どうも。 僕の名前はリトと申します。HEHE. ただいまマレーシアに寮生活をさせていただいており、いろいろ楽しませております。英語は2年生から習っているのですが今ではもう14歳と同じぐらいの英語力と速いスピードで成長いたしました。6年前までは家はごくごく普通の家庭で、平均的な収入と普通の家庭がすることと同じことをしておりました。しかし、教育精神だけは違いました。最初は留学ということはありませんでした。しかし、もともと海外好きだった母と年に4回以上旅行に行くにつれ、海外の魅力に惹かれていくのでした。そのことを知った母は、僕を留学させようとしていたのです。はじめは冗談だと思った僕でしたが母は本気でした。父は仕事を3つ持つことになり、母はその父をサポートし続けました。僕は小6まで日本の学校に通い、英会話教室へ週1回通っていました。
小3になると初めての留学?1ヶ月ほどフィリピンのセブ島で朝の8時から夜の10時まで勉強という僕的には厳しいボーディングスクールへ通わせていただいておりました。そこへは中のいい友達1人と一緒に行っていたので、寂しさはあまり感じませんでした。小4になるとまたまたフィリピンの学校へ留学させていただきました。そこへは母と二人で通い、先生もすごく明るかったのでとてもいい場所でした。そこであった先生は、母も認めるよさでSKYPEをとうして一回500円という格安レッスンを週3〜4回受けていました。小5になると、カンボジアにあるCIS(Canadian International School)というところへ前一緒に行った友達と2週間の体験をしました。ここは本当のインターナショナルスクールで、立ったの2週間で10万というインターナショナルスクールにとっては安い学校でした。そこではカナダの教育方針で、とにかく本を読み聞かされました。この頃から、僕の英語がグーんっと成長した時期でした。母はこの学校の校長が気に入り、僕がこの学校に入ることになりました。入る前に、リスニング、リーディング、スピーキングとライティングのテストを受けさせられました。もし英語が喋れるのなら簡単なテストでしたが、僕の英語はまだ6歳以下というかなり厳しいレベルでした。だがしかし、その学校に2年、周りがみんな英語という環境で生活していた訳か、いつの間にか英語が当時のみんなと同じくらいにまで上達していました。
そして今、僕はマレーシアのボーディングスクールへといるのです。ここまでに来てお金の方は?という疑問が湧いたのではないでしょうか。もちろんです。父は教師、ビジネスマンとして日本で働いていましたがいざカンボジアへ来るとそれがうまくいきませんでした。なので、1年経つと日本へ戻り、前のビジネスを続けたのです。母と僕に残されたのは毎4ヶ月程度で帰ってくる父が渡してくれる、お金でした。毎月5万円。かなりのケチり生活。家から学校へ帰るといつもいつも空腹が腹を締め付けるのでした。日本へ帰ると天国のように叔父と叔母がご飯をたっぷり食べさせてもらえるので、いつもいつも日本へ帰ると知ると楽しみで仕方がありませんでした。父が稼いだお金のほとんどが僕への留学金へとあてられました。今いるマレーシアのお金が280万円越えというかなりの値段です。ここまで頑張ってくれている父に感謝です。
さて、これが僕の今のところの人生です。母がいなければ僕は今頃受験戦争真っ只中で死にそうになっていたでしょう。楽あれば苦ありという言葉もありますが、楽あれば楽ありという言葉も僕はあると思います。僕が皆さんに言いたいことは、リスクを持って挑戦するということです。母のリスク取りは僕のようにいいことにつながりました。皆さんも是非、競争社会の日本でいい仕事をお子さんへ持って欲しいのでしたら僕は留学をお勧めします。