必死な毎日が続いていて、ブログが書けなかった。

2022年の元日を迎えて書いた前記事。
しかし。朝のゴハンを、吐かせてしまった。
わたしが元旦に起きていることなどまずないのに、珍しく午前中に起きていて、
サバちゃんに元旦のゴハンを与えて、吐かせてしまったのだ。

起こしてくれるだろうと思って、うっかり6時間も寝てしまったのだ。
サバちゃんは空腹で、もうウックンウックン言っていた。
柔らかいめの缶詰にしてすぐに与えたが、もうダメだった。
元旦早々吐いてしまって、ああ、昨夜書いた記事は何だったの、
なんで起きられなかったの、元日早々吐かせてしまうだなんて。
わたしは自分を責めた。

だってサバちゃんに非はない。

一方的にママが至らない。
それを、忙しすぎた当時は、吐いたと言ってわたしは怒った。
怒ってどうなる。
わたしは完全にサバちゃんに甘え切っていた。

思えばわたしも吐く子供だった。
子供当時だけでなく、自分で車を運転するようになるまでは、乗り物酔いが強かった。
特急列車でも酔うので、当時あった「食堂車」に、行きたかったが、一度も経験はない。
車などない貧乏な家の育ちなので、人さまの車に乗せてもらう。
わたしは必ず酔う。
なのに、外面だけがいい母はわたしのことには関心がなく、
おしゃべりばかりしているので、

母が振り返ったころにはもう既に遅しという事態であった。
母は怒り狂ったが、自分の子供が吐く子であると、なぜ認識しないのか、
子供心に不思議で腹立たしかった。

わたしの息子も酔いやすくすぐ吐く子だった。
どれくらい酷いかというと、公園のブランコで酔うレベル。
車はもちろん、新幹線でも危ないので、
わたしは規制するときの二時間の新幹線、ずっと息子の顔色を見ていた。
本などを見せると吐くので、わたしが息子の耳元で、小さい声で二時間、延々歌を歌った。
朝の子供番組の歌の分厚い本を持って乗って、
それを延々二時間歌うのだ。

それでも、小学生でもまだ酔いやすかった。
そして、吐く猫との暮らし。
これはわたしの「カルマ」である。

サバちゃんは小さいころからとにかくよく吐いた。
猫は吐きやすい動物です、と聞いても、
この子の吐き方は普通ではないと、担当ドクターに言われた。
今は病気で吐くことが増えてしまったが、もともと週イチで吐く子なのだ。
今回、内視鏡検査で見てもらい私たちも画像を見たが、胃は綺麗だった。
ツルっとしていてピンクで健康そうだった。
問題は十二指腸。ここが病変している。
それと、胃と十二指腸を繋いでいる「幽門」が大きい。
これが、この子の体質を決めていると言える。
吐き戻しやすいのは幽門がゆるいからなのだ。

元旦に吐かせてしまい、わたしは泣いた。
やって来た夫に「サバちゃんが起こさないの。」と泣くと、
「じゃあアラームかけて自分で起きればいいだろ。」と正論を吐いて帰った。
この男には優しさというものがない。
責任感はあるかもしれないが、優しくされたことはないと断言する。

そこから、三時間でアラームを掛けて、起きてゴハンを与える怒涛の毎日。
眠くてフラフラで、わたしは使い物にならない。
12月は結構仕事をして収入を得たが、年が明けてからは全く何も出来ない。
いつ寝ているのか起きているのか自分でもわからず、薬の飲み方もおかしくなってしまった。
ひたすらサバちゃんの顔色をうかがいながら、
とにかく吐かせないように、薬が飲めるように環境を必死で整えた。

けれど、吐かない日が続いて、一回40グラム食べられるようになって、
ちょっと楽になったとき、油断した。
一番好きな缶詰で、これで吐いたことがないため、買い物から帰宅して、
急いで与えて、
様子を見ていないで、キッチンで片づけをしていた。
異変に気付いて戻ると、うっくんうっくんしており、ちびバケツを差し出して吐かせると既にそれは液体だった。
つまり何回か吐いた後だったのだ。
 

見回すと、オープンベッドから下に向けて大量に。
ラグの上に大量に。
わたしが受けたのは3回目。
そのあともわたしの布団の上で4回、5回と吐いた。

それでも多いほうだ。完全に油断していた。
一旦自分のベッドに入ったが、また飛び出して行ったので追ってバケツを差し出すと、
6回目、そして息づぎする間もなく7回目と、いずれも大量の水分を吐いた。

これは尋常ではない。
この日は悪しくも木曜日。担当の先生の休みの日だ。
時計は11時59分。
わたしはまず、動物病院に電話をした。
休みの日でも担当医に連絡をお願いすれば、指示を出してもらえるとあらかじめ聞いていた。
電話口で、尋常ではない吐き方をしたので、飼い主目線では、明日まで放置できない、
すぐに吐き気止めの処置が必要なレベルであると思うことを伝えた。

受付の人がしっかりしていて、きちんと様子を聞いて、
担当医からの指示を聞いたら折り返し電話してくれることとなった。

この日。
東京は大雪であった。
前回、ひどい状況になって預けに行くときも雨嵐で、
夫が出張で留守だったので、わたしは撥水の大風呂敷でくるんだキャリーを背負って、
タクシーで病院に行ったのだった。

順調に、6日間頑張って来たのに。
眠くてフラフラでも、吐かないようにするために必死に頑張ったのに。
注意深く観察していれば、食べ始める時に、「なんかおかしい」って絶対に気が付けたはずなのに!

やっと40グラム食べられるようになったのに。
40グラム食べさせられればわたしは4時間半、眠れる。
けれどこれでまた、振り出しに戻り、またスープからのリスタートだ。

それでも前夜、抗がん剤を飲めていたことはラッキーであった。
そうとでも思わないとやり切れない。
こんなに必死に頑張って来たのに。
皆さんも沢山祈ってくださってるのにと、
心から辛かった。


2022年1月10日
 

今の夫と出会う以前。
わたしは再婚を約束して付き合っていた人がいた。
その時期である。すごく印象の強い夢を見た。

軽トラックの荷台に、細い小さな、美しい、流し目の、白蛇が乗っていて、
その両脇に、セントバーナードが座っていた。
「アルプスの少女ハイジ」に出てくる「ヨーゼフ」という、あの犬。
軽トラの荷台だと思ったのは、色がまさしく、昭和の軽トラの浅緑色だったからだ。

起きてから、あまりにも鮮明なその画像が頭から離れず、白ヘビ? セントバーナード?
軽トラ???
と疑問だらけだった。

何日もそれは頭に残ってて、目つきの色っぽい白ヘビさんが気になって仕方がない。
あるとき、ふと、気が付いた。
両脇にセントバーナード。
いや、それ、「狛犬」じゃないの?

おお。
だとしたら、白ヘビさんは、何かの神様だ。
軽トラに乗ってたということは、来なさい、ではなくて、来てくれたという意味だろうか。
白ヘビさんは神様そのものではなく、神様の使いなのだろうか???

確かめようもないまま日にちが過ぎて、
その年が明け、付き合っていた彼は、
わたしと出会う前に起こしていた大きな事件で、
東京地検の特捜部に逮捕され、わたしはそれを新聞記事で知ることになった。

その後のことは省くけれど。

Facebookに登録して発信するようになって、
色々な人と知り合ったが、中で、自分の生まれ育った町の、山一つ反対側で、
暮らしている人と知り合った。
わたしの住んでいた家は山を切り崩して作られた住宅地で、その裏山はハイキングコースになっており、
登って、反対側にある道を下ると、そこに彼女が住んでいるという、不思議な出会い。
彼女は巫女体質で、いろいろなことを解明してくれた。

わたしが裏山で自分で掘った水晶がある。
本当はもっと沢山持っていたのに、関東圏の山のないところのいとこたちが遊びに来た時、
ちょうだい! ちょうだい! と、勝手に持って行ってしまったため、
小さいものが3個残っているだけだった。
その写真を見せたら、「それ、龍の玉だよ?」と言う。
いとこに取られてこれしか残ってないと話したら、そのいとこたちがどうなったかを聞かれた。
一人は女性で、結婚することなく実家の近所で一人暮らし。
一人は、40歳過ぎてやっと結婚出来たが、たった1年で離婚。
もう一人は、事故で亡くなったと話すと、

本来の持ち主であるわたしから、分不相応なものを奪って持ったために、そうなったという。
わたしは、白ヘビさんの話をした。
それがあなたの龍神さまだと言われた。

ちっさ…。
でも、軽トラで、まだ蛇くらいの細さで来てくださったのだから、お祭りして、
お育てしたほうがいいのか?? 
とにかく、そこに、わたしを呼んだ鏡と、「龍の玉」と言われた水晶と、
お酒を持ってないので、お米とお水をお供えしている。

サバちゃんはガンなので、抗がん剤は飲む。
低グレードのリンパ腫なので、低グレード用の治療、飲み薬である。
一回挟んだ、高グレード用の治療は点滴と注射であった。

診察日に吐いてしまい、一日置いてまた吐かせてしまい、
サバちゃんが起こしているのにわたしが起きられていなかったのか、
それともサバちゃんが遠慮して起こさないで我慢していたのかがわからないので、
睡眠薬を全く飲まないで寝てみた。
すると、体は眠っているのに脳が眠れない。
寝ているんだから、と言い聞かせてもずっと緊張が続いており、
考えもしており、かけたアラームの前にサバちゃんが起こしに来たので、
ご飯を与えて、わたしもちょっと何かしていて、またしんどくなったのでウトウトして、
仮眠×3回とかしたら、疲れがすごくて参ってしまった。これは参った。

やはり一回は睡眠薬を飲んで深く寝て脳を休ませないと、こっちが先にバテてしまう。
仮眠+睡眠薬睡眠+仮眠、で、一日の半分をベッドで過ごしていた。

作品の委託をしている店のおかみさんも龍神信仰である。
しかも猫13匹を飼ってて、サバちゃんのことを話したら、
押しつけがましくなく、いろいろ情報をくれたり、余ってるパウチなどを送ってくれた。
年末に江の島の龍神さまにお参りに行くというので、

サバちゃんの写真をスマホに送り、悪いのが十二指腸なんだと伝えて、
お祈りをお願いした。

とにかく、吐くと誘発されるので、吐かせない暮らしが大切だ。
そして快適な暮らし。ストレスがなくワガママが言えるお姫さま暮らし。

おかみさんは、ちゃんとお願いしてきてくれて、龍神さま像の写真も送ってくれた。

その日。サバちゃんは、硬い「ウン〇」をした。
健康だったころのようなしっかりとしたものだった。
記念に取っておきたいくらいだった。
欲しがる頻度も多いが、わたしもこの年末には仕事の手を休めて、とことん付き合う気でいた。
猫二匹のような、うとうと暮らし。何度も食べるサバちゃん。

サバちゃんはその後に二度目のウン〇もした。それもしっかり硬かった!

抗がん剤の効果がやっと出て来たか。
年内に第14回までを飲めた。

それとも、祈りの力、であろうか。


「祈り」が有効であるということは、アメリカで実験されて証明されている。
わたしたちにも毎日癌細胞はできるが、「笑い」がそれを殺してくれて排出している。
だから、癌細胞の数が増え過ぎない限り発病はしない。

龍神さまが育ってくださったか。わたしももちろん毎日お参りしている。
けれど、サバちゃんに会ったこともなく触ったこともない方が、
祈ってくださること、それはすごいパワーなのではないかと思っている。

今、わたしは、一番「祈り」が欲しい。
いくらお金があっても買えないもの、「祈り」。

軽トラでやってきてくれたわたしの白い小さい龍神さまは、
今、どんなお姿をしているのだろう。


2022年1月1日。
 

 

子供のころ、漫画を読んでいて、か弱き女性が気絶するシーンで、
「そんなの嘘、優しくされたくて、フリをしてるだけでしょ?」と思いながらも、
そういうことが出来る女性に、おそらく、憧れていた。
わたしは、ストレス過多で、毎週土曜日の夜になると熱を出す子供だった。
共働き家庭で、父は交代勤務なので日祝盆正月まったく関係ない。
やっと明日休み、というときにわたしが毎週熱を出すので、
毎週わたしは母親に怒鳴られた。

熱を出す理由があるんだよ。
それは体由来じゃないんだよ。

誰からも優しくされず、寝ていると怒られ、起きていると怒られ、
わたしの少女期に幸せだった思い出は全く存在しない。

うつ病を発症して、気絶するということが自分の身に起きていることを初めて知った。
最初はわからなかった。
立っていていきなり倒れるとか、ふらふらしてあ~れ~、というのではないからだ。
激しいストレスにさらされたのち、それに耐えて耐えたあと、
気が付くと、時間が飛んでいる、という感じなのだ。
いきなり倒れるのではなく、なんか変…と座るなり横になるなりしているので、

それが睡眠ではなく「気絶」であると、わかるまでだいぶかかった。

診察で、わたしのレポートを読んだドクターが、嘔吐が減っていないことを危惧して、
今のままの治療でいいのかどうか、超音波検査と血液検査の結果で話し合いましょう、と
サバちゃんを預かって行って。
激混みの待合室で小さくなって座っていた。
そうだ、軟便であることも気にしてらしたけど、全ての回、撮影してあるのだから、
写真見せれば良かった、と、すぐに写真を見せられるようにして待った。
 

やがて呼ばれた。
血液検査の結果は、全く、一つも、問題がなかった。
何も悪化していなかった。
腎不全用の薬を飲ませられてないにも関わらず、腎臓も悪化していなかった。
超音波では、3:40に食べたフードは胃にはもうなく、ただ十二指腸の動きがどうしても悪くて、
蠕動運動がうまく働いていない。
吐く理由はそこにある。
今、低グレード用の抗がん剤と、ステロイドでの治療だが、ハイグレード用の薬を挟むかどうか。
通院の頻度が増えてストレスが増えること、若干の副作用は否めないこと。

わたしはそこで、一番新しい便の写真を見せた。

レポートには「軟便」と書いたが、ぱっと見は、もしかしたら普通の硬さかも?と思わせるような「形」があること。
けれどスコップで救うとクタ~っとなってしまう、ホイップくらいの柔らかさであること。
そしたら、先生の顔がパッと明るくなったのが見えた。
「これくらいなら、このお薬を飲んでる子としては、普通です。もっと柔らかいのかと思いました。」
そこで夫が「このままで、継続という選択もありますか?」と尋ねて、
そうしましょう、という方向に決まった。

体重が増えていること、本人の機嫌がよく、食欲も旺盛であること。
ならば、もうしばらくこのままでいきましょう。いい結果が出ないなと悩んでいても、
3か月・4か月たって急に改善する子もいるので、とのことだった。

おそらく、それはもう、科学の範疇を超えている話であろうと思う。

絶対大丈夫。きっと良くなる。
わたしが信じなくて誰が信じるの。

その日は気分も上がって、サバちゃんもワガママを言って、可愛かった。

けれども。
10月からずっとこのような緊張感。
そろそろママにも疲れが見えて来ている。
起こされたら起きてゴハンをあげられるように、睡眠薬を三分の一に減らしてもらったのだが、
サバちゃんが起こさないで遠慮していると、
うっかり9時間も寝てしまうことがあった。
それとも、起こしたけど気が付かなかったのだろうか?

昨日も、目が覚めてもぞもぞしたら、サバちゃんが自分のドームベッドから出て来て、
わたしを舐める。
それが、もう空腹の限界が来ていて、うっくんうっくん、言っているのだ。
わたしは飛び起きて、これは、いきなりフードはダメだと思って、
まず胃を落ち着かせるために、ちゅ~るを与えた。
そして、しばらくしてから、柔らかい缶詰をチョイスして、少しの量を与えた。
そうやってこまめに与えて何とかやり過ごしたかった。

けれど、食べて数分でベッドから飛び出してきて、ラグの上に来た。
ああ、ダメだった…吐くんだ…。
サバちゃんは、吐くときにはどうしてもラグに居たい。
ちびバケツを持って傍に座り、やさしく背中を撫でる。
二回に分けて、吐いてしまった。
 

…わたしのせいだ。わたしのせいで吐かせてしまった。
一昨日吐いたばかりなのにまた吐いた。
空腹すぎるのを我慢させてしまった。

わたしは自分を責めて責めて、泣いた。
サバちゃんはオープンベッドで休んでいた。

一時間しないで、けろっとして、スープを飲むと言ってきたので、

ちゅ~るを溶いた豪華スープを与えた。
そしたら綺麗に飲んで、ドームに入った。

わたしは心配で、ドームを覗く格好でベッドに居て見ていたが、
そこから記憶がなく、
ハッと気づいたら日付が変わってしまっていた。

あ…気絶してた。
まただ…。

実はサバちゃんがガンだとわかってから、こんな風に何度も気絶してる。
出かける日がほとんどなく、誰とも会わないので気が付かれないが、
眠ったのではない。気を失ったのだ。

サバちゃんは、今日はあまり欲しがらない。ステロイドもまだ飲ませられていない。
今、ファンヒーターにあたりに来ている。

夫が来たので、サバちゃん、起こさなくて、空腹過ぎて吐かせてしまった、と泣いたら、
「アラームかけて自分で起きればいいだろ。」と正論を吐いて行った。

だれも優しくしてくれない。
サバちゃん、パパは冷たい人だよ。
ママが手術するときだって「死ぬわけでもないくせに」って言ったような奴だよ。

二人で頑張ろうね。ずっと二人だよ?



2021年12月29日

泣いているわけにはいかない。
サバちゃんはわたしが思ってた猫ではなかった。
ちょっとおバカで、そこが可愛いと思っていた。
けれどそうじゃなかったんだ。

最初から、わたしを救うために、来てくれた猫だったのだ。

子猫で、まだ目が青くてちょっとアホそうな顔をしていても、
常にわたしの顔の横で寝ていて、
当時わたしはまだ、四六時中泣いていたので、いつも涙を舐めてくれていた。
それがこの子の使命だと気が付いたのが遅すぎた。

わたしが具合が悪くて寝ていると、必ず上に乗る。
一時は6キロ越えの猫だったので、重くて苦しいのだが、
サバちゃんはわたしから「悪い気」を吸っていたのだ。

そしてわたしが動けるようになると、サバちゃんが大きく体調を崩す。
当たり前だ、その小さい体で大人の邪気を吸ったら、具合が悪くなって当然だ。

わたしが胸の腫瘍の手術をしたとき。
正直、開けて見ないと、どう転ぶかわからないような状態だった。
悪性度は低いとは言われても、リウマチ持ちで血液検査で炎症反応が出るのが常なので、
腫瘍の炎症であるのかそうでないのか、開胸しないとわからなかった。
腫瘍は縦郭という、喉と食道と、肺の間の隙間に出来ていたが、
大きさは5センチほど。子供の握りこぶしくらいあって、
それが肺に癒着していれば、肺を削るかもしれない。
食道に癒着していて、癒着部分が悪性だったりすれば、切り取るしかない。

サバちゃんのことは行きつけの動物病院に併設のペットホテルに預けた。
可哀想だが仕方がない。
幸い、わたしの腫瘍は悪性ではなく、胸膜に癒着していただけで、
教授の指示で、腫瘍だけでなく胸腺も切り取ったということだった。
胸骨を横にバンバン切って胸を開き、それをワイヤーでビヨンビヨンと繋いである。
レントゲンを見ると笑える図柄だ。

退院してきたとき、まだサバちゃんを連れ帰って来ていなかった。
サバちゃんがいない、と、わたしは声を上げて泣いた。

サバちゃんは、帰宅すると、わたしの胸の上に乗った。
胸を手術するとは言ってないのに、お腹ではなく胸に乗った。
骨折状態であるので、わたしは1キロ以上のものを持ってはならず、
サバちゃんを抱き上げることも禁止だったが、
そうもいかない。
何度下ろしても、胸に乗って気を吸おうとした。

いま、わたしの身代わりで癌になったのだ。

12月27日月曜日、年内最後の診察日。
いつものように丁寧なレポートを書いて、8時50分には病院に到着できるように出発した。

↑これは過去の一例。
けれども年末とあって病院は激混み。
一時間ほど待ってから呼ばれた。

嘔吐が減っていないことを先生は憂いていた。
3時に食べた切りで連れて来ていたので、そのフードがどうなっているかを超音波で見て、
血液検査の結果でまた相談しましょう、となった。

そこでサバちゃんを出して、体重を計った。
4.9キロに、増えていた。

5.3キロだったサバちゃんが4.6キロにまで減って、
顔は明らかにやつれて張りがなくなった。
ブラッシングしたらブラシがコンコン骨に当たることが辛い。
三時間で二個のトイレを埋め尽くすような下痢、床一面の嘔吐…。

今が底、今がどん底! と、自分に言い聞かせて、必死にケアをした。
食べたいと言えば、量の加減はするが何らか必ず与えた。
多い時には一日9回もの食餌。
新生児への授乳より多くないか。
眠いのをふらふらで与えたこともある。

誰も見ていない。
誰も知らない。
だけれども、4.6キロから、4.9キロに、増やせたんだ…。
たった300グラムだけれど、5キロのうちの300グラムというのは大きい差である。

誰も褒めてくれない。
誰も認めてくれない。
けれど、二人で頑張って頑張った結果の、300グラム。

大切な大切な300グラムなのだ…。



2021年12月28日。

わたしは安全ではない家庭で育った。
食生活もひどかった。ゴキブリも寄って来ない「食べるプラスティック」であるマーガリン。
わたしの朝食はトーストにマーガリンを塗ったもののみであった。
ご飯に味噌汁に目玉焼きとか、そんな朝食はただの一度も経験がない。
蕁麻疹や、アトピーを発症して当然だったと思う。

精神的に甘えも許されず、泣くと怒られるので、外に行って泣いた。
自分の部屋がなかったから外に行くしかなかった。
月を見上げて、親から責め立てられていて辛いことを羅列し、
それらを解消できるようにいつも祈った。
辛い思い出しかない、子供時代。
家事負担も重く、宿題ができないことすらあった。

最初の結婚でもひどい扱いを受け、離婚して世間から子供を一人で守り、
役所と闘いながらあらゆる援助を受けて育てた。
息子が就職したときに出会った人と再婚するつもりでいたが、
その人は裏で大事件を起こしており、ある日東京地検の特捜部に逮捕されてしまった。

わたしは支えを失くし、鎧が崩れ落ちて立っていられなくなった。
うつ病と診断されるまで一年半かかった。

もう、人生で、充分に傷ついているのだよ。
本当にもう、勘弁してもらいたい。
今の夫とは別居婚だが、夫もわたしを責める。母と同じである。
寝ていると怒り、起きていると怒る。

サバちゃんの抗がん剤を入れたフードを、吐かれてしまったときのショック。
先生に聞いた通り、吐しゃ物から救い出せたらすぐに拾ってやり直し、
見つからなかったら、過剰投与が怖いので諦めること。
ちびバケツの中の吐しゃ物を探りに探ったが、薬を発見できないまま第二波を吐かれた。

抗がん剤は一回一回がすごく重要なのに!
わたしは、自分の不十分な準備を呪った。
ものすごく辛い。

今の夫と再婚したことを悔いてはいない。
生活に困らなくなり、息子にも良くしてくれるし、
猫も飼わせてくれた。
けれども、彼にとってわたしは自己顕示欲を満たすための道具であり、
思い通りにならないことでイラつく相手であり、
自分がさほど愛されていないことも悟っている。
だから責めるのだ。だからわたしは、夫に会いたくない。

サバちゃんのことでもう心はいっぱいいっぱいなのだ。
全然平気ではないし、平然となんてしていないし、
寝る前にサバちゃんを撫でながら、「お願い、死なないで、死なないで、ママを一人にしないで…。」と、涙をボロボロこぼしているのだ。
けれどそんなことは夫には言わない。彼もまた、甘えさせてくれる人ではないから。

一人にして。放置して。
そう宣言してここしばらく会ってない。
干渉されたくない。責められたくない。
絶対に「それいいね」とは言わないし「頑張ってるね」とも言わないのだ。

サバちゃんと二人で迎えたクリスマス。
何もイベントはない。
淡々と家事をして煮物を作りご飯を炊く。
淡々と発送作業を行う。
新年の特集に使う石や金属パーツを買い集める。
寝る前に少しだけYouTubeを見る。それのみが娯楽。
どこにも行かず誰とも会わず何のイベントもない。
年末年始もそうしたい。夫に来られたくない。
サバちゃんと二人で淡々と過ごしていたい。

もう充分傷ついている。
癒しをくれるサバちゃんと二人でずっといたい。
 



2021年12月25日

わたしは精神疾患患者で、うつ病と診断されてからもう16年。
躁転して診断名が迷走し、誤診されて違う薬を飲まされ副作用に苦しんだ数年。
やっといい先生を紹介していただき、薬の微調整のために毎週毎週、片道一時間半の道のりを通うこと4か月。
そこで正式に、躁うつ病であると診断された。
この病気が厄介なのは、実は鬱のときではなく、躁状態にあるときだ。
鬱だった辛さから急に躁が訪れるので、慣れないうちは「万能感」を持ってしまう。
なんでもできる、なんでもやれる、アイディアもデザインも無尽蔵にやってきて自分を止められない。
当然昼夜の区別なく仕事に没頭してしまう。
そして、いろいろと、やらかす。
人とトラブルを起こしたり、使いすぎて口座にお金が無くなってしまったり。
それで鬱に落ちると、もう怖くて作ることなどできない、と怯える。
なので、薬は、軽~いうつ状態にあるように調節されてある。
それが最も安心だからだ。

うつ病と診断を受けてもわたしは働いていて、心理カウンセリングも受けて来ている。
最初のカウンセラーさんとは、運命的に出逢ったのに、なんということか、彼は脳出血で急逝されてしまった。
わたしは、唯一、本音を語れる人を失い、お通夜の時にははばかられるほど大泣きした。

数年の空白を経て、今の心理研究所にたどり着き、そこからもう10年くらい、今の女性カウンセラーさんだ。
酷い状態の時は毎週通っていたが、夫が60歳で定年となり、わたしに与えてくれる金額を大幅に減らされたので、仕方なくカウンセリングの回数を減らした。

そう、何が言いたいかと言うと、伊達に長くカウンセリングを受けていない。
心理学の本も哲学の本も沢山読んだ。

だから、出来る・出来ないはまた別だけれども、いろいろなことの「区別」はつけられるのだ。
しかもその間に、スピリチュアル界でのリーダーを見つけて彼女のセッションも受けているし、マヤ暦を少しかじってそれに沿った暮らしもしてきた。
だから、いろいろ、わかっていることはある。

わたしは、期待しすぎてはいない。
サバちゃんが20歳まで生きてくれるとは、もう思っていないし、長生きだけがいいことだとも思っていない。
しかし、希望は持っている。
薬をちゃんと飲めて、沢山食べられて、ストレスが少なく、日々が穏やかであり。
わたしも含め、これを読んでくださっている方々の祈りも、絶対的に有効であると信じている。
どうせ駄目だとは全く思っていない。
人間の癌細胞だって、実は毎日生まれていて、笑って生きている人はそれを殺して排出出来ている。
ストレスフルだと癌細胞のスピードに負ける。

サバちゃんをいい気持にしてあげておくこと。
だから、薬を口にねじ込むことなど絶対にしない。
診察も最低限でいい。
笑わせてはあげられないから、わたしが笑って過ごす。
だって泣いているとサバちゃんは涙を舐めに来てくれちゃうんだもの。

愛着はもちろんある、すごくある。
でも、執着してはならない。
サバちゃんが苦しくても生きてて欲しいからと、延命治療するようなことはしない。
自分がやられたら嫌であろうことは、基本的に、やらない。

腎不全を抱えているが、腎不全で死ぬより、癌で死ぬ確率が高くなった。
腎臓サポートの缶詰めやパウチをメインには据えてあるけれど、お薬を躍起になって飲ませない。
フードも、一日に6回7回食べるのだから、毎回違うものにしてやっている。
その缶詰までは夫は買ってくれないから、
わたしはサバちゃんを第一にはしているけれども、仕事もして、現金を得なくてはならない。

サバちゃんはワガママを言うようになった。
女王様だ。
缶詰も、一回に二分の一食べさせるが、足りないという顔をして未練がましくついてくる。
吐く心配がない限り、欲しがる時には、時間を見てそれなりに何らか与える。
4キロ台になって、ブラッシングすると骨にコンコンとブラシが当たるのが辛くて、すこしサボった。
久しぶりに一昨日ブラシをしたら、体がすこしふっくらとした。
頬はこけてしまったが、食欲も旺盛で、やや軟便気味ではあるが、下してはいない。

こうして、お薬と、祈りと、あまやかしで、心穏やかに暮らしてもらって、
あれ、案外長生きしてくれたねえ、と、
わたしは言いたい。

それが、目指している2000日なのだ。

余命500日と言われた時、いやいや、それは受け入れられない・受け入れない、と思い、
浮かんだのが「2000日」だったのだ。

それを超えてくれるのはいくらでも超えて欲しい。
でも、せめて2000日生きててもらわないと、わたしは恩返しも謝罪も何も遂げられないのだ。

昨夜も抗がん剤、頑張ってくれた。
ステロイドも行けた。
ありがとう、頑張ってくれて。
生きててくれて、傍にいてくれて、ありがとう。


2021年12月22日
 

トイレに満杯の下痢。床に嘔吐。
もちろん、ほんの少ししか食べられない。
どうしよう、と苦しんだ日曜日。
怖い。大丈夫なの? 死なない?
朝になって、その時の様子で決めるしかない。
下痢が止まらず、吐いていれば問答無用の受診、預けることになる。
夫に行けるか尋ねたら、「忙しいけれど行けなくはない。」と、こんな時に忙しい自慢。
退職になって家にいて、娘ちゃん二人の家事すべてをやってあげている夫。
加えて契約社員として二社の仕事を請け負っているのが自慢でしようがないのだ。
この子の命より優先すべきものがあるならそうすればいい。
あなたの命の間際に、わたしは猫のケアを選ぶかもよ、と思う。

嘔吐が、止まった。
スプーンに二杯ずつくらい与えていたが、もっと食べたいと言う。食べられると言う。
缶詰の四分の一を与えたら、食べて、吐かない。

うう、どうしよう。病院に連れていくことはたやすい。
けれど、この子にとって、それは激しいストレスになる。
行かずに済めばそれに越したことはない。

先生は、二つの症状が同時に出ていて二日目になったら、来てくださいと言った。
症状どうこうより、食べれなくなったら来てくださいとも言った。

明け方から朝になり、相変わらず水様便だが、嘔吐は止まって、しきりに食べたがる。
…様子を見よう。
再診料を払わなくて申し訳ないけれど、先生には電話で相談しよう。
この日、抗がん剤を飲む日なのだ。こんなに下痢をしていても飲ませて大丈夫か。
他のお薬は入れられていない状況だけれど、薬の優先順位も聞きたい。
そもそも、今日、受診しない選択でいいのかも聞きたい。

早朝、夫にラインしたら来たので、そのことを話した。もちろんすべてメモになっている。
嘔吐は止まったので、様子見ということに合意が得られた。
そしてそのメモを拡大してFAXしておくよ、というので、いやいや、ちゃんとレポート書くからと。

わたしはサバちゃんのことを、すべて、小さなノートに記録している。何時に何をどれだけ食べたか、いつ排出したか、どのお薬を何時に飲んだか、機嫌は、元気は、食欲は…。
通院のたびにA4サイズの紙にびっしり、様子を分けて書き、下のほうに質問事項を書く。それを受付で渡して先に読んでもらってから診察室に呼んでもらえるようお願いしている。それが効率的だし、先生はカルテに書かなくても詳細なレポートが毎回来るわけだ。
いつもカラーペンを使って書いているが、FAXなので太い目のボールペンで書き、夫にFAXしてもらった。
そしていつもそうするように、8時58分に電話をした。

既にAXを読んでくださっているので答えは早かった。受診しない選択を認めてくださった。
そして、下痢は、急性のものなので、それが半月以上続くなら問題であるけれども、一週間か10日で治まってくれたら、という希望的観測をしている、抗がん剤は、下痢を誘発はしないので、予定通り予定の日に必ず飲ませる、薬の優先順位は、抗がん剤、ステロイドの順で、腎臓の薬は、長期的に見て可能になったら飲めればいい、あまり無理をしなくてもいいということが聞けた。

早速、時間的に遅れていた抗がん剤を缶詰にそっと隠して与えた。
食べてくれた。
吐かないでくれた。

もうそれだけで泣けてくる。
ありがとう、お薬がんばってくれて。ありがとう、食べてくれて。
ありがとう、生きててくれて…。

そしてここから突然、体調はいい方向に急変していった。

下痢が、止まった。
三時間留守にしたら、二つに増やしたトイレ満杯だったのに、ふと、止まった。
吐くことはなくなり、食べたいと言いに来る回数が、徐々に増えて来た。
スプーン二杯だったのを、缶詰四分の一に増やし、三分の一に増やし、恐る恐る様子を伺い…。

やがて、ドームベッドに引きこもって寝てばかりいたのに、ママのストーカーを再開してくれた。
鳴き声も上げるようになってきた。

下痢をしない。
吐かない。
これは、当たり前のことではなくて、本当に本当に、ありがたいことなのだ。
わたしは息子を一人育てたが、彼もよく吐く子であった。
胃腸風邪になった時は、食べたがって食べた直後に立ったまま漏らして、
カーペットも布団もえらいことになった経験もまざまざと思い出した。

わたしはサバちゃんのママなのだ。世話をして当たり前、世話をさせてもらえて幸せなのだ。
こんなに大切でこんなに愛おしいのに、吐いたからと怒ってしまった自分を心から呪う。

今日、12月18日。6日間、吐いていない。下痢も止まっている。
世界で一番かわいい天使の、シッポを捕まえた。
お願い、遠くに行かないで、ママの傍にいて欲しい。
お願いはそれだけだよ。
大事にする。お姫様でも女王さまにでもなっていい。
ただ、生きてて。



2021年12月18日

 

書くことが出来なかった。
心に余裕がない。辛くて苦しい。
サバちゃんの容態が悪化して、付きっ切り、と言ってもいい。
欲しがって食べていて、その食べている最中に器に向けて吐き戻してしまった。
そこから、吐いて吐いて。
抗ガン剤を順調に進めて行けていると思っていたのに、吐いて吐いて、もちろん食べることも出来ず、
ちょっとだけ飲んだお湯すらも滝のように吐く。
希望的観測だなんてもう言ってらない。
こんな急激にだけれど、この子の命は既に出戸際なのだろうか。

二日にわたって吐いていてもちろんお薬どころではないので、通院決定。
こんな辛いときに限って、夫は出張。大事な時はいつも出張なのだ。

その日は嵐のような風雨。
朝の5時にたたき起こして、タクシー使うからアプリを入れて?と夫に頼む。
いつだったか、家の郵便受けにタクシーを呼ぶアプリのチラシが入っていて、
わたしは、いつか使う時があるかも、と、見えるところに取っておいた。
それがこんな早くに使うことになるとは。

タクシーの呼び方を教えてもらい、夫はダッシュで出張していった。
わたしは、サバちゃんをキャリーに入れて(リュック型)、撥水の風呂敷でリュックを包んだ。
アプリを起動して呼ぶが、こんな悪天候なのでつかまらない。
朝イチで行きたいが、予約しているわけでもないので、何度かトライして、やっと配車された。

初めての経験。これでもう、夫がいなくても受診できる。
診察室で、二日にわたってひどく吐き続けていることを話した。

脱水もしており体重ももちろん減っている。
先生は、血液検査をして、嘔吐の原因が、腎不全の悪化でもなく何かの感染症由来でもないことを確認して、こう言った。
「こう状態が悪いということは、ローグレードの薬が効果がないと思うしかないです。吐き気も止めたいし、脱水も解消しないといけない。
このままローグレードの薬を飲んでも意味がないので、一時的にハイグレードの抗がん剤を投与します。
4種類の薬を組み合わせて使うような治療が多いですが、今回は酵素に効くハイグレードの薬で、副作用が少ないものを使用して癌細胞をガン!と減らします。副作用は少ないけれども、まれにアレルギーを起こす子がいるので、今日半日預かります。観察しながら点滴を打って、抗がん剤を打って、吐き気止めも打って、脱水も解消します。夕方迎えに来てください。」

わたしはサバちゃんを託してバスで帰宅した。
もちろん一睡もしていないし、胃がキリキリと痛んで辛い。
ドラッグストアで喜びそうなパウチや缶詰を買い、自分はレトルトのお粥。
帰宅したら12時だった。
痛む胃に太田胃散を大量に放り込み、何とかお粥を食べて、お腹にカイロを貼った。
18時には起きて迎えに行かなくてはならないので、睡眠薬を三分の一だけにして飲んで、仮眠した。

起きてまたバスで迎えに行く。
帰るときに「先生、この子は、ローグレードではなく、ハイグレードのガンになったんですか?」と尋ねたら、
「いえいえ、それは違って、あくまでもローグレードです。それは細胞の大きさが違うので明らかに差があり、間違いはありません。
ただ、この子はステロイドを日常的に飲んできたので、薬を排出する力が強いのだと思います。
今後も状態が安定していればローグレードの治療で、こんな風に悪化したらまた今回のような治療を挟む、という方針で行こうと思っています。」とのことだった。

なんでも、食べられるものを、ごう少量ずつ与えてください、とのこと。

けれども、一時的に回復しても、今度は便の異常が出始めた。
土曜日から下痢が始まった。軟便から、血便、粘膜便、水様便。
日曜日、わたしが眠りから覚めたら、下痢でトイレは満杯だった。
ああ、可哀想に、申し訳ない…。
 

さらには嘔吐もした。
二つの症状が二日にわたって連続したら受診、と言われている。
今夜、本当なら抗がん剤を飲ませる日なのだが、こんなに下痢をしていても飲ませて大丈夫なのか。
わたしが病院に行くことはたやすいが、サバちゃんには過大なストレスになる。
気安く連れて行きたくはない。

嘔吐は止まって、少量の固形物を食べたので、お守りにもらった整腸剤を混入出来たが、
そんな量では全然必要量に達していない。

朝までの様子を見て、電話相談にしておくか、受診したほうがいいか、決めようと思っている。

祈ってくれている人がいる。
祈りは有効である。
わたしに、「難しいと思うけど、執着を手放して。そして淡々とやれる仕事があるならやっていて。」と助言をくれた人がいる。
その通りだと思う。
サバちゃんは覚悟して、わたしの身代わりに自分がガンになったのだ。
だから、それを取りやめにはもうできない。
何とか少しでも状態が良くなって欲しい。それはサバちゃんの辛さを取り除きたいからだ。

いなくなっちゃいやだ。一人にしないで!
けれども、身をよじって苦しんでいる様子を見ると、
そう遠くない将来、治療をあきらめる選択をしなくてはならないのかもしれないと心によぎる。

サバちゃんなしの人生なんて嫌だ。
ずっと一緒にいられると思ってた。
普通に20歳くらいまで生きてくれると思ってた。
だからおろそかにしたり、邪険にしてしまったわたしの罪!

どんなに自分を責めても時間を巻き戻せない。

助けて
助けて
助けて…。



2021.12月

わたしが、癌の余命宣告を受け入れない理由がある。
実例を、間近で見て知っているからだ。

わたしの父と母は、ともに59歳の時に、大きな癌の手術を受けている。

三歳違いなので、父の三年後に母が手術をしたということになる。

父は、毎年検診を受けていたのだが、その前の年、どうしても勤務の都合がつかずに一年飛ばした。
それで二年ぶりの検査で異常が見つかったのだ。
59歳の初夏だった。
ステージはレベル3。胃壁を突き破っているかもしれない、というクラス。
父は、胃の五分の四を切除することになった。
回りの組織もかなり取った。
大きな手術であった。
のちに母から聞かされたのだが、五年生存率はたった20%だったそうだ。

胃がほとんどないような状態になってしまって、回りの組織にまで病変は及んでいたため、

父は手術後の病理検査の結果、抗がん剤を受けることにもなった。
父は4人部屋だったので母が泊まることはなく、抗がん剤の影響で夜中に高熱を出すと、
隣のベッドに入院していた、わたしの中学校の先生がいたのだが(習ったことはない)、
その人が世話をしてくれたりそたそうだ。
わたしは東京におり、とても貧乏だったのであまり帰れなかったが、
父の看病をしてくれていた先生が助からずに亡くなってしまい、
父は生き残り、現在も92歳で存命中である。

胃の五分の四を取ってしまったため、本当に少ししか食べられない。
それでも栄養を摂取して何とか生きていてもらうために、母はうるさがられながらも、

父がふと起き上がると「何か食べる?」が口癖だった。

髪は真っ白になってやせ細り、お腹には今と違って盛り上がった大きな傷が出来ていた。
それでも父は何一つあきらめることなく、ガンガン旅行に行った。
精神力が半端なく強い人なのだ。
白かった髪は黒く戻り、おちょこ一杯で酔ってしまうこともなくなり、
二人は毎日たくさん喋って、笑って、ガンガン旅行に行っていた。

人は、病気にはなる。
人は、全員、100%、平等に、死ぬ。
けれど、病気で死ぬのではないのだなとわかった。
天命があるのだ。
人は寿命で死ぬのだ。

だから、サバちゃんがガンになって余命たった500日って言われても、
いやいや、そうはさせないから! と、わたしは思ったのだ。
絶対にそんなすぐに死なせない。
守ってみせる。
祈りと笑顔でこの子を明るい気分にさせて、食べたいものをいっぱい食べさせて、
一日でも楽しくあれば、天命を全うできるはずだ。

母は大腸がんで、横腸を40センチ、切除した。

麻酔から覚めなくて臨死体験もしていた。

その時、息子はまだ5歳だった。
わたしは、将来自分も癌になるのだとあきらめた。
それで、貧乏のさ中であったが、若い年齢でがん保険に加入した。
59歳の年に癌を発症するだろう、と覚悟したのである。

今が、その、59歳の年であるのだ。

わたしは、巫女の体質の友人に、サバちゃんのことを打ち明けて写真を送った。
わたしにとっての「三種の神器が、宝鏡、裏山で掘った水晶、そしてその猫」と言った人だ。
彼女は言った。
サバちゃん、ママの身代わりになろうとしてる。
でも、まだ間に合う、大丈夫。
500日では死なない。
一緒に祈る、と言ってくれた。

そうだったのか。
サバちゃんは小さいころからそういう猫だった。
わたしが泣いてると、寄ってきていつも涙を舐めてくれた。
具合が悪くて寝ていると、その具合が悪いところに乗って、わたしの悪い気を吸う。
そして次にはサバちゃんが具合を悪くして吐いてしまう。
それを繰り返していた。

胸の大手術を終えて帰宅し、3か月の療養中にも、お腹ではなく、胸に乗ってきた。
胸骨をバンバン切ってワイヤーで繋いである状態なので骨折状態なのだ、

胸に乗られると痛む。
それでもサバちゃんはママがどこが悪いのかをいつも見抜いて、身代わりになろうとしてきた。

つまり、わたしは予定通り59歳で癌を発症するはずだったのだ。
その身代わりをしているのだ。
常々、「ママは大人だから何とかするからね? サバちゃんは体がちいちゃいのだから、ママの悪い気を吸っちゃ駄目だからね?」と、言い聞かせてあったのに。
なんということだ。

ならばわたしが治して進ぜよう。
治せなくても共存して長生きできるような、楽しい二人のおうちにいたそう。

病院で抗がん剤をもらい、翌日飲んで、三日ごとに飲み、そのあと診察を受けることになった。
錠剤が透明のカプセルに入れられてあった。

薬。祈り。笑顔。
この三つで、サバちゃんを奪われないようにしてみせる。
わたしの天使。


2021.11月。

 

その日は土曜日だったので、病院は激混み。座る場所もない。
サバちゃんのキャリーを夫が膝に抱えてなんとか角に座る。
サバちゃんのキャリーは、災害時用の用心に、いつもテーブルの下に蓋を開けて置いてあるのだが、
内視鏡の入院から帰宅したサバちゃんが、キャリーが病院臭くて嫌だというので、
押し入れに入れておいた。
まさかたった数日でまた使うとは考えていなかった。

それでも、割と早く呼ばれた。
サバちゃんは出さずに、採取した細胞の病理検査の用紙を見せながら、
担当のドクターは説明をした。
「〇〇である可能性を強く疑う。」という病理の書き方。
それは「これで確実です」と、とらえていいものだということをまず聞いた。

サバちゃんは、
リンパ腫、
だった。

癌だ。

正式には「低悪性度・高分子型 リンパ腫」。

首の周りのリンパ腺が腫れるまではなっていないので、万が一としても低悪性度だと思う、という、
ドクターの見解がそのまま当たった。
だから、だから、「すぐに来てください」という意向の、「結果が来ました」というお知らせだったのだ。

この病気について説明をしてもらった。
服薬で何とか永らえる方向性で行くこと。
それで、平均余命は500日です、とサラッと言われた。
もちろん、薬をやらないですぐに死んでしまった子や、薬がうまく効いて寿命と思われるほど長く生きられた子も含むので、
あまりこの日にちは気にしても仕方がないです、と言われた。

余命500日?

いやいや、そんなはずはない。
それはあり得ない。
わたしは、ショックも受けなかったしまともに受け入れることもしなかった。

もちろん、変な吐き方をし始めた8月下旬に来て、すぐに内視鏡検査を受けていたら…と、
悔やまれる気持ちはある。
それでも、遅すぎたという思いはないのだ。
そんな余命は受け入れられない。

治療法は投薬。やめていたステロイドをまず復活させ、一日おきに一錠だったものを、
当分の間一日に2錠。
そして抗がん剤。
「クロラムブシル」という錠剤を飲ませることになった。

その薬を扱うときの注意事項を聞き、
体温管理が必要であると聞き、
ア〇ゾンとかでペット用の先がシリコンで痛くないのが売ってますよとも教えてもらった。
食べ物は、ウェットオンリー。
サバちゃんには腎不全の子用の、缶詰めとパウチを夫が定期購入してくれている。
でも、二種類のゴハンだけではつまんなくないかなあ?と思い、
帰りにホームセンターに寄ってもらい、いつもは食べていない缶詰やパウチも買ってあげることにした。
夫は動物病院の精算待ちの間に、いつもの缶詰の定期購買以外の発注をかけてくれた。

サバちゃんの体重を計った。
4.9キロに減ってしまっていた。
一時、6キロ越えになってしまったのでダイエットをさせたのだが、
5キロを切ると不安がよぎる。
ドクターは、「これから増やせば大丈夫。」と慰めてくれた。

計算の結果、サバちゃんは、明日から三日ごとに、抗がん剤を飲むことになった。
29日に診断を聞きに来る予定だったが、三回分、早く飲める。
それだけでもラッキーだと思う。
そのたった3回が吉と出るかもしれないではないか。

サバちゃんを車に残してホームセンターでいろんな缶詰やパウチを買ってみた。
これから二人で闘病生活。
わたしは、気が張って緊張状態だった。

余命500日って、たった1年4か月だよ。
そんな余命は受け入れない。
絶対に死なせない。
そんなの認めない。受け入れない。

絶対に、もう二度とサバちゃんを怒らないと強く決めた。
猫に怒ってたわたしが愚かだった。
明らかにわたしの罪だ。
だったらわたしが改心して、サバちゃん第一にして、寄り添って生きる。
たった500日なんかで奪われてたまるか。
絶対にそんな短い期間で死なせない。

薬は、必要だからきちんと飲む。
そのほかに、はっきりと科学的に有効であるのが、
「笑い」と、「祈り」。

わたしはごくごく限られた人にのみ、サバちゃんがガンであることを打ち明けた。
そして、彼女らに、一つだけお願いをした。

おねがい。
サバちゃんのために
祈って…。


2021.11月