我が家の子供たちは二人とも学校には行っていません。

行かせていないのではなく、本人たちが感じ決めたことを尊重しています。

できれば、不登校という言葉は使いたくない。

素晴らしい存在の子供たちに既存の学校が合わないからって『不』を付ける。
それが当たり前に使われている日本て人権とかに対する意識が低いんですかね。
普通がそんなに凄いのか。
素晴らしいのか。

普通ほどつまらないものはないと思いながら大人になった私は未だに普通が分からない。

普通の良さが分からない。

普通であることに安心感を抱く世間が分からない。

知りたくない。分かりたくない。

知ってしまって分かってしまうと、きっと自分らしく生きることに抵抗がでてくるんだろうな。


『不』って、否定的な言葉ですよね。

それに、私は子供の頃から義務教育に違和感を感じていたので、学校に行かない選択は出来て当然のことだと思うし。それが自然なことだと感じる。

一人一人違うんだからみんな同じ成長のしかたじゃおかしいよね??って、いったいいつになったら気付くのか??

当たり前に流されないで自分を生きよう。
大人の人たち!
子供たちは聡明で尊いですよ!