最近、ネットで平凡の話を見る事があり、


キャビネットを開けてみました。


何と、月刊平凡、週刊平凡の最終保存版が揃っているではありませんか❗️


両方とも持ってる人って、いないのでは❓


流石、昭和の記録魔❗️😂



平凡出版さんは、マガジンハウスに名前を変えたんですよね。


週刊平凡が昭和62年10月6日、


月刊平凡が昭和62年12月1日に最終号となっています。




1970年代、ヒデキ、ヒデキに明け暮れていた頃、


発売日の朝、月刊平凡と月刊明星の新聞広告を精査、


どちらがヒデキが多いかで頭を悩ませていました。


ポスターがあれば、記事が少ないんです。


両方買うという選択肢はなかった。


友達と交換していました。


中身は括られていて見えなかったんですよ。



今ある切り抜きノートでは、記事が明星か、平凡かはわかりません。


平凡の方がよく出ていた印象です。




時代の先を読んでの廃刊だったのでしょう。


本当に楽しませていただきました。



平凡の編集者には


「ヒデキはオレが育ててやるんだ!」という情熱があったとヒデキが語っています。


当時のヒデキをよく知る方々によるお話を


ぜひ、教えていただきたいものです。



そういえば、マガジンハウスさんとは、


クロワッサンの担当の方々と一緒に仕事をした事があり、


銀座の本社にも行った事があります。


当時、おしゃれな建物で驚きました。


今もヒデキの資料があるのなら、


芸能史としてのヒデキの写真を含む書籍を出していただきたいなと思うのです。


記事を見ると、スターと編集者を超えた絆があったのですね。


ヒデキ担当の高橋さん、お元気でしょうか。










簡潔な告白自叙伝でしたが、


デビュー前、デビューの時、


デビュー後のヒデキの思いが伝わってきました。


いかがでしたでしょうか❓



歌の世界に夢を描き続けたヒデキ。


ヒデキの思いは叶ったのでは❓

一生を懸けて命の限り叶えたのでは❓


哀しいけれど、

そう思えてくるのです。







デビュー曲、恋する季節をついに手にしたヒデキ。

ところが一向に 

レコーディングのスケジュールは決まらなかった。

俺は音痴だと悩んだ日々。


そして、その日は、突然にやってきた…。



携帯のビデオを見ていたら、

以前ツイートした動画がありました。

1974年11月5日 赤坂プリンスホテルでの
日本歌謡大賞入賞式。

傷だらけのローラで放送音楽賞にノミネートされた時のテレビからの録音音源です。

その後、11月26日に放送音楽賞を受賞しました。

大親友のまるちゃんのお姿も。

この時は事務所の方々だと思っていました😅

動画制作スキルもなくて、

カセットを再生しながら撮っていますが、

よかったらご覧くださいね。

司会は高島忠夫さんと黒柳徹子さんみたいですね。






一気に西城秀樹告白自叙伝の朗読をやってしまいました。


これで前篇は終わりです。


ご覧いただきありがとうございます。


いかがでしたか❓


前にセブンティーンの自叙伝の画像を


Twitterに出したのですが、


こちらはまた別のエピソードがあって興味深かったです。


ヒデキ担当記者さん達の意気込みが感じられますよね。



明日から後編に取り掛かる予定です。


まだ読んでいないんですよ😅


さらっと確認していたら


字が見えない❗️


「羽ばた…こう❗️」⁉️


「羽ばた…きたい❗️」⁉️


❓❓❓


一字一句記者さんの思いを間違えずに伝えたくて


何枚も拡大写真を撮ってやっと判明❗️



1974年、47年前の古文書ですからね、


早く朗読して形に残しておかないと、


粉々になって風になって飛んでいきそうなんです😂







西城秀樹告白自叙伝の動画を編集していて


思ったんです。


思い切って広島を飛び出して


芸能界に飛び込んでくれてありがとう‼️っていう事。


ブロウアップヒデキのインタビューの中でも、


若いからこそ飛び込む事が出来たと


ヒデキは言っていました。



ヒデキを許してくれたお母様、お兄様、お姉様、


厳しく見守ってくれたお父様の存在がなかったら…


この時のヒデキの音楽に対する熱い気持ちがなかったら…


わたしの人生は何の彩りもなく終わっていたでしょう。



そして、最後の数枚の画像を並べた時、


本当にヒデキは必死で星を掴もうとしていた、


いつでも必死で歌っていた…


命懸けで…



見ていて胸に迫るものがありました。


西城秀樹になってくれて、


本当にありがとう‼️



西城秀樹告白自叙伝後編へと続きます。


夜行列車は期待と不安でいっぱいだった 情熱の男 西城秀樹告白自叙伝 前篇③西城秀樹の自叙伝は、1970年代当時の雑誌によく掲載されていました。内容はそれぞれでした。いろいろなヒデキ自叙伝を読み解けば、真実のヒデキの姿が浮かび上がってくるかも⁉️などと思って朗読をしてみる事にしました。今回は前篇①②③、後編①②③くらい❓というアバウトな感じで始めてみました。さて、どんなお話が飛び出すやら...リンクyoutu.be








前回、北海道室蘭での公演の為、


レコード大賞受賞式に間に合わなかった時の録音も


見つかったので番外編として出します。


嬉しさと悔しさ。


若いヒデキの喜びのインタビューを聴いてくださいね。


今朝4時まで動画編集をしていました。


自叙伝に相応しい音楽、写真を探して。


切り抜きノートは5回くらい見直して。



この回は愛宕町のタッちゃん時代。


「じゃ」が気に入らなくて帰っちゃったの⁉️


知っていたようで知らなかったタッちゃん時代。


段々と音楽に魅せられていく様が描かれています。


西城秀樹になるべくして広島に落ちた星であったみたいに。




夜行列車は期待と不安でいっぱいだった 情熱の男 西城秀樹告白自叙伝 前篇②西城秀樹の自叙伝は、1970年代当時の雑誌によく掲載されていました。内容はそれぞれでした。いろいろなヒデキ自叙伝を読み解けば、真実のヒデキの姿が浮かび上がってくるかも⁉️などと思って朗読をしてみる事にしました。今回は前篇①②③、後編①②③くらい❓というアバウトな感じで始めてみました。さて、どんなお話が飛び出すやら...リンクyoutu.be