【母の気持ち】誰しも自分の経験や視点でしか幸せの判断ができない | 子どもの生きる力を育み、心を育てる教育を真剣に考える研究所

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ヒマワリ誰しも自分の経験や視点でしか

       幸せの判断ができない

 

こんにちは!

 

酒井沙彌香(さかい さやか)です

 

 

さて、本日の本題へ

 

”誰しも自分の経験や視点でしか

幸せの判断ができない”

 

ということを書きました。

 

具体的に説明していきますと・・・

 

”幸せの定義”

人それぞれだということです。

 

それは家族であってもそうです。

ましてや母と子であってもそうなのです。

 

ですが、人は誰でも

自分というフィルターを通してしか

物事を見ることができませんよね?

 

 

ここで、話は変わりますが・・・

自分の母や

今まで関わってきた多くのお母さんたちを見てきて

私が確信していることがあります。

 

お母さんという人たちは

心からお子さんの幸せを願っている

ということです。

 

これは絶対にゆるぎないものだと

私は思っています。

信じていると言ってもよいです。

 

でも、お母さんたちも

残念ながら自分自身の幸せの定義でしか

幸せの判断ができません

 

 

ここで、私自身のことを書きます。

 

私の母は私に

勉強がある程度できることを望みました。

 

教育ママというほどではありませんが

小学校の6年間は

自宅でできる学習教材を使用して

母が私に勉強を教えていました。

 

 

 

今から振り返ってもとっても厳しかったです。

できないことをものすごく怒られました。

 

でも、私は期待に応えたくて

褒めてほしくて必死でした。

 

でも、頑張ってよい点数をとっても

当たり前のように対応され

少し点数が悪いだけで叱責されたという

哀しい記憶は

今でも私の心の中に残っています。

 

別に、だから母のことを憎んでいるとか

そういったことではありませんが

 

でも今から振り返ると

母にとっては勉強ができることが

幸せの定義だったんだろうなぁと

思っています。

 

というのも、母も勉強を教える理由をことあるごとに

教えてくれたのですが

 

小学校の勉強の理解が悪かったそうで

そのために中学のはじめはものすごく苦労したそうです。

 

でも夏やすみに担任の先生に小学校の勉強の復習を

してもらったら、ものすごく勉強ができるようになり

 

その後高校へ行っても成績優秀だったそうです。

 

 

今から振り返ると母はその話をよくしてくれました。

 

 

そして、母にとってはその時のその記憶が

幸せの記憶だったのです。

 

だから、母は私に勉強するように強要したのです。

 

自分が苦労し、

自分がうれしかった記憶があるから。

 

 

ただ、そのことを受け手側が知らなければ

ただただ、「勉強しろ!」

うるさく言われているように

感じてしまったり

 

「勉強ができない!」

言われているように感じてしまったり

 

そして、そのことで

母と子にわだかまりができて

しまうこともあるのではないでしょうか?

 

 

今回は母の話を書きましたが

他にも

「結婚はしないの?」という母や

「孫の顔がみたい」という母は

 

別に責めたいわけではなくて

プレッシャーをかけているわけではなくて

 

そのお母さんにとっては

結婚したことや出産したことが

幸せな時であり

幸せな記憶だったから

 

幸せ=結婚すること

幸せ=出産すること

 

と思っているのかもしれません。

 

そう、すべてのお母さんは

みなさんの幸せを願っています。

 

そして、みなさんも

ご自身の経験を思いだしながら

 

自分の幸せの定義でしか

幸せの判断ができないこと。

 

幸せの定義はたくさんあること。

 

そのことをしっかりと踏まえた上で

お子さんと関わってほしいと願っています。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

今日という日が素敵な日となりますことを

お祈りしておりますハート

 

酒井沙彌香

 

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