香港かシンガポールの大きなホテルの一角にきたのたけしさんがいた。
子供の半日パパをしてくれるようで、

廊下を歩き、プールサイドに腰掛けた。

そこで、なんやかやと話した。静かな、時間が流れた。

テレビの撮影でもなく、人だかりも無かったが、
人は気づきながらも、声をかけてはこなかった。

誤解されたら、とか言い訳を私は一瞬気にしたが、
何一つ、気にする様子もなく、また全てを気を配りながら、そこにいてくれた。


後、外の見渡せる大きなエレベーターで、上がったり下がったり、大きく揺れを感じて、
怖い思いを一瞬したり、


その後、私は、別の女性と、ホテルの迷路のような隠れたエレベータに乗りながら、
その女性が気付いたという女性専用の部屋へ、入った。

一見なんのへんてつもなかったが、
そこは、庭に通じ、

その中庭と思えた場所は、素晴らしい自然の、大きな池や、空や、木々の梢の景色に繋がっていた。突然景色が広がったことに、開放感と驚きを感じるとともに、

母に、家族に見せたいと思った。



おそらく、私の求めているのは、安心感で、
その安心感は、どん底から這い上がり、世界で認められるところまで、上がって、

それでいて、武骨な優しさを、持ち続けられる人間だけが、与えられるもの、なのだろう。

もしくは、
DVに対する親の影響で、怖がりな子供を説き伏せて、初めて泊まったホテルの、
一角に飾ってあったきたのさんの絵に驚き、安心感を感じていた。

それが、

絵は無くなり、そして小さな嘘をつかれたために、おそらく二度とは行かない。
そんなことを、思い出したのだろうか?


安心感。

子供が今必要としているのは、初めて這い這いした時のように、初めて立った時のように、
一歩一歩歩くのを見て喜んだように、側にいて、見守り、褒め、喜ぶこと。


でも、きたのさんが、一時、お父さんみたいに、側にいてくれたら、

子供は、ほっとするだろうね。