† ジーンが具えし隠蔽のアウトプット †
現象とはある日突然眼前にひろがる、まるでエピファニーのように。
それは、なんてことなく、見慣れた、たわいもない、そして居なれた場所で起こった。
“殺人の隠蔽”
ぼくは、米国や巨人軍やトヨタやドコモが嫌いだ。
生理的に。
いわずもがな、ただのバイアスである。
理由は?と聞かれても、もちろん答えられない。
ルイスに「なぜお前は足が速いのだ?」と聞いても「知らねーよ!」と吐き捨てられるかのように。
キューブリックに「なぜお前はこんなにしっくりくる美しい画面がつくれるのか?」と聞いても無視されるかのように。
きらいだからしかたない。
ぼくのジーン(遺伝子)をデジタル解析すれば、もしかしたら答えがあるかもしれないが。
まあそのような理由で、ぼくはメジャーよりもマイナーを好むし、マジョリティよりもマイノリティを愛する。
だから、選択の権限を与えられた時には、たとえば「今日は飲みたい気分」という“気分”がむくっと現れる時などは、主流の繁華街ではなく地域で3番手くらいの繁華街へ繰り出す。
で、その事象も愛する3番手くらいの繁華街でたわいもない慰安アルコールを行っている時に現れた。
イワン・ゴンチャロフ!(なんとなく、すいません)
社会によって奪われたぼくの自由と時間達への冥福が“承”の終わりに近づいたとき、“転”は訪れる、待っていましたかのように…
ぼくのマルボーロBOXが残り1本になったため、その買いだしをお願いしようとボーイを探したところ、酷く忙しそうに立ちまわっている。しかたなく自分でマルボーロBOXを買いに外へ…
ふと西の方の通りに目を向けると、人だかり。
喧嘩かな、と、ぼくはそんなに深く考えずコンビニを目指し東の通りへゆく。
たばこを入手し店へもどろうと西へ向かっていると、人だかりはさっきの倍に膨れ上がっていた。なぜかぼくは、それを、その人だかりを気にせず店にもどり、本日の自分の居場所へ着席。
と、そこへ外出していた店長がもどってきた。
「店長すごい人だかりですね?」
「…」
「やばいですわ、ちくりん…」
「なにが?」
「心拍停止ですって」
「え?!」
「ボーイが客の頭をコンクリートへ打ち付け続けたらしいっすよ」
「まじっすか…」
「あの店の奴やりすぎるんですわ…うーん、これは新聞に出ますね…」
「また、これでここも商売やりにくくなるっすね」
「ちくりん、このことは内密でお願いしますね」
「…わかりました」
奇しくもこの死は、事故死として処理され事件にはならなかった。
客を死に追いやった店の力がそうさせたのか、目撃者全員で隠蔽したのかは定かではないが…
その地域で商売する者達にとっては幸いなことではある。
こうやって隠蔽されてゆく事実はどの位あるのだろうか。
自分の組織を守るため、生活を守るため、たぶん隠蔽は続いていく。
まるで、遺伝子の二重螺旋構造のように。
もしかしたら、隠蔽とは生物がもともとジーンに具えたスペックなのかもしれない。
というぼくも、場所や店の名前を伏せて文章にしているのだから、これもまぎれもなく隠蔽であろう。
そして、この文章を読んだ人に「あれって本当のこと?」と聞かれてもこう答えるだろう。
「もちろんフィクションですよ」と。
なぜならその場所をアイシテイルから、だ。
※このブログはフィクションあり、登場した場所も人物も事実とは一切関係ございません。
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“グンジョウズ”
† 物語を受胎するという事 †
この約一年の間、なぜか文章が書けなかった。
なぜか、ぼくは日常から感受した“意識空間に漂うもの”を上手く言葉に置き換えることができなくなった。
PCが壊れたり、アウトドアを始めたり、仕事が忙しくなったり、
3・11があったりとか・・・
もろもろの環境的要因はあったが、“漂うもの”を言葉や文章にしたいという欲求
というより渇望は、常にぼくの中に存在していたにもかかわらず。
でも、それをすることはできなかった。
不可思議と。
そして現在の領域に辿り着くことができ、やっとその原因が解ったと感じる。
原因はふたつある。
一つ目は、自己の価値観の変化により、表現のために使っていた自分の中にある意識で言葉を形にしても、出てくる“もの”全て嘘臭く、そして醜いと感じてしまい、それを創出することに対して、異常な抵抗と制御が機能してしまった。
二つ目は、2年ほど前に小説を描こうと試み、そのため「小説の書き方本」なるものを読んだり、文法を学んだりしたが、なにかが納得できなかった。
試行錯誤の上、自分なりに小説のつくり方を考えた。
それは、いたって単純なもので、あくまでも例だがこんな感じだ。
五千文字の物語を描くため「五つの章」をつくる、そのためには「一つの章に一千文字」が必要となる。
それを創り出すため「二十五のプロット(流れ)」を描き、一プロットに「四十文字の文章」をつくれば完成するというものだ。
そして創作を始め、約2ヶ月間を要しプロットをつくりあげた。
それは、A4用紙で百枚強のボリュームとなった。
その作業は、とても素敵で魅惑に溢れ、いままで感じたことのない充実感をぼくにもたらした。
ビジネスでひとつのプロジェクトを立ち上げ利益を生むよりも
アクアリウムを仕上げるため創意工夫するよりも【これもかなり楽しいが】
絵を描くよりも
写真を撮るよりも
画像を創り出すよりも
物語を描くことが、こんなにも楽しく素晴らしい事とは想像さえしなかった【予感はあったが】
しかし、ぼくの物語の創作はいとも簡単に頓挫した。
プロットから本文への描き起こしができないのである、いやできないというよりも一言で言ってしまうと、“つまらない”のである。
なぜなら、プロットが完成した段階において、作品は未完成でも『ぼくの中で物語は“完結”してしまった』からだ。
というのも、今だからそれが解る、だがその創作時は自分の文章力不足が原因だと認識していた。
さらなる勉強が必要だ、と。
それがきっかけとなり、その後、ぼくは文章力というものに対して過剰な畏怖をしてしまい、前に進めなくなってしまった。
上記ふたつの事が原因で、ぼくの“物語を描く”ことへの情熱は、冷めぬままではあったが、萎縮し使われず燻ぶり続けた。
だが、一冊の本がこの状況を変えてくれた。
夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです/村上 春樹

¥1,890
Amazon.co.jp
村上春樹のインタビュー集。
彼はメディアとほとんど接触しない、謎多き作家だ。
というか、ぼくにとっては、作品から人物像が掴めない唯一の作家であった。
他の作家は、文体や言葉からある程度の人物像をつくることができる(当たっているかは知らないが)
でも、彼をつくりあげることが、ぼくにはずっと出来なかった。
と言っても彼の熱心な読者でもないのだが・・・
ただ、そういうミステリアスな部分もあり、1年くらい前にこの本の存在を知り、いつか読もうと購入し寝かしておいたのだ。(こういう本を出版した彼にも変化があったようである)
全く持って理由は解らないのだが、この本の彼の言葉全てがぼくの意識の琴線に触れるのである。
飢えた植物の根が水を貪るように、彼の言葉がぼくの土壌へ沁みいった。
この文章を書きながら思い出したのだが、読書の世界へぼくを招いたのも彼だった。
『ノルウェイの森』だ。
その作品を読んだ後のぼくは、一週間くらい彼の『ノルウェイの森』の世界を彷徨っていた気がする。
そして、物語を描く世界へいざなってくれたのも彼だとは、なにか不思議な縁を感じられずにはいられない・・・
最後に、
ぼくが見つけた『答え』は至極シンプルだ。
『なんだそれでいいんだ』
である。
物語を生む情熱の核が形成された瞬間だ。
なぜか、ぼくは日常から感受した“意識空間に漂うもの”を上手く言葉に置き換えることができなくなった。
PCが壊れたり、アウトドアを始めたり、仕事が忙しくなったり、
3・11があったりとか・・・
もろもろの環境的要因はあったが、“漂うもの”を言葉や文章にしたいという欲求
というより渇望は、常にぼくの中に存在していたにもかかわらず。
でも、それをすることはできなかった。
不可思議と。
そして現在の領域に辿り着くことができ、やっとその原因が解ったと感じる。
原因はふたつある。
一つ目は、自己の価値観の変化により、表現のために使っていた自分の中にある意識で言葉を形にしても、出てくる“もの”全て嘘臭く、そして醜いと感じてしまい、それを創出することに対して、異常な抵抗と制御が機能してしまった。
二つ目は、2年ほど前に小説を描こうと試み、そのため「小説の書き方本」なるものを読んだり、文法を学んだりしたが、なにかが納得できなかった。
試行錯誤の上、自分なりに小説のつくり方を考えた。
それは、いたって単純なもので、あくまでも例だがこんな感じだ。
五千文字の物語を描くため「五つの章」をつくる、そのためには「一つの章に一千文字」が必要となる。
それを創り出すため「二十五のプロット(流れ)」を描き、一プロットに「四十文字の文章」をつくれば完成するというものだ。
そして創作を始め、約2ヶ月間を要しプロットをつくりあげた。
それは、A4用紙で百枚強のボリュームとなった。
その作業は、とても素敵で魅惑に溢れ、いままで感じたことのない充実感をぼくにもたらした。
ビジネスでひとつのプロジェクトを立ち上げ利益を生むよりも
アクアリウムを仕上げるため創意工夫するよりも【これもかなり楽しいが】
絵を描くよりも
写真を撮るよりも
画像を創り出すよりも
物語を描くことが、こんなにも楽しく素晴らしい事とは想像さえしなかった【予感はあったが】
しかし、ぼくの物語の創作はいとも簡単に頓挫した。
プロットから本文への描き起こしができないのである、いやできないというよりも一言で言ってしまうと、“つまらない”のである。
なぜなら、プロットが完成した段階において、作品は未完成でも『ぼくの中で物語は“完結”してしまった』からだ。
というのも、今だからそれが解る、だがその創作時は自分の文章力不足が原因だと認識していた。
さらなる勉強が必要だ、と。
それがきっかけとなり、その後、ぼくは文章力というものに対して過剰な畏怖をしてしまい、前に進めなくなってしまった。
上記ふたつの事が原因で、ぼくの“物語を描く”ことへの情熱は、冷めぬままではあったが、萎縮し使われず燻ぶり続けた。
だが、一冊の本がこの状況を変えてくれた。
夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです/村上 春樹

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村上春樹のインタビュー集。
彼はメディアとほとんど接触しない、謎多き作家だ。
というか、ぼくにとっては、作品から人物像が掴めない唯一の作家であった。
他の作家は、文体や言葉からある程度の人物像をつくることができる(当たっているかは知らないが)
でも、彼をつくりあげることが、ぼくにはずっと出来なかった。
と言っても彼の熱心な読者でもないのだが・・・
ただ、そういうミステリアスな部分もあり、1年くらい前にこの本の存在を知り、いつか読もうと購入し寝かしておいたのだ。(こういう本を出版した彼にも変化があったようである)
全く持って理由は解らないのだが、この本の彼の言葉全てがぼくの意識の琴線に触れるのである。
飢えた植物の根が水を貪るように、彼の言葉がぼくの土壌へ沁みいった。
この文章を書きながら思い出したのだが、読書の世界へぼくを招いたのも彼だった。
『ノルウェイの森』だ。
その作品を読んだ後のぼくは、一週間くらい彼の『ノルウェイの森』の世界を彷徨っていた気がする。
そして、物語を描く世界へいざなってくれたのも彼だとは、なにか不思議な縁を感じられずにはいられない・・・
最後に、
ぼくが見つけた『答え』は至極シンプルだ。
『なんだそれでいいんだ』
である。
物語を生む情熱の核が形成された瞬間だ。
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“空を掴むような話”
† 采配/落合博満 †
采配/落合博満

¥1,575
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メディアとは、本当に恐ろしいバイアス製造機会であると痛感した、この本を読んで。
そのバイアス製造機会によって洗脳されてしまった落合氏に対するぼくの固定観念は、
「コミュニケーション能力が無く、器が小さい我儘な人物」
だ。
と言っても別にメディアを批判しているのでは無い。
会ってもいない、対話もしてもいない人物を勝手にイメージしてしまった自分を戒めているだけである。
勿論、落合氏に逢って話していないが、言葉はその人物そのものだ。
手前味噌だが、文章から人を分析するぼくの感性は優れているし自信もある。
本書を読んで、落合氏の人物像は180度変わったと、まではいかないが、間違い無く300度は変化した。
ぼくが、うだうだ語るよりもインスパイアされた「采配」の言葉を抜粋し、拙いが、その言葉達に対して感受したぼくの気持ちを書いた方が解り易いと感じるので、そうする。
「高い技術を持っている人ほど、その難しさを熟知しているからこそ、第三者に伝える際にはシンプルな表現を使おうとする」
>ぼくの人生経験上、優れた人物ほど物事をシンプルに捉える傾向がある。
内容が飛躍するが、エヴァンゲリオンを観てあれこれ考える族がいる。
あれは、単純に主人公シンジの妄想であり、彼の経験にもとづいた夢である。
複雑に物事を捉える族には、それが解らない。
監督庵野秀明のオモウツボである。
「自分にない色(能力)を使う勇気が、絵の完成度を高めてくれる」
>自分に合わない人物や使いづらい人物を排除もしくは矯正するマネージャーは、愚の骨頂である。
某氏などその典型だ。
補色だけで創られた絵ほど面白くないものは無い。
ここにこの色を使うのか、と、驚かられる絵の方が見ていて愉しい。
組織は一つの作品である。
「視覚でとらえている映像は同じでも、固定観念を取り除けば、さまざまな情報が得られる」
>本書で一番感銘を承けた言葉。
最近、ぼくが実感しているのは、曇りなき感受性と勇気が有れば、なんでも出来るということ。
「大切なのは、どれだけデータをもっているのではなく、自分自身がどれだけのデータをふくめた分析力を備えているかだろう」
>モジュールに使われている人間を最近良く目にする。
アナログという言葉で学ぶことをしない人間にも良く出くわす。
そういう人間に限って百科事典を開いたことさえない。
お金や時間は道具であり、それに支配されることほど愚かな事はない。
「コーチの見るべき方向は、監督の顔色ではなく、現場であり、選手だ」
>中間管理職につくものは肝に銘じないといけない言葉。
「常に考えておくべきなのは、負けるにしても、どこにチャンスを残して負けるか、ということなのだ」
>勝っても負けても経験は己に刻まれる。
その経験の質が大事であり、質はどれだけ本気で取り組んだのかで決まる。
大敗をきし倒れたとしても、また立ち上がれば良い。
そして、大敗という経験を手に入れることができる。
「自分の職場に居心地のよさを求めるな」
>いわずもがなである。
「指揮官は万が一も常に想定し、準備と対策を練っておかなければいけない、万一が起こった時、対応に追われるのは現場の部下達なのだから」
>簡単なようで非常に難しい行動だ。
だれでも自分がかわいい、だが他人のために全身全霊を注いだとき掴めるものが必ずある。
「技術、仕事の進め方というものには、絶対的な基本がある。しかし、絶対的な方法論はない」
>本当にそう思う。
個性は十人十色、上に立つ者は絶対自分の経験を押し付けてはならない。
その人物が持つポテンシャルを引き出すフィールドをつくることが、上にたつ者の使命だ。
「一杯の白飯と緩やかな時間。その中で生きていこうとしているのが、落合博満の人生の采配である」
>ぼくは、350ml缶ビールが二つと冷凍枝豆と熱帯魚観賞の時間があれば満足。
最後に。
落合氏は素敵な人物だ。
そして恐ろしい。
彼は自分の環境を完全に支配し自由に使い切っている。
この本も次へのステップに対する一手としか思えない。
ぼくの彼へのイメージは、「刃物人間」に変わった。


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メディアとは、本当に恐ろしいバイアス製造機会であると痛感した、この本を読んで。
そのバイアス製造機会によって洗脳されてしまった落合氏に対するぼくの固定観念は、
「コミュニケーション能力が無く、器が小さい我儘な人物」
だ。
と言っても別にメディアを批判しているのでは無い。
会ってもいない、対話もしてもいない人物を勝手にイメージしてしまった自分を戒めているだけである。
勿論、落合氏に逢って話していないが、言葉はその人物そのものだ。
手前味噌だが、文章から人を分析するぼくの感性は優れているし自信もある。
本書を読んで、落合氏の人物像は180度変わったと、まではいかないが、間違い無く300度は変化した。
ぼくが、うだうだ語るよりもインスパイアされた「采配」の言葉を抜粋し、拙いが、その言葉達に対して感受したぼくの気持ちを書いた方が解り易いと感じるので、そうする。
「高い技術を持っている人ほど、その難しさを熟知しているからこそ、第三者に伝える際にはシンプルな表現を使おうとする」
>ぼくの人生経験上、優れた人物ほど物事をシンプルに捉える傾向がある。
内容が飛躍するが、エヴァンゲリオンを観てあれこれ考える族がいる。
あれは、単純に主人公シンジの妄想であり、彼の経験にもとづいた夢である。
複雑に物事を捉える族には、それが解らない。
監督庵野秀明のオモウツボである。
「自分にない色(能力)を使う勇気が、絵の完成度を高めてくれる」
>自分に合わない人物や使いづらい人物を排除もしくは矯正するマネージャーは、愚の骨頂である。
某氏などその典型だ。
補色だけで創られた絵ほど面白くないものは無い。
ここにこの色を使うのか、と、驚かられる絵の方が見ていて愉しい。
組織は一つの作品である。
「視覚でとらえている映像は同じでも、固定観念を取り除けば、さまざまな情報が得られる」
>本書で一番感銘を承けた言葉。
最近、ぼくが実感しているのは、曇りなき感受性と勇気が有れば、なんでも出来るということ。
「大切なのは、どれだけデータをもっているのではなく、自分自身がどれだけのデータをふくめた分析力を備えているかだろう」
>モジュールに使われている人間を最近良く目にする。
アナログという言葉で学ぶことをしない人間にも良く出くわす。
そういう人間に限って百科事典を開いたことさえない。
お金や時間は道具であり、それに支配されることほど愚かな事はない。
「コーチの見るべき方向は、監督の顔色ではなく、現場であり、選手だ」
>中間管理職につくものは肝に銘じないといけない言葉。
「常に考えておくべきなのは、負けるにしても、どこにチャンスを残して負けるか、ということなのだ」
>勝っても負けても経験は己に刻まれる。
その経験の質が大事であり、質はどれだけ本気で取り組んだのかで決まる。
大敗をきし倒れたとしても、また立ち上がれば良い。
そして、大敗という経験を手に入れることができる。
「自分の職場に居心地のよさを求めるな」
>いわずもがなである。
「指揮官は万が一も常に想定し、準備と対策を練っておかなければいけない、万一が起こった時、対応に追われるのは現場の部下達なのだから」
>簡単なようで非常に難しい行動だ。
だれでも自分がかわいい、だが他人のために全身全霊を注いだとき掴めるものが必ずある。
「技術、仕事の進め方というものには、絶対的な基本がある。しかし、絶対的な方法論はない」
>本当にそう思う。
個性は十人十色、上に立つ者は絶対自分の経験を押し付けてはならない。
その人物が持つポテンシャルを引き出すフィールドをつくることが、上にたつ者の使命だ。
「一杯の白飯と緩やかな時間。その中で生きていこうとしているのが、落合博満の人生の采配である」
>ぼくは、350ml缶ビールが二つと冷凍枝豆と熱帯魚観賞の時間があれば満足。
最後に。
落合氏は素敵な人物だ。
そして恐ろしい。
彼は自分の環境を完全に支配し自由に使い切っている。
この本も次へのステップに対する一手としか思えない。
ぼくの彼へのイメージは、「刃物人間」に変わった。
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“固着観念”

THE MAX STRATEGY 題訳:仕事は楽しいかね?/著者:デイル・ドーテン/訳:野津智子
仕事は楽しいかね?/デイル ドーテン

¥1,365
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解り始めた My Revolution 明日を変えることさ
偶然という現象は無く、全て必然である。
全ての事象の結果に、全て原因がある。
陳腐で使い古された言葉だ、と、想う人々は沢山いるし、異を唱える人々も腐るほどいるだろうが、
間違い無く上記の言葉は真実である。
そして、ぼくの哲学だ。
それを新たに認識させてくれたのが本書である。
人は己の情況や不幸を環境の所為にしたいと欲する。
道具がない、リソースがない、機会がない等。
あれがほしい、これもほしい、みんなみんな欲しい等。
現実を環境の所為にする事は、間違い無く間違えだ。
全て己に原因がある。
人間関係に行き詰まり転職を決意したA君は、転職先でも同じ事象に行き詰まる。
給与が安いと嘆き転職を決意したBさんは、転職先でも同じくらいの給与しか貰えない。
何故そうなるのか?
原因が環境では無く自分自身だから。
己にこびりつき黴が生え異臭を放つ慣習が、処を変えても、環境をつくりあげてゆくのである。
だが、安住を求める欲望は恐らく人間に備わった本能である。
しかし反面、進歩及び進化を求める欲求もDNAに刻まれた人間の本能である。
二つの反面する本能を備えし我が身。
どうすれば良いというのか?
答えは簡単だ。
進歩し進化し続けるしかない。
何故なら安住し生き残った者はいない、歴史の明である。
Rolling Stone だ。
そのために変化し続けなくてはならない。
常に昨日と違う自分でなくてはならない。
本書曰く
己というコインを投げ続けろ。
瞬間、瞬間、絶え間なく。
それが生き残る秀逸なるSTRATEGYである、と。


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解り始めた My Revolution 明日を変えることさ
偶然という現象は無く、全て必然である。
全ての事象の結果に、全て原因がある。
陳腐で使い古された言葉だ、と、想う人々は沢山いるし、異を唱える人々も腐るほどいるだろうが、
間違い無く上記の言葉は真実である。
そして、ぼくの哲学だ。
それを新たに認識させてくれたのが本書である。
人は己の情況や不幸を環境の所為にしたいと欲する。
道具がない、リソースがない、機会がない等。
あれがほしい、これもほしい、みんなみんな欲しい等。
現実を環境の所為にする事は、間違い無く間違えだ。
全て己に原因がある。
人間関係に行き詰まり転職を決意したA君は、転職先でも同じ事象に行き詰まる。
給与が安いと嘆き転職を決意したBさんは、転職先でも同じくらいの給与しか貰えない。
何故そうなるのか?
原因が環境では無く自分自身だから。
己にこびりつき黴が生え異臭を放つ慣習が、処を変えても、環境をつくりあげてゆくのである。
だが、安住を求める欲望は恐らく人間に備わった本能である。
しかし反面、進歩及び進化を求める欲求もDNAに刻まれた人間の本能である。
二つの反面する本能を備えし我が身。
どうすれば良いというのか?
答えは簡単だ。
進歩し進化し続けるしかない。
何故なら安住し生き残った者はいない、歴史の明である。
Rolling Stone だ。
そのために変化し続けなくてはならない。
常に昨日と違う自分でなくてはならない。
本書曰く
己というコインを投げ続けろ。
瞬間、瞬間、絶え間なく。
それが生き残る秀逸なるSTRATEGYである、と。
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“白”

† ザ・ゴール2 思考プロセス/エリヤス・ゴールドラック†
ザ・ゴール 2 ― 思考プロセス/エリヤフ・ゴールドラット

¥1,680
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「パナソニック、半導体事業で千人削減も…」
本日のニュースヘッドラインのひとつだ。
こういう類のものを目にすると、本当に心底うんざりする。
「リストラ=人員削減」
この概念が社会に蔓延っている、というよりも権力者に上手く利用されている。
リストラとはリストラクチャリングの省略呼称、その言葉の意味は「再構築」だ。
企業組織は自らの運営に行き詰まると、それを再構築せざる得ない。
それが、リストラだ。
その手段として人員削減を選択する経営陣は愚の骨頂だ。
しかも企業組織の規模が大きければ大きいほど、他の選択肢は多く存在するはず。
その中で人員削減を選択するのは、一番手軽でスピィーディーだから選択している、それ以外の理由がぼくには想いつかない。
「そんなの理想論だ」と鼻で嗤われるかもしれない。
嗤いたければどうぞお好きに、現実は理想から始まるんだよ堅物ども。
前置きが長くなってしまったが、この理想を現実にする魔法が、本書で書かれている「思考プロセス」である。
魔法と表現したが、実はそんな大それたものではない。
そのエッセンスは慣習の破壊である。
己の思考を破壊し、整理し、把握して実行する。
ただ、それだけである。
ぼくを含め、人は慣習に縛られている。
地面が崩れるなんて誰も思ってないし、コンビニから物が無くなるなんて誰も考えない。
そして、明日死ぬかもしれないなんて思って生活している人間なんてほぼ皆無だ。
でも、それはただの思い込みでしかない。
その思い込みという魔物を排除してくれる方法と手段をわかり易く教えてくれているのが本書である。
それは、プライベートでも活用でき、もちろん経営にも使える魔法のツールだ。
敢えてぼくは内容に一切触れない。
興味のある方は入手し読了すればいいだけだ。
後、重要な事はこの思考プロセスツールを実践できるかどうかだ。
それは、貴方の器次第だ。


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「パナソニック、半導体事業で千人削減も…」
本日のニュースヘッドラインのひとつだ。
こういう類のものを目にすると、本当に心底うんざりする。
「リストラ=人員削減」
この概念が社会に蔓延っている、というよりも権力者に上手く利用されている。
リストラとはリストラクチャリングの省略呼称、その言葉の意味は「再構築」だ。
企業組織は自らの運営に行き詰まると、それを再構築せざる得ない。
それが、リストラだ。
その手段として人員削減を選択する経営陣は愚の骨頂だ。
しかも企業組織の規模が大きければ大きいほど、他の選択肢は多く存在するはず。
その中で人員削減を選択するのは、一番手軽でスピィーディーだから選択している、それ以外の理由がぼくには想いつかない。
「そんなの理想論だ」と鼻で嗤われるかもしれない。
嗤いたければどうぞお好きに、現実は理想から始まるんだよ堅物ども。
前置きが長くなってしまったが、この理想を現実にする魔法が、本書で書かれている「思考プロセス」である。
魔法と表現したが、実はそんな大それたものではない。
そのエッセンスは慣習の破壊である。
己の思考を破壊し、整理し、把握して実行する。
ただ、それだけである。
ぼくを含め、人は慣習に縛られている。
地面が崩れるなんて誰も思ってないし、コンビニから物が無くなるなんて誰も考えない。
そして、明日死ぬかもしれないなんて思って生活している人間なんてほぼ皆無だ。
でも、それはただの思い込みでしかない。
その思い込みという魔物を排除してくれる方法と手段をわかり易く教えてくれているのが本書である。
それは、プライベートでも活用でき、もちろん経営にも使える魔法のツールだ。
敢えてぼくは内容に一切触れない。
興味のある方は入手し読了すればいいだけだ。
後、重要な事はこの思考プロセスツールを実践できるかどうかだ。
それは、貴方の器次第だ。

† The Goal/エリヤフ・ゴールドラット著作/訳:三本木 亮 †
ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か/エリヤフ・ゴールドラット

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この本を読了した瞬間、閃いた言葉がある。
『言うは易く、行うは難し』
物語の舞台は、それなりの規模を誇る企業の一部門に属する
利益率が悪化し閉鎖に追い込まれている一工場。
主人公は、その工場の立て直しのため配属された
MBA取得の優秀且つ不幸な38歳♂の工場長。
リストラクチャリングも行い、工場内のリソースもからっからに干上がっている。
彼が着任し若干の改善は工場体制に現れたものの、納品遅れは当たり前、利益も赤字から抜け出せない。
そこへ晴天の霹靂。
本部より、むこう三ヶ月間で現状改善ができなければ工場閉鎖というミッションが言い渡される。
嗚呼悲しきかな資本主義、である。
路頭に迷う主人公・・・そして、過去にお世話になった物理学の大学教授と偶然出会う。
その出会いは、主人公の価値観を変えてゆく。
マネージメントのプライオリティーが経費削減からスループット(売上-真の変動費)第一主義へと。
この作品の著者は、イスラエルの物理学者。
工場を経営する友人を自分の知識と知恵を駆使して助けた事をきっかけに、
工場管理ソフトを開発し、事業を立ち上げる。
そのソフトの営業ツールとして生まれたのが本書である。
この本のエッセンスは諸行無常。
約10年前に創られた作品だが、物理学の視点から組織運営の普遍性を解き明かした秀逸なる一品。
『組織とは、チェーンでありグリッドである。そして、その中のパーツには必ず弱点(負荷のもっとも大きい所)があり、その弱点を中心に運営を行うべきである』
その弱点を本書では制約条件(ボトルネック)と呼ぶ。
その組織を制約している条件に合わせ運営し、そこを改善すれば組織全体は前進する。
至って単純だ。
だが、単純であればあるほど困難である。
なぜなら、組織は慣習という重い鎖に縛られているから・・・
それでは、ぼくの属する会社はどうだろう?
会社の制約条件(ボトルネック)は?
。。。
そう、みなさんが予測したとおり
我が社のボトルネックは、悲しいかな且つ嬉しいかな、ぼくの所属する事業部である。
だから
この事業部が前進すれば会社も前進する。
この事業部が利益を出せば、会社は社会から優秀と判断され評価される。
逆はいわずもがなである。
ということは・・・
ぼくの前進が事業部の前進なのである。
事業部の前進が会社の進歩なのである。
ぼくの所属する事業部の責任は、非常に重大なのである。
事業部各位、全員アレックス・ロゴたれ!!!


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この本を読了した瞬間、閃いた言葉がある。
『言うは易く、行うは難し』
物語の舞台は、それなりの規模を誇る企業の一部門に属する
利益率が悪化し閉鎖に追い込まれている一工場。
主人公は、その工場の立て直しのため配属された
MBA取得の優秀且つ不幸な38歳♂の工場長。
リストラクチャリングも行い、工場内のリソースもからっからに干上がっている。
彼が着任し若干の改善は工場体制に現れたものの、納品遅れは当たり前、利益も赤字から抜け出せない。
そこへ晴天の霹靂。
本部より、むこう三ヶ月間で現状改善ができなければ工場閉鎖というミッションが言い渡される。
嗚呼悲しきかな資本主義、である。
路頭に迷う主人公・・・そして、過去にお世話になった物理学の大学教授と偶然出会う。
その出会いは、主人公の価値観を変えてゆく。
マネージメントのプライオリティーが経費削減からスループット(売上-真の変動費)第一主義へと。
この作品の著者は、イスラエルの物理学者。
工場を経営する友人を自分の知識と知恵を駆使して助けた事をきっかけに、
工場管理ソフトを開発し、事業を立ち上げる。
そのソフトの営業ツールとして生まれたのが本書である。
この本のエッセンスは諸行無常。
約10年前に創られた作品だが、物理学の視点から組織運営の普遍性を解き明かした秀逸なる一品。
『組織とは、チェーンでありグリッドである。そして、その中のパーツには必ず弱点(負荷のもっとも大きい所)があり、その弱点を中心に運営を行うべきである』
その弱点を本書では制約条件(ボトルネック)と呼ぶ。
その組織を制約している条件に合わせ運営し、そこを改善すれば組織全体は前進する。
至って単純だ。
だが、単純であればあるほど困難である。
なぜなら、組織は慣習という重い鎖に縛られているから・・・
それでは、ぼくの属する会社はどうだろう?
会社の制約条件(ボトルネック)は?
。。。
そう、みなさんが予測したとおり
我が社のボトルネックは、悲しいかな且つ嬉しいかな、ぼくの所属する事業部である。
だから
この事業部が前進すれば会社も前進する。
この事業部が利益を出せば、会社は社会から優秀と判断され評価される。
逆はいわずもがなである。
ということは・・・
ぼくの前進が事業部の前進なのである。
事業部の前進が会社の進歩なのである。
ぼくの所属する事業部の責任は、非常に重大なのである。
事業部各位、全員アレックス・ロゴたれ!!!

† マネジメント 基本と原則/P.F.ドラッカー 編訳 上田惇生 †
マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則/P・F. ドラッカー

¥2,100
Amazon.co.jp
10年前に書かれたとは思えない、影響力と斬新性による光彩を放ち、自我を惹きつける本書。
だが、ぼくは、この本を根底から忌み嫌ってしまう。
なぜなら、資本主義というテーゼから生み出されている概念だから。
彼は云う。
マネジメントの目的は企業の利益を生み出すためのものでなく、
その組織に属している人々の成果を生み出すためのものである。
と。
正直、目から鱗だ、この概念は。
ぼくは、上の人間にずっと言われ続けてきた。
利益を出せ、右肩上がりで売上をつくれ、と。
さらに、ドラッカーは云う。
企業の目的のプライオリティは利益を出すことではない、
社会に貢献できる良い会社になることだ、と。
正直、ぼくはこの本に出会えて嬉しい。
やっとこういう概念が、世を流布してきたのだと思うと、小躍りしてしまう。
だがしかし、“その組織に属している人々の成果”とは、何なのか。
彼は云う。
それは、個々人の幸福だ、と。
では、幸福とはなんなのか。。。
とどのつまり、それを実現できるのは、お金ではないのか。
といっても、お金も所詮道具にしかすぎない。
出刃包丁と一緒だ。
ただ、この資本主義社会の中では最強の道具だ。
さらに、彼は云う。
組織とは、共に働くひとたちの生産性を高めるための道具だ、と。
そして、ぼくは思う。
資本主義も人類を幸福にするための道具にすぎない。
だが、その資本主義が現在死にかけている。
なぜなら、人類を幸福にしていないから、だ。
彼は云う。
全体主義からの脱却は、マネジメントしかない、と。
でも現在は、お金という道具に支配された、民主主義の皮を被った全体主義である。
ドラッカーは何を伝えたいのか?
感受性は十人十色なので、様々な答えがあると感じるが、ぼくは、こう感じる。
人類全てがマネジャーになれ、己をマネジメントしポスト資本主義を経た次のパラダイムは、自立個人主義をつくれ、と。
でないと、人類に未来はない、と。
最後に、
我が社は日本一のセールスアウトソーシング会社になるのが目的とボスは言うが、
何が目的でそこを目指しているのだろうか?
そして、
ぼくの仕事は、会社にとって、社会にとって、日本にとって、人類にとって、
どのような使命を司っているのか・・・
我が魂に問いかけずにはいられない。


¥2,100
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10年前に書かれたとは思えない、影響力と斬新性による光彩を放ち、自我を惹きつける本書。
だが、ぼくは、この本を根底から忌み嫌ってしまう。
なぜなら、資本主義というテーゼから生み出されている概念だから。
彼は云う。
マネジメントの目的は企業の利益を生み出すためのものでなく、
その組織に属している人々の成果を生み出すためのものである。
と。
正直、目から鱗だ、この概念は。
ぼくは、上の人間にずっと言われ続けてきた。
利益を出せ、右肩上がりで売上をつくれ、と。
さらに、ドラッカーは云う。
企業の目的のプライオリティは利益を出すことではない、
社会に貢献できる良い会社になることだ、と。
正直、ぼくはこの本に出会えて嬉しい。
やっとこういう概念が、世を流布してきたのだと思うと、小躍りしてしまう。
だがしかし、“その組織に属している人々の成果”とは、何なのか。
彼は云う。
それは、個々人の幸福だ、と。
では、幸福とはなんなのか。。。
とどのつまり、それを実現できるのは、お金ではないのか。
といっても、お金も所詮道具にしかすぎない。
出刃包丁と一緒だ。
ただ、この資本主義社会の中では最強の道具だ。
さらに、彼は云う。
組織とは、共に働くひとたちの生産性を高めるための道具だ、と。
そして、ぼくは思う。
資本主義も人類を幸福にするための道具にすぎない。
だが、その資本主義が現在死にかけている。
なぜなら、人類を幸福にしていないから、だ。
彼は云う。
全体主義からの脱却は、マネジメントしかない、と。
でも現在は、お金という道具に支配された、民主主義の皮を被った全体主義である。
ドラッカーは何を伝えたいのか?
感受性は十人十色なので、様々な答えがあると感じるが、ぼくは、こう感じる。
人類全てがマネジャーになれ、己をマネジメントしポスト資本主義を経た次のパラダイムは、自立個人主義をつくれ、と。
でないと、人類に未来はない、と。
最後に、
我が社は日本一のセールスアウトソーシング会社になるのが目的とボスは言うが、
何が目的でそこを目指しているのだろうか?
そして、
ぼくの仕事は、会社にとって、社会にとって、日本にとって、人類にとって、
どのような使命を司っているのか・・・
我が魂に問いかけずにはいられない。
★ The current photograph ★
“淡き”

† 彼女にとって唄うことが生きることであってほしい †
アティーストを好きになる所のプライオリティは、人それぞれ十人十色。
ルックスであったり、メロディーであったり、醸し出す空気であったり、
中には流行りだからとかもあったりするのかも。
因みに、ぼくのその人達へのプライオリティは
1.自己表現力
2.ことば
3.声
そして、生き様。
話は変わり、ある日の京橋。
いつものように、行きつけのバーに向かうぼく。
手前味噌だが、自分のルックスは人とは違う。
細身の真っ黒のスーツにシルバーのアタッシュケース、そして決めては、放射能対策用マスク装着。
あきらかに、怪しい。
しかし、この風姿にもメリットはある。
それは、ほとんど、キャッチされない事。
だって、怪しいから。
でも、たまに果敢に攻めてくるツワモノもいる。
「お兄さんアタッシュケースの中は何がはいってるのですか?」
「ジョブス用の膵臓( ̄ー+ ̄)」
とか言って、煙に巻くぼく。
もちろん、最寄り駅は京橋。
職場が梅田なので、JR京橋駅。
大阪在住及び住んだことのある人は、知っていると思いますが、
JR京橋と京阪京橋駅は隣接し、駅と駅を繋ぐアーケードというか、屋根のあるちょっとした広場がある。
そこには、沢山の人が溢れていて、
家路へ向かう者、キャッチをする者、勧誘のアンケートに励む者、
女性に対して水商売の世界へいざなう者、
そして、今は名もなきアーティストたち。
コブクロもそこで、唄っていたとかいないとか(興味がないのであんまり知りません)
所謂、路上ライブが毎日のように行われている場所。
あんまり、音楽に興味がないぼくは、それをほとんどスルーする。
だが、その日は、違っていた。
お店のオープン時間より少し早く京橋に着いたので、
広場の隅でアタッシュケースを椅子代わりにし、タバコをふかしていると、
やたらと、こころに入ってくるMCができる女性アーティストが路上ライブをしていた。
声と言葉はその人のこころを映し出す雨夜の月。
だから、どんな女性だろう?と興味が溢れ近くに寄ってみる。
ちょうど、ライブの最後の曲を唄い出す彼女。
見事に彼女の世界に巻き込まれ引き込まれる。
ライブ終了と同時にファーストインディーズシングル(ミニアルバム)を購入。
少し話もしてみたら、とても素敵な人間の女性。
アーティスト(ミュージシャン)はみんな自分の世界を持っている(はず)
それを素直に真っ直ぐに表現できる能力は、もちろん向上はするが、
生まれ持ったものだとぼくは感じる。
彼女はそれを具えし者。
間違いなく、売れる。
だが、ふと思う、
一生懸命フライヤーを歌を聞いてくれた人達に配る彼女、ひとりひとりへの丁寧な対応、
楽しそうなやりとりと笑い声。
しかし売れてしまえば、そんな行為は許されない。
京橋の広場で唄う彼女と城ホールで唄う彼女。
どっちが幸せなんだろう、と…
だが、彼女の言葉はおそらく、
「唄えれば、
そして聴いてくれる人がひとりでもいれば、
Aimiは幸せですよ」

みんなで力を合わせ、本当に原発を辞めませんか!!!
「原発がどんなものか知ってほしい」
著者:平井憲夫(1997年1月逝去)
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
より抜粋。
素人が造る原発
原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。
原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。
日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。
仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。
ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。
例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。
現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。
また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。それに、いわゆる腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。
また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになります。
皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。
ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。
私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。
最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。
その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。
話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。
「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。
「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。
「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。
「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。
私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。
担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。
これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。

著者:平井憲夫(1997年1月逝去)
http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
より抜粋。
素人が造る原発
原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。
原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。
日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。
仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。
ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。全くの素人を経験不問という形で募集しています。素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。
例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。
現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。
また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。これではちゃんとした技術を教えることができません。それに、いわゆる腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。
また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになります。
皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。
ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。
私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。
最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。
その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。
話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。
「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。
「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。ちょうど、泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。
「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。
「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。
私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。
担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。
これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです。

† 天網恢恢疎にして漏らさず †
先日、原発の製造にも携わっている某大手会社に勤めていた、妻の父親から、
福島原発の事を教えて頂いた。
その内容は、ぼくにとって、かなり衝撃的なものでした。
だから、ぼくなりに整理し、ブログにしたいと思います。
賛否両論、あると思いますが、内容があまりに重いので、コミカルに描きますね。
三角っくん :ちくびっくん、今日はスペシャルゲストを連れてきたでぇヾ(▼ヘ▼;)
ぼく :うん?
三角っくん :今、人類の敵意を席巻しまっくっている、“ひがし電気マン”や!!!
ひがし :にゃー!!!
ぼく :えええええーΣ(・ω・ノ)ノ!
三角っくん :彼、現実逃避のため、架空入院した上、ドラッグでラりってるから、なんでも話すでぇ
ひがし :なんでも、とうでんもーもー、えいえい、にゃー!!!
ぼく :。。。
三角っくん :まあ、退くわな。なら、代わりにわしが聞いたる。
予備電力のエネルギー庫を、なぜ地下に造らず、地上に造った?
ひがし :安上がりだからにゃー!!!
ぼく :えええええーΣ(・ω・ノ)ノ!
三角っくん :建設に携わった者はもちろん、一部の学者、ジャーナリスト達が、津波の時の危険性 を指摘していたけど、無視し続けたのはなぜ?
ひがし :お金がかかるからにゃー!!!
ぼく :えええええーΣ(・ω・ノ)ノ!
三角っくん :原子炉の種類として、安全性の高い、加圧水型を採用しないのはなぜ?
ひがし :高いからにゃー!!!
ぼく :えええええーΣ(・ω・ノ)ノ!
三角っくん :そもそも、危険性の高い原発を推し進めるのはなぜ?
ひがし :ランニングコストが安いからにゃー!!!
ぼく:。。。安ければ、いいんですか?
ひがし :当たり前だにゃー 収益を出すのが、わての仕事だなにゃー
ぼく:どんなに危険でも?
ひがし:当たり前だにゃー
ぼく:でも、解体費用の経費は莫大じゃないですか?
ひがし:そんなのわてには、関係ないにゃー 後の人間が考えることだにゃー
ぼく:そんなに収益が大事なら、接待をやめたらどうですか?
ひがし:それは、必要経費だにゃー!!!
ぼく:なぜ、貴方じゃなく会長が記者会見をしたんですか?
ひがし:じゃんけんで勝ったにゃー!!!ほひほひ:*:・(≡∀≡)・:*:
ぼく:じゃんけんって。。。
ひがし:ほひほひ:*:・(≡∀≡)・:*:
ぼく:。。。三角っくん
三角っくん :なんや?
ぼく:殴っていい?
三角っくん :ええんちゃうかーヾ(▼ヘ▼;)
庶民の怒りぱーんち!!!(o ̄ - ̄)=◯)`ν゜)・;'
ひがし:ぎゃぁぁあああ!!!
ひがし→〇水社長 :はっ!!! ここはどこじゃ・・・わしは・・・痛っ!!!
ぼく:。。。
〇水社長 :きさまかぁー!!! わしを殴ったのは!!!
ぼく:。。。
〇水社長:うーぬぅ・・・
ぼく:。。。
〇水社長 :訴えてやる!!!!!!!!!!!!!
ぼく:ええええええええええええええええーΣ(・ω・ノ)ノ!
天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏らさず
天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。
悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。








