こんばんは
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ありがとうございます

"幸せ"ってなんだろう、、
長いあいだ自分に
問いつづけてきました。
世間一般の「普通の」幸せを
手に入れても、
わたしは"心からの幸せ"を
感じることができませんでした。
こんなに恵まれていて
まだ幸せを求めるわたしは
異常に貪欲な人間で、
あるものに感謝できない
甘えた欠陥人間なんだと
自分を責めていました。
ひとは自分の価値観での幸せで
そのひとが幸せかどうかを判断します
そして、
あなたは幸せ、あなたは不幸
と決めつけたりします。
でも、
幸せの定義は自分が決めるもの、、
誰が見ても幸せでも
自分が幸せを感じられなければ
幸せではなく、
誰が見ても不幸でも
幸せを感じられるなら
幸せなんです。
"不感症"になっていたわたしは
空を見ても花を見ても
ココロが震えるような感覚が
どこにもありませんでした。
「生きている」感覚の欠如、
それが幸せを感じられなかった
原因でした。
幸せを感じられるココロがなければ
与えられても与えられても
永遠に欠乏感はなくならない、
永遠に幸せにはなれない、
足りないものを補うことをヤメて
幸せを感じられるココロを
取りもどすことが必要でした。
自分との向き合いがはじまり
行動することと"浄化"をくりかえし
少しずつココロとカラダの感覚を
取り戻していきました。
空気があること、
太陽が光を届けてくれること、
ただ生きていること、
"あたりまえ"にあった幸せに
たくさん気づけるようになりました。
小学生からの親友Rちゃんは
子供のころから腎臓病を患っていて
去年は乳がんになり手術をしました
(虫の知らせで手術の一週間前に
数年ぶりにわたしから連絡をとりました)
結婚も恋愛もしてないし
今はお姉さんとふたりで
小さな古い家で
貧しい質素な暮らしをしています。
今年の8月に彼女と逢って
一緒に習っていた
バレエ教室の発表会に行きました。
Rちゃんは腎臓病のために
中学生でバレエを踊れなくなりました。
本当にバレエが大好きだったので
わたしが舞台で踊るのを本当に
羨ましそうにみていました。
(わたしよりずっと踊ることが
好きでした)
週に3日、腎臓透析のために
外出する以外、
ほとんどどこにも行く自由がない
彼女にとって
一年に一度のバレエの発表会は
きっと生きる希望になるほど
大事な一大イベントです。
そしてわたしに逢うことも、、
彼女にとって生きる希望を与える
こと、、だったことを知りました。
発表会があった8月上旬、
わたしは日光の母親のところにいたので
一度は発表会に行けないことを
Rちゃんに伝えて、
チケットを送るので
お姉さんと行ってもらうように
言いましたが、、
彼女はすぐに
"マミちゃんが行かないなら
わたしも行かない"
と迷いもなくキッパリと答えました。
彼女にとって一年に一度の大事な
バレエの発表会は
わたしと行くことに意味があった、、
そのことを知ったとき胸があつくなり、、
"なにがあっても行く"と決めました。
発表会の前日に日光から帰り、
当日にアパートの部屋の契約をして、
30分遅れましたが
無事にRちゃんと発表会を観ることが
できました。
(今思うとすべてが必然でした)
会場の外で待っていたRちゃんは
輝くような笑顔で
わたしを迎えてくれました。
去年の発表会のときも
そうでしたが、
バレエを観ているときのRちゃんは
本当に幸せそうで、
時々感極まって涙ぐんだりしている
ほど、、
あの日、
バレエの発表会を観に来た
ホールにいた人たちのなかで、
彼女ほど幸せを感じていたひとは
いなかったかもしれません。
"心からの幸せ"は
ひとに生きる希望を与えます。
去年も今年も
Rちゃんはバレエを観ているあいだに
別人のように生き生きと笑顔が
輝いていきました。
辛い境遇にいるはずなのに
Rちゃんから泣き言を聞いたことが
ありません。
幸せな涙以外は見たことがありません。
わたしの前で強がっている様子もなく、
ただ「仕方ないよね」と笑うだけ、、
それは諦めのようにも感じますが
彼女から感じるのは絶望ではなく
悟ったような無執着です。
運命を受け容れているんですね。
だからわたしも彼女に同情したり
可哀想だとは思いません。
そういう人生を選んできた
強い魂をもっている彼女を尊敬し
お互いが引きあったときだけ逢って
応援するだけです。
(けっきょくいつも応援されてしまいますが、、)
わたしが家を出ることを話すと
一瞬顔が曇りましたが
"わたしは今よりも幸せになるために家を出るんだよ"と言ったら
"マミちゃんが幸せになるなら
それでいいよ"と笑顔になってくれました。
Rちゃんはどんなひとよりも
大きな幸せを感じることができる
ココロをもったひと、、
だから
彼女は誰よりも"幸せなひと"です。
彼女はハンディキャップがあるけど
与えられるひとではなく
いつも与えるひと、
与えることができるひとは
"幸せなひと"です。
そんなRちゃんから
わたしは元気と勇気をもらい、
彼女から"幸せ"をもらいました。
試練は魂を磨き強くする、
そして"幸せなひと"にする、
彼女をみていてそう感じます。
幸せの定義は人それぞれ、
"これが幸せです"と決められているものに
本当の幸せはないかもしれません。
"幸せ"はカタチとしてみえないもの、、
こころからあふれ出すもの、、
感じとるもの、、
今ココにしかないもの、、
人生が思い通りにならないのも
次々に試練がおこるのも
"幸せなひと"になるため、です。
ひとは試練の数だけ
幸せを感じられるココロを
手に入れることができる。
人生の最期、肉体を離れるときに
「どれほど幸せを感じられるひとに
なれたか」
というのは魂の目的のひとつ、
だとおもいます。
きょうは牡羊座の満月ですね

キレイな月です

わたしは満月を先取りして3日前から
絶賛浄化ちゅうです笑
(アタマ痛い、気持ち悪い、眠い、、
→みる夢はほとんど悪夢。笑)
きっとココを抜けたら
また新しい景色がみえるでしょう

すてきな満月の夜を♡
WithLove
MAMI
MAMI
