遠距離 3000キロ ちきどん全記録
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日常生活における臨床材料を用いた実験

姫が帰国してからの食生活、というのは通常通りといえば通常通りなのだが、週末にガツンと鍋物をこさえて、平日にそれを少しずつ食べる、ということが常である。生活費を削らざるを得ないので、外食・コンビニ弁当などは極力避けているのだ。で、帰国した週がすき焼き、翌週がカレーを作り、毎日同じものを食べていたら、カレーの週の中ごろに顔面の皮膚が白旗をあげた。

お肌ぼろぼろ。老人、というかもうインディジョーンズとかでどんどん人体が老化していって、朽ち果てていく途中のような皮膚に。とにかくカサカサで、ちょっとこするとフケのようにパラパラと舞っていく。

「なんでや」と思うまもなく「食生活や」と思った。そういえば手料理を毎日食べていたとき、というのはおかずが2品あって、必ず味噌汁よろしくコンソメスープが出てきた。2年前に1年間だけど福祉の学校へ行っていただけあって、前回同棲していたとき(もう丸4年以上前か)よりも料理の腕が格段にあがっていた。今回の3ヶ月間の滞在の間に、おれでもできる簡単な料理を数点教えてもらったりもした。

というわけで、そうとうこの3ヶ月間は栄養価の高い食品を食べることができていたのだ。気まぐれで朝食を出してくれるときもあったので、この3ヶ月で5キロ太った(もう今は元に戻ったが)。

以前に床屋でのおばちゃんの会話で「肌荒れ・にきびは体の内側から出てくる」というのが結構なインパクトで能に刻み込まれていて、まさにそれだと思った。保湿クリームとか塗って"スキンケア"なんかしたって、乱れた食生活の前にはまさに張子の虎であった。


で、泣く泣く電話相談。めちゃくちゃおこられた。もうとにかく姫はおれが体調をこわしたりする話をすると、心配を通り越してまず「なんでそんなことになるの」と怒る。「体調を崩す=おまえのだらしない生活態度が原因」という思考回路らしいので、こういった肌荒れのことを相談することははばかるべきことだったのだが、崩れ落ちていく素肌に不安になりつい電話をしてしまった。スキンケア道具一式を置いていったのだから、それを使ってなんとかしろ、とのこと。とくに解決策も見出せなかった。

おれはもう、その頃には「食べ物」ということにな当たりをつけていたので、いろいろと保湿が可能になりそうな食べ物を検索していたのだが、教えてgooに「チョコラBBがいい」というコメントを発見したので、さっそく服用。2日で元に戻った。

しかし、思いかえしてみれば、栄養のバランスのとれた食事をとっていたものの、それがなくなって体に障害を及ぼしてくる間の約10日間、おれの体内はどんどん乾燥して行ったのだと思うと恐くなった。壮大な人体実験の記録であった。


「あなたがいれば 陽はまた昇る この東京砂漠」

早くも週末突入

姫が帰国してから早くもまる3日が経過した。
帰国後一日目のおれの出勤日は、家を出るまではつい先日までの残像拳にホンローされっぱなしであったが、家を出てしまえばもう「一人で家でひたすら掃除をする」姫のことをまったく考える必要がなくなっていたので、あとはいつものペースであった。「夕飯を家でおいしくいただくための努力」をする必要も無く、ただひたすら眼前に広がる課題を片付けていく、いい感じで帰国初日の業務を終えることができた。
・・・というようなことを電話で姫に語ると「あんたが仕事に集中できないのは自分のせいなのか?」とくってかかってこられた。ごもっともだ。「人のせいにはしない」を標榜しているわりには、なんでもすぐ姫のせいにはする。おれに甲斐性がまったくない証左である。口がすべったなあ、と思いつつ訂正訂正。

この3ヶ月間、こうやって時間をまったく気にせず二人でゆっくりと過ごすことができたのは4年ぶりだった。向こうからすれば4年ほっとかれた、と思っても仕方が無い。電話をしていてもささいなことでこういう話になる。来日の前は、向こう3ヶ月間、面対面でこういう突っ込んだ「結論」めいた話が出てきたらどうなってしまうんだろうか、という不安でいっぱいだったが、意外にも姫は理解があった。おれの「仕事最優先主義」を容認してくれた。それでも帰りが遅くなるとかなり不機嫌なのは正直マイったが。

姫のほうも帰国後は相変わらず家事手伝いが忙しいらしい。日本に来させて、一緒に暮らしてみてどうしてこの人が「house keepingが忙しい」ということを連発していたのかようやくわかった。家事に関しては仕事を発生させる天才的な才能があるのだ。この3ヶ月、3年間独り住まいだった我が家は姫の洗礼を大いに受けた。仕事から帰ってくるたびに、何か部屋の様子が変わっている。あちこちがいちいち片付けられている。見たことのない意匠のカバーが電化製品についている。

この3日間、おれは家中で「あれはどこえやったっけか・・・」とぶつぶつ言いながらウロウロする回数が増えた。

「今は尋ねても誰も応えてはくれない」

ひと気のない自宅に戻ると言うこと

成田空港まで姫を見送りに行って自宅に戻ってきたのは20時。マニラ-成田往復のNWを使うのは姫は初めてで、荷物の重さの調節を間違え(20キロ以上は超過料金発生)、荷物の入れ替えを行なったり(結局、積荷の1/3はおれが持ち帰ることに・・・)、手荷物の中におみやげに持たせた料理酒、ボディショップのホワイトムスク、オーラツー歯磨き粉がのきなみ検査に引っかかり(あれだけ『リキッドはダメ』って言ったのに!)、一度お別れをしたのにもかかわらず公衆電話から電話をかけてきて、最初の手荷物検査場から生還・再会を果たしたりしていたら、おれの帰宅自体が遅くなってしまった。

姫は来日するのは今回が8回目だった。「何回も飛行機に乗っていろいろなところに行っているから大丈夫」とかいっているわりには、最近の厳しくなった搭乗の際のルールはまったくノーチェックで、上記のとおり荷物に関する不備が満載。またおれ自身も、事前にNWのwebで荷物に関する要件をチェックしていたにもかかわらず、「25,000円」という法外な超過料金を払える甲斐性もなく、姫がファミリーの待つ家へ持ち帰るはずだったおみやげを、結局おれ自らが自宅へ持ち帰るハメになったわけだから、あいかわらずバタバタな帰国行ではあった。「ちょっと重いけど、まあ少しのお金を払えば大丈夫だろう」という甘い見通しが招いた不祥事であった。

さて、ひと気のない自宅に帰宅するのは3ヶ月ぶりであった。この3ヶ月は、早く帰ろうが遅く帰ろうが、いつでも電気がこうこうとついている「我が家」であった。待っている人がいる自宅に帰れる、という幸せを大いにかみ締めることができた3ヶ月であった。今日からまた3ヶ月ぶりの独身生活。いつもどおりのきままな生活ではある。時間も遅かったので風呂に入って寝るくらいしかすることはなかったのだが、その動作の中のひとつひとつをとっても姫の残像が脳裏にフラッシュバックする。

「あ、帰ったんだ」

おれが温かい風呂に使っているあいだ、ヤツはきっとマズい機内食を食っているのだろう。搭乗前も「NWなんて使えない航空会社!」とさんざん怒り狂い、しばしのお別れの儀式もお互いが気まずい感じの中、粛々と執り行われた。風呂に入るたびにおれの弱い肌を気遣い、今までの人生でお目にかかったこともない、米国製のせっけんで顔面マッサージ。この3ヶ月、姫の献身的な介護の成果もあって、今年の冬、おれの素肌は調子がいい。前年比200%である。もう薬用クリームの世話になる必要がまったくなくなった。

こうして独りで風呂にゆっくりつかるのも久しぶりだが、風呂の中でのささいな笑い話や、すべって転んだ失敗の記憶がよみがえる。そうした記憶を払い飛ばすかのように懸命に髪を洗った。

「あいつはもうここにはいない」