ふ

小学生になった私は、割と積極的で
学芸会も舞台を中心を陣取ってみたり
いじられキャラではあったけれど友達ともそれなりに遊べるようになっていました。
体は人より大きく、でもメンタルは弱小。
それはなぜだったのか振り返ると
母親の存在が大きかったように思います。
母は常に否定から入る人でした。
その当時は守られている愛されているという感覚が全くなかった親子関係。
そして母の言葉の癖がいつも疑問形だったのです。
「〜やったの?」「〜はどうなってるの?」
「〜でしょう?」「どうしてわからないの?」
母親と話すとまた否定されると思い
何を話して良いかわからなくなり
20歳くらいまでは母親と話そうとすると緊張するという状態になっていました。
話がそれましたね😅
いつもどことなく満たされない気持ちでいた私でしたが、
小学校3年生で転校という経験をしました。
メンタル弱小の私は転校して2週間ぐらいは毎日教室の片隅で泣いていました。
でもトップテンやベストテン(懐かしいでしょ😂)の話題や休み時のゴム跳びで
親友と呼べる友達もできました。
好きな男の子もできたりして、それなりに充実した小学校生活でした。
小学校4年生の時、父が大阪に単身赴任をすることになりました。私はパパっ子だったので
これはかなりショックな出来事でした。
私が大学生になる約10年もの間
ほぼ単身赴任生活は続きました。
父のいない毎日
母は正社員で働き、仕事で忙しく
3つ上の姉は部活や塾で忙しく
私は家にいて1人で妄想したり、本を読んだりテレビを観ることが好きでした。
友達と交換日記をすることも好きでした。
男の子と2対2の4人で交換日記をしたり。
男の子たちがなかなか日記を書かなくて自然消滅してしまった、淡い思い出です❤️
そしてあの時の自分に言ってあげたいのは
もっと勉強しろ(笑)もっと自分を磨け!(笑)
です。
小学校高学年で金管クラブに入り
体格の良かった私は
指揮者に抜擢されました。
今、改めて思い返してみるとみんなからの注目を浴びて私はすごく輝いていた。
練習は厳しかったし、先生も怖かったし
指揮棒振り続けることは辛かったけれど
あの時はすごくすごく輝いていたと
今になってわかるのです。