両親共に教師の長女として生まれたわたし。


両親共に教師だからか、結構厳しく育てられました。
周りの友達からも、
「お父さんとお母さんが先生だと、厳しいでしょ?」と、よく言われました。


今では共働きの家庭はごく普通ですが、当時、母親がフルタイムで働く家庭は少なく、、、
わたしは祖父母(母方)の家によく預けられていました。

小学校は祖父母の家から通える区域。
帰る家はいつも祖父母の家。
母の仕事が終わると車で迎えに来て、家に帰るという生活を小学校4年生まで送っていました。


祖父はとっても穏やかで、いつも私の要求に応えてくれていました。祖母は母の代りとなって、本当にいろいろと世話をしてくれました。今は2人とも他界してしまいましたが、祖父母には感謝の気持ちでいっぱいです。


ただ、当時はそのような気持ちになれず…
なんで自分の家に帰れないのか、なんでお母さんじゃなくておばあちゃんがしつけをしてくるのか、納得できませんでした。

そんなある日、祖父母が実家にもっと近いところへ引っ越すことになり、私は小学校5年生で転校をしました。学区域は祖父母の家から通える小学校。
またしても、自分の家の周りに住んでいる友達とは違う学校へ行くことになりました。


当時はまだ携帯電話がない時代。
地元の友達は、小学校高学年からよくコンビニの前でたむろしたり、遅くまで公園で遊んでいました。

実家がそのような地域だったので、両親が夜遅くまで帰宅できないことを両親共に心配したのだと思います。私を地元のやや荒れた中学校ではなく、校則の厳しい私立校へと進学させるため、私は中学受験をすることとなりました。

本当はもっと友達と遊びたいのに…
なんでやりたくもない受験をするために、塾に行かなければいけないの…
嫌とも言えず、私は両親に従い受験をしました。
そして、たった1つ女子中学校に補欠合格し、私はそこへ進学することになりました。