皆様大変ご無沙汰しておりました。

ヒデキロスの心を自分で癒やすためにこのブログを思わず立ち上げてしまいましたが、

徐々に落ち着きを取り戻し、平穏な日常生活を送れるようになりまして、ブログからちょっと距離を置いておりました。

  様々な活動があちこちでありながらも、依然として地上波でヒデキを特集する企画が立ち上がらないこと・・・ 寂しい限りですが、そこに一喜一憂することなく、ヒデキと同じ時代を駆け抜けたスターの「今」を見逃さないようにしようと、コンサートに出向いております。

  ~というわけで、大阪城ホールで開催されたジュリーのライブに行ってきました。

https://www.osaka-johall.com/seat/

↑ここを見ると、大阪城ホールはレイアウトによってキャパがだいぶ変わるようですが、

ステージパターンBのステージ幅をもっと広くして、立ち見席を無くした感じのパターンで、7000の予定が7500になったとジュリー本人が語っていました。

  京都人のジュリーはやっぱり関西でライブをやるとリラックスするのかな・・・ 終始和やかな京都弁MCで、京都出身の私はとっても心地よかったです。観客の期待通り、「どたキャン騒動」について、しっかりと語っていました。衣裳はピエロスタイル。アンコール前に、ちょっと「着替えてくるわ」とお色直し。再登場時は、なぜかスコットランドのスカート姿。スクリーンがなく、オペラグラスを持って行っていなかったので、お顔の表情とかは分かりませんでした。(座席がステージ対面のスタンド席だったので、遠かった。) 曲目は、2曲は昔のヒット曲を歌っていましたが、あとは全部新しいナンバーでした。しかしながら、ファンクラブ席と思われるアリーナは皆さん総立ちで、同じ振付をしておられましたから、ファンクラブにはおなじみの曲だったと思われます。歌詞もはっきり聴き取れるし、声量もあるし、ステージを左右に駆け巡るし、とても70才とは思えないエネルギッシュなライブでした。

 

やはり昭和の歌手は本当に「歌手」でした。

 

面白かったトークをちょっと再現(ネタバレ満載、これからライブに行かれる方要注意)

 

 

 

 

 

 

「今日は、7000の予定がなんか500増えて7500になったそうや。騒動以降、チケットが売れるらしい。ありがとう。サンキュー。ありがとうね。昔は女の人ばっかりやったんやけど、最近は男性も来てくれて、ホンマありがとう!」(場内から『男もおるで~!!』と声がかかる。)

 

「あの木村太郎に、ジュリーは自分で自分に幕を下ろした・・・とかなんとか言われたんやけど、いやいや、下ろしてへんし! 下ろしてませんよ~!! 俺はまだまだやるつもりやからこそのどたキャンなんやから。」(場内爆笑)

 

「母親が50そこそこで亡くなってるから、自分が70まで生きるとは思わんかったけど、なんの苦労もせんと、そこそこ健康に70まで来られたから、まだまだやめへんよ~」

 

「今は人生100年とか言うてるやん。100年は・・・長すぎやな~ 俺の父親は90超えて亡くなったんやけど、おしゃれな人やったんや。髪の毛はポマードでしっかりかためて、七三に分けてたんや。ひげも良い具合にはやしてたし。俺みたいに真っ白やなくて、黒も混じってて、ロマンスグレーっていう感じの色で。でもだんだんデイサービスのお世話になったりするようになると、ポマードなんかで固めてたら、シャンプーも何回も何回も洗ってもらわなあかんし、ひげを生やしてたら形整えたり大変やろ。だから、ひげも剃られてしまうわ、髪の毛は洗いざらしになるわで、別人みたいになっとったらしい。でも俺は亡くなるまで、その姿を見てなかった。葬儀の時、お棺の上になんでか、おばあちゃん=父親のおかん の写真が置いてあってん。なんでやろ~と思いながらよ~く見たら、お棺の中の父親の顔と同じやんか。

おばあちゃんの写真やなくて、父親の写真やったんや!」

 

「どたキャン騒動の後、友達と寄席に行った時の話。当日券が最前列しかなくて、それもステージの真ん前。案の定、若い芸人がどたキャン騒動をつかみに、『客おったのに帰ったらあかんわな~』とか言っていじっとった。休憩後、ジュリーに似た奴が最前列におるって、きっと楽屋で話題になったんやろな。後半に出て来た芸人に、またいじられて『ご本人??』ってステージ上から声かけられてもたわ。あの騒動前は、どこ行っても誰にも気付かれへんかってん。昔の『きれいな』俺とちゃうからな~」(場内大爆笑)

 

↓ジュリーの記事

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190119-00260889-toyo-bus_all