疲れが出たのだろうと2時間寝かせ様子を見ることに。
前日の夜から様子がおかしくよく寝ていたし、話もあまり聞こえていないような反応で、
今となってみれば恐らく血中酸素が徐々に低下していたのだと思われます。
10時半に呼吸は止まっていて、叔父と二人でゆすったりしても反応がなく、
訪問看護の方に来てもらい見てもらったところ要請した救急車に乗せて病院に行っても手遅れだとのコトで…。
医師の検死が終わった11時43分死亡となりました。
母から連絡を11時50分にもらい、急いで駆けつけて見た祖母の顔はほんとうに安らかでした。
肩や脚が痛いと言っていたからこれで楽になれて良かったのかもね、と叔母が話してくれたらそんなに涙は出ませんでした。
花や樹木が大好きだった祖母が桜が満開の時に旅立てたのは幸せなことだったのだと思います。
庭には今でも花や樹木で溢れていて、近所でも評判の良かった家でした。
戒名は桜という漢字から始まります。
それをお通夜の席で聞いたら嬉しくて涙が止まらなくなりました。
そして、棺に入れてあげるときには大好きだった雪柳を沢山入れてあげました。
翌日、火葬場の炉に入れる瞬間、とんでもない無の瞬間に心が空っぽになってしまい、しばらく泣き止むことができなかった私。
高校生のとき祖父と三人で石川に旅行したのがイチバンの思い出です。
結婚式にも招待できて嬉しそうな顔が見れました。
来年も咲く桜の季節は、祖母を毎年近くに感じる季節になるのだと思うと、
祖母がこの季節に逝ったのは祖母が選んだのかも、と従姉妹が話していました。
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