私は、多分、ずっと闘い続け、走り続けてきた。

子供を失ったあの日、私の心は半狂乱になりそうだったが、母は体調を崩し、咳き込んでいたにも関わらず、空港まで付き添ってくれた。飛行機にまでは乗る体力なく、結局、パの大地は一人で踏んだ。東京へは、亡くなった父の同僚が、母に頼まれ、迎えにきてくれていた。

母と、叔母は火急の、出費に苦しむ私に、援助してくれた。まだ、きちんと礼をしていない。

改憲の話の後で、プロフェッショナルで、見た。

中村重男さんの居酒屋に、母と父の友人と叔母を、私と子供で、招待しよう。

墓の問題もあるし、いろいろあるけど、
ここでしかできない時間を、過ごしてみたい。

ロシアの暗殺のように、毒をいれられることも無いだろうし、酒に眠り薬を入れられることも決して無い。ひとりさんの言うファーストクラスと同じ安全が、ここにある。

行くよ。誰もじゃませんといてね。
この日は、近くのホテルをとって、あるいはタクシーで家まで帰るとして、

この日はお酒解禁やで。誰も、処刑のファトワは出すな。