ご無沙汰致しました、こんにちは。

 

みなさま、お変わりなくお過ごしでしょうか?

 

そうであって欲しい、との願い止みません。

 

私も現時点において、無事です。

 

空が明るくなり始めた頃の時間からの散歩が心地よくて気に入り、習慣になりました。

 

部屋でも運動する時間がグッと増えて、以前より体力がついたかも知れません。

 

と言っても、これまでが運動しなさ過ぎだったんですけども・笑。

 

とはいえ、普段から潔癖の傾向があるタイプなので、しばらくは神経過敏なっていました・涙。

 

私の周辺、zu-ちゃんや双方の家族もみな、現時点において無事で、

 

仕事のほうも私は早々に在宅、zu-ちゃんも早い段階から大半は現場を離れ、

 

新規のほうが無傷に済んでいることや、

 

早い時期からの対応転換でカバー出来ている様子。

 

2月には元々トレーニング器具を置いていた部屋が更にジム化されていて、

 

生活リズムも朝方に移行していたりして、心身ともに健やかそうです。

 

生活時間が重なっていなかった私達が、突如ずっと一緒に過ごすとなると

 

ギクシャクしてしまうかな?と気を揉んでみたりもしましたが、

 

今のところはそれも大丈夫です。

 

ほぼ別部屋で過ごしていますけども、四六時中一緒に居ることのストレスはなし。

 

紙類や洗剤などの消耗スピードに驚いたくらい。

 

料理はお互い好きですが、自粛生活になってzu-ちゃんの手料理を食す機会が増えました。

 

タケノコご飯と茶碗蒸しは、食べながらちょっと目が潤む美味しさでした。

 

新型コロナ騒動は未だ渦中にあり、少なからず翻弄されている身の1人として、

 

まだどう捉え、どう思うのかさえ、うまく纏まらない気持ちです。

 

いつになるかはわかりませんが、科学がこの疫病を克服し、

 

世の中がこの疫病との闘いに目処がたち、その時点でも無事でいられたら、

 

やっとアレコレ思う気持ちが湧くのかも知れません。

 

さて、タイトルの一文は、カポーティの小説「叶えられた祈り」で最初に紹介されている

 

聖テレサの言葉です。

 

 

この小説自体は、カポーティの作品の中では私はあまり好みではありません。

 

けれど、この言葉は時々ふと思い出されます。

 

今回、様々なことで、私は如何に守られているかを感じ、感謝の念にたえませんでした。

 

無理はしないようにと願ってくれる存在の心強さに胸打たれます。

 

望んでいたことではなかったと、心の中を覗き、振り返ってみてもそうだった筈ですが、

 

まるで望みが叶ったかのような安堵と充溢を感じていて、あらためて自分の望みを知ったような感覚です。

 

無事に対岸へ辿り着き、大切な多くの人達みんなと再会して、喜びと安堵で泣きたい。

 

とりとめのない話になりましたが、体力強化に勤しみつつも、相変わらず本は読んでいます。

 

母のことやら、除菌疲れで、本の文字をつらつらーっと目で追うコトは出来ても、

 

内容が頭と心にちっとも入って来ない時期もありました。

 

その時は、それが今の欲求なのだと許可して、眺めているだけでも気持ちが解れるものを選んでいました。

 

今はまた読み込んで、心が動く物語に戻っています。

 

本当は以前のように一冊ごと、深堀の感想を留めたい気持ちもあるものの、

 

今やはり疲れているのか、それを考えるとちょっとグッタリしてしまう気分も正直否めず、

 

面白かった本をいくつかサラリと載せることに致します。

 

 

 

(梨木さんの物語は、どうしてこうも優しく美しいのか!!

 カラス一族のカケスは、この広い世の中でもそうそう巡り合えない言葉を覚えた。

 それは最高なことだ。)

 

(なんとなく気になって、滅多にしない表紙買いをしたのですが、当たりでした。

 アポロが良い!関係のない私からも、アポロにありがとうと言いたくなったりして・笑)

 

(「珈琲の表現」もあるのですが未読で、先に読んだこちらの誠実に打たれる。

蕪木さんの佇まいの良さって何なの?!徹頭徹尾シブいのです。大人、ここにあり。)

 

(愛撫と読解の関連が面白かった。暴露の志向性ではなく探求、手探り、不可視のものを目指す歩み。

 正解はわからないけれど、そういうものなら心地良さそう。)

 

(心と脳はなぜサイクリングと自転車の関係に似ているのか?

 そうなの?似ているの?!と気になって、読んでみましたが、わからなかったという一冊・笑。

 知的欲求を満たしたくても追いつかないもどかしさを味わうのも、また楽し・強がり。)

 

 

(ちょっと笑けてくるくらいの厚みです。この厚さの、人さまの読書日記の本を読むことの可笑しみも・笑。

 実はこの本は第二弾です!第一弾は未購入。文字は極小でギッシリですが、読みやすい文体で、

 本好きがひしひしーっと伝わって、じんわりと共感するのです。紙が良くて、見た目より意外と軽い。)

 

 

(ペットあるあるのひとつ、ポチの呼び名の愛情深い七変化が可愛い♪

 猫小説はたくさんあるけれど、爽やかにグッとくる物語でした。

「生きている事。ああ、それは、何という息もたえだえの大事業であろうか」という、

太宰「斜陽」の言葉を思い、ポチのことを願う場面が印象深かった。)

 

(町田さんの断酒。いやー、信じ難かった。飲み仲間でも何でもないんですけども・笑。

 長きに渡り、町田さんが深酒、酩酊する場面を読んで来た一人としては、心配すら伴う驚きだったのです。

なるほどー!とその動機や経緯を面白おかしく読み楽しみました。)

 

(除菌や新型コロナのことで神経過敏になっていた頭と心を、ほぐしまくってくれた一冊です。

 集中するのがしんどい時でも、サラリと読めました。

 私にとっては、この時期に読んでホントに良かった!物語のチカラって凄いなぁと、つくづく。

岸辺のヤービも絶対に読もうと思います。)

 

(新刊を目にして、むちゃくちゃ久しぶりに読んだオースターの本。

 やっぱり好きです。離れていても好きなものは好きなんだなぁと再確認。

 好みも、さほど変わってない。

 オースターの本書の朗読の動画があるよ!と教えてもらって見てみたら、

 作りのない声の響きが心地良かったです。

 そして何故か、私は自前の自然な歯の人を見るとホッとします。

 たとえそれで、多少の滑舌が悪くても。)

 

 

 

(どいかやさんの、「チリとチリリ」シリーズ。

 絵もお話も、ほのぼの感が最高で、動植物がとても魅力的に描かれています。

 このシリーズの「ゆきのひのおはなし」を、母が昨年の初冬から長期入院していた時

(その後無事に退院しました)に持参したら、

主人公が私に似ていると無邪気に喜んで、いたく気に入り、何度も読み聞かせの時間を持ちました。

チリとチリリ、どちらに似ているのかは不明ですが・笑。

それは母に差し上げたのですが、母の気に入った本を、私も持っていたくなって買いました。

新型コロナ騒動で、他県への移動や病み上がりで高齢の母の元へは、

心配でもなかなか会えない状況ですし、退院時の手伝いや、会って直にお祝いを言えずにいた時など、

眺めているだけでも心を宥めてくれた一冊です。)

 

 

(特に不調があったワケではありませんが、載っているスープがどれも魅力的に美味しそうで購入。

 かぼちゃのごま味噌スープ、蓮根と長ねぎのスープ、菜の花とじゃが芋のごま味噌スープを作ってみましたが

 美味しかったです。)

 

 

 

 

(アガサの小説にまつわる珈琲やカップの情報がまとまった、楽しい本でした!

 あー!これ、そうだったの?わー♪こんな素敵なカップだったのかー!と、

 好きな作品を思い出したり、意外性を感じたり、更に味わい深くしてくれました。

 バートラムホテルにてに登場していたという、フライング・スワンは、

 アガサが大好きだったボールドウィンという絵師による絵付なのだそう。

 最近、おしゃれ珈琲店では日本の陶器のカップがよく使われていて、

 温かみがあって私も好きですが、磁気のカップもあらためて素敵だなぁと思います!)

 

 

(翻訳の違いによる印象の違いを実感・検証したくなって、読み比べ。

 別物とまではいかないけれど、ずいぶん違いました。

読みやすさや語り口、どちらも良し悪しではなく好みだと思いますが、

私はまどろっこしくても、解釈に幅をもたせてくれているような(俳句的な)寿岳さんの訳が好みでした。

注釈のページが分かれている点は、河出文庫さんが読みやすかったです。)

 

 

 

 

(そしてそして、レシピ本の域を超え、猫写真集の枠も超えた、どちらも最高の一冊。

 インスタを見ない私は存じ上げなかったのですが、インスタグラムで人気の料理作家さんと、

 飼い猫のボナちゃん。

 本気のスイーツで、道具も技術もまったくもって不足している私にはハードルの高いレシピですが、

 2つくらいは頑張ってみる気になったら、作ってみたいかも。・・・この上なく消極的な希望です・笑。

 それでも、眺めているだけでも幸せな気分になる可愛らしさなのです!)

 

 

 

本ではないのですが、こちらも自粛中、何度も見ては癒され、勇気付けられているビーバー の動画です。

 

黙々と淡々と、何年にも渡り、健気に理想の生息地を形成する姿とその本能にキュンとしますが、

 

その結果、森を復活させたり生態系を豊かにしているだなんて、お見事です!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自粛の期間がどうであれ、疫病との闘いはまだまだ続きそうですし、

 

私個人に出来るコトは信じがたいほど少なく、無力感に苛まれる瞬間もあるほどですが、

 

その限られた出来るコト、(やったところで大丈夫という保証はないけれど)

 

新型コロナにもその他の病にも罹患しないよう衛生に十分気をつけ、

 

事故を防げるよう注意した生活を送り、これまでよりも無理を戒め、

 

このくらいなら・・・という油断も排して、

 

なるべく過剰に恐れないよう気持ちをほぐしながら、お互い様の気持ちと、

 

遠いと近いとに関わらず、良くして下さる方々への感謝を忘れずに、

 

やっていこうとおもいますニコ

 

 

 

 

 

《ふろく》

 

切ないニュースが溢れる中、嬉しくて気持ちがパッと明るくなった記事。

 

飯田さんと田中さんのユニット、ネルホルの作品がvoca展2020の大賞に。

 

昨年、好きなサカナクションのアルバムジャケットや山口さんをモデルにした作品を目にした時も、

 

きゃあ♪と思ったけれど、今回はそれを遥かに上回って、きゃあきゃあ。

 

おめでとうございます・感涙!!!

 

 

 

 

(受賞作品の前の御二方。喜びを語る動画の飯田さん、熱くて良かった!

 蕪木さんとの印象も重なるんだよなぁ。)

 

 

 

《ふろくのふろく》

 

おやつは竹輪です!は最高に可愛らしかった!!

 

私が惹かれる人の印象は、ある点で通じているかも。

 

飾りがなくて実直で、静かで涼やかな雰囲気があるのに、芯が激アツで頑な一面を感じるトコとか。

 

で、根本は温かい人柄で優しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

再上映館をしつこく探していたところ、アップリンク吉祥寺さんで期間限定で観られることを知り、

 

喜び勇んだワタクシ。

 

普段、映画は公開を待ち望んでいた作品などでなければ特に予定を立てず、

 

気になっている作品は時間が出来たタイミングでぴゅーんと1人で行く事が多いのですが、

 

行き慣れていない映画館でレイトショーとなると、ちょっと心細くなってしまって、

 

Aちゃんに声を掛けたところ、急な誘いにも関わらず快諾してくれて、

 

空気のキリリと冷えた、月の美しい真冬の夜に、夏の日の映画を観て参りました。

 

まず、予想以上の映像美に胸を掴まれました。

 

 

 

 

 

美しくて魅入る、このシンプルな力強さって、画像・映像にとって凄まじい効果だなーと改めて思います。

 

それだけでも結構、満足して観ていられる。

 

主人公ピョトレックはリバーフェニックスを思わせる、物憂げで繊細な美少年で、

 

そうした物憂げな美少年・美少女が放つ、緊張感がぴーーーーんと張り詰めている訳です。

 

まだ自立出来る年齢ではない主人公にとって、唯一の寄る辺で大好きなお母さんとの緊密な日常。

 

子供にはまだ理解出来ない大人の気持ちや事情、

 

大人が忘れ去って汲み取り切れなくなった子供の気持ちや状況、

 

思い合っているから、理解してあげたいし、責め立てたりなどしたくないけれど、

 

いざとなると、やはり自分の思いが先立って、傷つけるしかなくなってしまっている2人の姿は、

 

切なく遣る瀬なかったです。

 

私は観ながら、千鳥・ノブさんが降臨したかのごとく、主人公のママさんに度々、

 

『しっかりせぇ〜』『なんでそんなコトするんよ〜』 『やめぇ〜』と心でグリグリパンチしながら

 

ツッコミを入れておりました。(笑)

 

特に外出を取り止めた晩のカードゲームのシーンでは、

 

『身を入れてやれぃ〜』と声に出したくなったくらい。(笑)

 

それは、あなたの心意気一つで出来るコトなのだから、せめてやったげてよ、と。

 

勿論、お母さんの寂しさや葛藤にも胸を締め付けられるものはあります。

 

子供が小さな大人なら、大人も大きな子供、と思わせる姿が描かれていて、

 

それは善し悪しではなく現実としてままあるコトだなぁと。

 

私も、生活や自分の気持ちで一杯一杯で、

 

大人の事情や包み隠されていない感情を、幼い頃から否応なしに目にせざるを得ない環境で育ち、

 

ピョトレックが母親と父親から向けられていたあの目、あの眼差しにも憶えがあります。

 

言葉にはしないまでも、『そんなに僕が憎いの?』と、その眼差しに深く傷つき、

 

何処にも身の置き場がないのに、だからこそ必死にお母さんを求めてしまう様子を、

 

堪らない気持ちで観ていました。

 

『でも、大丈夫だよ。』『ピョトレック、あなたは優しいから、きっと素敵な大人になるよ。』と

 

心で呟きながら。

 

ずーっとノブさんツッコミを入れていた(私が)ピョトレックの母親も、

 

だらしなくてダメな母親、という言葉で片付けるのは容易いけれど、それはちょっと酷な仕打ちで、

 

彼女もまたピョトレックと同じように、見たくないものを否応なしに見ざるを得ず、

 

最低限には守られてはいるのだけれど、不十分だと感じながら、時にそう感じる自分を責めながら、

 

どうしようもない寂しさや不足の渇望感に喘いでいる1人なんですもん。

 

そんな息苦しいような親子2人の暮らしに、離れて暮らすお父さんが帰って来たコトで、

 

緊張が和らぎ、ゆったりとした温かな空気が通う日常になったかに思えたのも束の間、

 

輝いて見えた夏の1ページはあっけなく夏の嵐に。

 

私としてはピョトレックに対する母親からの仕打ちもシンドイけれど、

 

父親からのそれは、もっとキツかったです。

 

ホントやめてあげて欲しかった。

 

言葉や態度は、激しいものではないんですけど、扱いの愛情のなさがもう。

 

のっぺらぼうの怪談みたいな逃げ場のなさ。

 

ブルータスお前もか、という立ち直り難い絶望。

 

守ってくれる人が現れ、その胸に飛び込んで安堵したばかりのピョトレックを、

 

妻への疑問を晴らす駒のように扱う父親。

 

ピョトレックがしでかしたコトでもなんでもないのに。

 

このシーンでは、ノブさんツッコミのような優しいものではなく、

 

『知らんがな!自分で訊けや!!ボケ!!!』と心で叫んでおりました。

 

ああ嫌だ、今すぐにでもピョトレックのもとへ行って、美味しいクリームソーダ飲みに行こう!と誘いたい。

 

そして可愛い猫動画を一緒に見たあとカードゲームしてあげたい!!という欲求が高まっていたら、

 

物語では、それ以上にピョトレックに癒しと歓喜ををもたらす出来事が。

 

フェリシタシオネス、ピョトレック!!と祝福の拍手を胸のうちでしていました。

 

そしてそして、私にとって、この物語の肝となっていたあの眼鏡の男の子。

 

登場した場面からむちゃくちゃ惹かれ、登場人物の中で一番好きだった存在です。

 

衝撃があって、後半また異なる衝撃と安堵を受けて、

 

そうか、屈託がなさそうに見えていたけれど、寂しかったのはこの子もそういうコトだったのか、

 

と独りごち、

 

それでも眼鏡の子には、少なくとも大人の事情を見せないように努めてくれるお母さん、

 

守ろうとしてくれる大人が居て、

 

安心して子供でいることが出来ているので、

 

あの呑気にも見える朗らかさや優しさ、人を信じる素直さが溢れているように思えました。

 

それはきっと眼鏡の子のお母さんと、不実ながらも優しいお父さんの頑張りによるものなのでしょう。

 

 

 

 

 

 

ピョトレックが驚き、戸惑いながら理解し、眼鏡の子とゴーカートで無邪気に遊ぶシーンで、

 

もう限界!!とばかりに涙がこぼれてました。

 

よかったぁ、よかったー!よかったね、ピョトレック、もう1人じゃないよ!

 

触れるコトは生きている時しか出来ないから、これからは眼鏡の子やあの女の子と仲良く楽しい生活が・・・

 

と歓喜の涙を流した直後に、嘘でしょ?!な展開。

 

全編こういった感じなんですよ。

 

映像美で魅せるとなるとまったりな作品も少なくないように思うのですが、

 

考えさせられる内容の濃さやサスペンスさながらの緊張感やどんでん返しもあるんだけれど、

 

突飛さがなく、意外ではあるけれども全然あり得ることと思わせる絶妙さ。

 

痛すぎるエグすぎる重すぎる、などの過剰がない匙加減もとても好みでした。

 

その上で、どういう映画かというコトを、そう簡単には括らせないぞ、

 

という意思まで感るような掴み所のなさがあり、

 

物語がどう転ぶかが判らないので、コレあっちの展開になったらすごく残念だなぁ、

 

ここまでは好みなだけに、作品自体に幻滅しそうで嫌だなぁなどと気を揉んだ箇所がいくつかありました。

 

ラストシーンではことに。

 

ですが、どのシーンでもそれは杞憂に終わり、その都度、本作への信頼や好意が募り、

 

最後で完璧に、愛してます、の域に。(笑)

 

Aちゃんも私も、並びの席のお姉さん達も、あのシーンでは思わず

 

『やめてやめてやめてー』とか『えーっ!ダメだよぅ』の後に、

 

『あー、よかった』と安堵の声が小さく漏れていました。(笑)

 

以前、町田康さんの本に、いっさいは過ぎて行く、というテーマで書かれたものがあって、

 

この時それが胸を過ぎりました。

 

あの列車のように通り過ぎて行くし、過ぎてしまえば、それでも自分の身体が大丈夫なら、

 

またあの森や、遊園地のブランコや、ゴーカートの日のような歓びも待っている。

 

と、全編見終えた感想の更に先で思ったのは、うんざりするようなシンドイあの夏の日でさえ、

 

美しい映像は心に甘味を残すなぁというコトでした。

 

真冬に観た、少年ピョトレックの中を過ぎて行った、ある夏の日の思い出、

 

真冬に暖かな部屋で食べるアイスクリームのように、特別な余韻がありました。

 

何味かといえば、最初は甘いバニラアイスに苦めのエスプレッソをかけたアフォガートかと思いましたが、

 

アフォガートはアイスが多めで、食べた実感としては甘味が際立って感じる(私は)ので、

 

甘そうに見えて案外コーヒーの苦さが際立って感じられるコーヒーフロートが近いかも。

 

・・・って例えるコトないか!(笑)照れアップトニカクサイコウダッター

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年末年始をパタパタと過ごしているうちに、年が明けてはや12日。

 

ですが元日だけは、今年も初詣と家族の会食でゆっくり出来ました。

 

その後は、友人宅や温泉へと、楽しいながらも何かと慌ただしく賑やかに。

 

 

ご挨拶が遅くなりましたが、

 

みなさま、昨年もワタクシの拙いブログにお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

 

本年も気まぐれな更新となりますが、何卒宜しくお願い申し上げます照れ音譜

 

 

さて、12月上旬の寒い日に、皆川明さんの展覧会を観に、久し振りに東京都現代美術館へ。

 

 

 

 

 

 

 

リニューアルしてから初めて行ったので、4年ぶりくらいでした。

 

商店街の店並みも、少し変わっていたような気がします。

 

子猫だった看板猫ちゃんも元気かなぁ?と再会を楽しみに、回り道してみましたが、

 

あいにくお休みだったようなのでまたの機会に。

 

展示会場の入り口は、見ているだけでウキウキしてくるような、

 

素敵なテキスタイルのクッションが壁一面にずらーり。

 

 

 

 

小走りに駆け寄って、ポスーンとクッションの壁に身を預けたくなる衝動が。(笑)

 

そんな気持ちを抑えつつ、一つ一つのデザインをじっくり鑑賞しました。

 

展示は、もの作りの営みを自然界に例えた名称ごとになっていました。

 

始めは実。

 

テキスタイル『タンバリン』のスケッチやドローイング、コラボ作品など、

 

タンバリンの果てない魅力を堪能できるお部屋でした。

 

 

 

(様々な物に変容したタンバリン。どれもこれもが可愛い。)

 

 

 

この生地は、これまでになんと!

 

103kmも製造され、様々な作品が生まれたのだそうです。

 

次の間は、森。

 

入り口付近でチラッと見えた時から興奮してしまったのですが、一歩中へ踏み入ると、

 

双璧に可愛らしく魅力で溢れかえった洋服が、天井近くの高さからびっしりと。

 

森という章でしたが、私の印象としましては、まるでお洋服の滝のようでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の、風では皆川さんの服を着ている人々の暮らしの映像が。

 

ゆっくりとした時間と心地よさそうな風を感じる映像でした。

 

続いての芽の章では、デザイナーの田中景子さんと共同で手掛けたという、

 

生地のためのデザイン画が。

 

ラウル・デュフィ展の時もでしたが、とても見応えがあり、

 

同じ花でもまた異なる可憐な可愛らしさの魅力や生命力を感じました。

 

そして次の種の章では、広い空間の至る所に、皆川さんのアイデアの種となった物たちが。

 

石やアクセサリーや、文具や言葉などなど、興味深く拝見しました。

 

(クッションのトーテムポール?)

 

 

(気になって魅入ってしまったコート。似合うようになりたいかも。)

 

(とても低い台座に慎ましく乗っていた、素敵な生地に包まれた石。)

 

(裁縫が大好きだった、母方の祖母が見たら喜びそうな端切れの山。

 祖母は娘達にも孫娘達にも、浴衣やワンピースを作ってくれましたが、

 お正月の集いの時には、孫たちにはお年玉を、5人姉妹の娘達には手作りのエプロンやポーチを

 必ずくれていました。中には可愛い柄のパッチワークなど、手の掛かるデザインもよくあったなぁ。)

 

 

 

 

 

皆川さんの構想で建築家の中村好文さん設計のシェルハウスは、本当に可愛らしかったです!!

 

フィボナッチ数列から着想を得たという構造は、渦巻きのようになっていて、

 

外壁がそのまま内壁を兼ねてゆくような連続性のある建築物なのだそう。

 

渦となっている螺旋の階段をあがって、ベットに寝そべってみたかった♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

根の章は、皆川さんが新聞掲載のために描いた挿画など。

 

そしてそして今回私が最も印象深かった土の章では、服とその持ち主との関係性として、

 

個人所有のミナペルホネンの服が15点、暗がりの中で一点一点ライトを浴び、

 

それぞれの持ち主やその家族が語るエピソードと共に展示されていました。

 

 

 

 

 

人の身体に馴染み、売り場の衣服ではなくなった、それぞれ物語を持つ服たちが、

 

よりいっそう素敵な服となって輝きを発散していました。

 

私の個人的な現在進行形の思い出と重なるエピソードもあり、思わず目頭が熱くなってしまったりして。

 

皆川さんがつづけている25年の歩みと、更につづいてゆく歩みの本展。

 

どこをどうみても、軌跡も轍までもが魅力的で、ウキウキしっぱなしで会場をあとにしました。

 

風の章で観た映像のような、ゆっくりとした時間や心地良い風ばかりではなく、

 

忙しない時も、荒天やじっとりと不快な風の日もありますが、

 

ミナペルホネンのような作り手の心意気が通った服や物と過ごすことは、

 

そんな時でも少しふっと気持ちを和らげ、切り替えの一助となってくれるのかも知れないなぁと思いました。

 

まったく他力本願な発想ですけれども。(笑)

 

これ、uzuを思わせる、の一言で選んでみたポストカード2枚、とブローチ。

 

 

 

お稽古バックか春の上着につけてみようかなぁ照れラブラブ

 

 

 

〈ふろく〉

 

2019年は、面白い本にたくさん辿り着いた。

 

いくつかを挙げると

 

庄野潤三さんの『山の上の家』、

 

 

梨木夏歩さんの『海うそ』、『椿宿の辺りに』、

 

 

町田康さんの『猫のエルは』、

 

 

原田マハさんの『楽園のカンヴァス』、『太陽の棘』、

 

 

キャサリン・マンスフィールドの『不機嫌な女たち』

 

 

カポーティの『叶えられた祈り』、

 

 

古井由吉さんの『槿』。

 

 

今年も心に触れる小説と逢えるといいな♪

 

しばらく美術展の感想のみで、読書の方は留めていなかったけれど、

 

またやる気が出た時に。(笑)

 

 

 

〈ふろくのふろく〉

 

観たいなー!と思いながら観そびれて、配信もまだで年を越し、

 

しつこく探していたらラッキーなことに再上映していたので観て来た、

 

『メモリーズ・オブ・サマー』。

 

アップリンク吉祥寺さん、ムーチャス・グラシアスです!(感涙)

 

 

 

 

上映期間3日間、レイトショーのみ、という狭き門(大袈裟ですが・笑)に向かう労力もすっかり報われ、

 

行って良かった!!という深い満足まで得られた作品でした。

 

これについては書きたいので、近いうちにまた♪