シンポジウムでお話しした内容を書き留めておきます。

~私らしく 一歩ずつ~

私の病歴からお話ししますと、私は15年前のちょうど2月、息子がお腹にいる時に、姉の突然の死が原因で統合失調症を発症しました。

ショックで2週間位記憶喪失になり、幻覚と妄想に襲われて半年間位通院しました。

そして出産後も、母に住み込みで子育てをしてもらいました。

その後徐々に回復して、普通に生活できるようになりましたが、発症から5年後、初めての子育てで主人の単身赴任も重なって育児ノイローゼ気味になり、姑との関係の悩みや自分自身のコンプレックスでの悩みを抱えて、心が不安定になって再発しました。

本当は聴こえるはずのない声が聴こえ、段々とひどくなって、ある夜、当時居酒屋を始めたばかりの父が、借金を苦にお店にガソリンをまいたという妄想にとらわれ、父を助けるために私が飛び降りろという声が聴こえて、私は自宅2階から転落して病院に運ばれ、3ヶ月半入院しました。

主治医の先生と多くの看護師さんに支えられて、少しずつ快方に向かいました。

退院して自宅に戻っても、倦怠感がとても強くて、掃除、洗濯、食事の支度と、家事のほとんどを母にやってもらう状態でしたが、今日は食事が作れた、今日は洗濯物が干せた、という具合いに、できることが少しずつ増えました。

その頃から病院の作業療法(OT)に通うようになって、自分の好きな手芸や塗り絵などから始めました。

スタッフさんはいつも無理せず休みながらやるように指導して下さって、悩み事の相談に乗ってもらうことも多かったです。

診察とOTに通いながら、母に時々手伝ってもらって家事と子育てを続けました。

OTに通う間にも二度再発して長期入院をしました。

退院後もOTのスタッフさんは私を温かく受け入れてくださいました。

調子の悪い時期は、OTに行っても何も作業ができませんでしたが、ソファーに座って音楽を聴くととても落ち着けたので、体調を見ながら通い続けました。

当時の主治医の先生が、6割の教えを下さいました。

いつも自分の力の6割で動けば負担にならず、精神的にも体力的にもストレスにならずに再発も防げるというものです。

先生は、いつも6割を心がけて、決して無理をしないで生活するように指導して下さいました。

けれどもその頃の私は、かなり体力がないのにも関わらず、自分の動きたい気持ちばかりが強くて、動いてしまった結果ダウンしてしまうことも時々ありました。

診察日やOTの帰りに必ず寄った院内喫茶は、いつも優しいクラシックがかかっていて、温かい接客で迎えてくれて、とても心が落ち着く場所で、そこで紅茶を飲む時間は、私には欠かせない癒しの時間でした。

8年間通い続けたOTですが、スタッフさんの勧めで1年半前にOTを卒業して、内職の作業所、C作業所に通い始めました。

週1回からゆっくり増やしましょうとスタッフさんに言ってもらえて、無理なく慣らしていくことができました。

そして1年前からは、私がいつも紅茶を飲みに通って癒やしをもらっていた院内喫茶でも働くことになりました。

今度は私がお客さんに癒やしをあげる側になったわけです。

スタッフさんに優しく見守られながら、自分も癒やされつつ、お客さんにも癒やされてもらえるように、温かい接客をいつも心がけて頑張っています。

始めた頃は疲れやすくて、お仕事が終わって家に帰ると寝込むこともありましたが、段々と体力もついて、夕方の家事もこなせるようになりました。

院内喫茶で働く自分は、1、2年前にはとても想像もつきませんでした。

ゆっくり時間をかけて少しずつのステップアップが良かったのだと思います。

実は今日、C作業所を卒業して、これからは院内喫茶で社会適応訓練で働くことになっています。

 そしてゆくゆくは一般のアルバイトで働くことが目標です。


                                 ②に続く