荒川が氾濫しそうとかで、深夜三時に緊急警報が五分ほど鳴り続けていた。

 

 ちょうどその時、ゲオで借りていた「真夏の方程式」の映画が終わるころで、そのあとで外を散歩して、これを書いている。

 

 

 

 この映画は劇場で見た記憶がある。2013年の夏といえば、僕が中学校二年生の時。甲子園優勝は、二年生エース高橋光成擁する前橋育英。夏休みは毎日のように中学校の部活に行き、そこにいた連中と寄り道しながら帰っていた。

 

 

 

 東野圭吾の原作は、「容疑者Xの献身」だけ読んだことがある(気がする。というのも、記憶力があまりよくないもので、読んだ本や見た作品のことなどすぐ忘れてしまう)。

 容疑者Xの献身で覚えているのは、湯川(当作の主人公)をライバル視していた帝都大学(東大)時代の同級生が、事件の犯人であったことぐらいである。いや、それさえも確かなのかわからない。献身というくらいだから、その同級生が誰かの為に身を犠牲にし、罪を被ったのだろうと、勝手に脳内で補完してできた記憶である可能性を否定できない。

 

 

 

 そんなことはどうでもよく、この作品の感想である。

 

 そもそも僕は刑事ドラマ、推理小説ともにそれほど見たこと、読んだことがない。刑事ドラマと言えば相棒、ストロベリーナイトくらいだし、推理小説は三毛猫ホームズくらいしか挙げられないほど。

 

 そのうえであえて感想を書くのだ。文章を書くトレーニングもかねて。特に誰に読んでもうらうことも想定していないので、見苦しい文章になるだろう。

 

 

 

 真夏の方程式、とは実によくできたタイトルだと思う。真夏の、はまさに作品の舞台である玻璃ヶ浦を象徴する一言だし、方程式、はガリレオという作品のイメージそのものだ。

 僕は、夏、海という二つが大好きなので、そもそも作品の内容がどうであれ、この時点で十分満足できる。

 ストーリーなどは、ここでつらつらと書くよりもより詳しいサイトがいくらでもあるだろうからここでは一切触れない。

 

 僕が一番印象として残ったのは、柄崎 恭平という小学生だ。シンプルに、彼のことを羨ましいと思った。彼はこの事件を通じて、心の底に誰にも言えない秘密、そして疑念を抱えることになったので、羨ましいと言う表現は不適切かもしれない。が、小学校中、高学年という自我がしっかりとしてきて、意思決定能力が備わってきたことに、湯川先生と出会えたということは、彼にとってかけがえのない財産になるはずだ。

 

 僕は、人間が成功できるか否かは「才能」「努力」「運」の三つがいい具合に合わさることが必要だと思う。

 運、は場合によっては環境と言い換えてもいいかもしれない。

 

 では、順番を考える。

 才能、これは生まれた時に決定している。生まれた時に絶望的なブサイクであった場合、整形でもしない限り美形に成長することはまずない。

 努力、これは開始時期を問わない。5歳かもしれないし、30歳かもしれないし、生涯努力しないかもしれない。早く始めたほうが大半の場合良いだろうが、必ずそうとは限らない。

 そして、運。これは、早ければ早いほどいい。人生の師と言える人間に、若いうちに会えたなら、それは最高に「運」がいいことだと僕は思う。

 

 これはただの妄想だが、彼はきっと、真実を探求する湯川先生に憧れ、勉学の道を志し、帝都大行くだろう。しかし、彼が選んだのは理系ではなく、文化一類、法学部。警察庁にキャリアとして入庁し、あの時のことを胸に抱えたまま、正しきを模索するのだ…

 

 正直言って、こんなことは作品の本旨と何の関係もなければ、作品の感想としては不適切で的外れだ。だが、一番印象深かったのだから仕方がない。僕は嘆いている。道を示してくれる人間が現れなかった今まで二十年間を。だが、これは言い訳に過ぎない。選択するのは僕であり、周囲のせいにするなど阿保のやることだ。

 そんなことは分かっている、分かったうえで嘆いている。阿保でいい。

 十代のうちに、人生観を大きく覆されるような出会いをした人間など、そうそう多くはないだろう。

 

 あの時の出会いが、俺の人生を変えたんだ。

 なんて言ってみたかった。まあ、まだ人生長いし、これから出会える可能性がないわけではないのだけれど。

 

 

 

 

 

 

  昨年の9月以来、人生2回目の海外旅行に友人Kと行った。

  帰国後は1日ごと交代で旅行記を作り、作らなかったら罰則! などと言っていたのだが、結局互いに一切やる気が出ず、当然罰則などもなく、旅行が終わってから3週間ほどすぎた。

  しかし、折角海外まで出掛けていって、その記憶を纏めることもしないのは少しもったいない気もするので、こうして重い腰を持ち上げた。

  このブログを書いている間、講義室の教壇では准教授が弁をとっているわけであるが、どうせ俺のような出来の生徒では、聞くも聞かぬも大差ないと思われるので、この時間は旅行記の作成に使わせて頂く。

  そもそも、なぜ2回目の海外旅行先にマレーシアを選択したかと言うと、単に安いからである。

 本当であればシンガポールに行きたかったのだが、航空券が高かった(マレーシアの倍ほど)ため仕方なく、である。
 
  出発は3/14の朝であった。前日にKが埼玉にある俺の自宅に来て前泊し、翌朝出かけるという予定であった。
 大学生なので当然春休みであり、曜日の感覚などないため、3/14が何曜日だったのかは全く覚えていない。
 
 ↑俺のスマホのカメラが壊れていた(今も壊れている)ためピントが合わず、マレーシア旅行中の写真はほぼ全てKのスマホによって賄われた。

 前日はさいたま新都心のコクーンシティで時間を潰し、大宮でマレーシアリンギット(RM)に換金。
 

 夜は自宅でマリオテニスエースにてKをカモり、ひたすらに煽り続けた挙句、起床時間4時の2時間前に寝た。

 マリオテニスエースはいいぞ(経験者がひたすらマウンティングできるため)

 翌朝(14日)は予定の4時に起き、始発バスがまだ出ていないため最寄り駅まで2kmほど歩いて、成田まで向かった。

 スーツケースを引いてそれだけ歩くのは、普通に考えればそこそこにだるいはずなのだが、楽しいことの前というのは不思議とそうは感じないものだ。
 
  途中、乗り換えを普通にミスり、割と時間に余裕を失ったりはしたのだが、無事成田空港第2ターミナルに着き、
 
 航空券をもらい(↑のクソ汚ねえ爪はKのものである。俺はしっかり爪を切っているし、もっと手は綺麗だ)

 ↑ 図1 陰キャラ感を全く隠しきれていない陰キャラ(アフロ)

 準備完了である。

 
 (ここまで顔面隠すなら写真載せる必要あるか...?)という自問自答には、「これはあくまで個人的旅行記であり、ネットに挙げることが本来の目的ではない」と回答する。
 よって今後もこのような無意味な画像は貼られるのである。

 
 

 マレーシア航空という、おそらくマレーシアの全日空的存在の航空会社の飛行機に乗り、往路7時間、マレーシアのクアラルンプール国際空港に到着した。

 着いた時には、既に現地時刻は18時を回っていたのだが、日の入り時刻が19時を大幅にすぎるというマレーシアの地理的特性によって、まだ真昼のような明るさであった。

 外に出ると、まぁ暑いわけである。常夏だけはある。
 
 現地でガイドのおっさんのバスに乗り(貸し切りだった)、法定速度110km/hの高速道路を走ること1時間ほど、
 myhotel@Bukit Bintangとかいう「ヤバそう」なホテルに到着した。

 (こいつ、空港~ホテルまでの写真これしかないの、無能すぎんか?)(写真1枚も撮れない自分のことは棚の上に上げまくった)

 前調べによると、ブキッ・ビンタンという街は日本で言う銀座のような街だ、と聞いていた。

 実際歩いてみると、銀座かと言われればそうではないと感じた。
 ちなみに銀座に行ったことはない。

 しかし、まぁ活気は凄いもので、ホテルすぐ裏のブキッ・ビンタン通りには無数の屋台が並び、夏コミの午後2時くらいの混雑具合であった。

 図2 陰キャラが飯を食べる様子(2019)

 なんと言っても、匂いが凄い。台湾の夜市(イエシー)も相当匂いがキツかったが、それに勝るとも劣らない食べ物の匂い。あらゆる食材、調味料の匂いが混ざりに混ざって、噎せ返りそうになるのである。

 だがそれもじきに慣れて、飯屋を選定して座った頃には陰キャラピースをする余裕を取り戻すのであるが(図2)。
 
 肝心の味であるが、「まぁ、うん」という感想である。るるぶには絶品グルメが並んでいるかのような書かれ方がされているが、実際食べてみると、日本の食には叶わないと悟るのだ。

 
 めいきやきざかな、としか読めない。
 
 その後は、ストリートライブで200人ほど聴衆を集める連中を横目にファーレンハイト88というショッピングモールまで歩き、信号を守る歩行者がほぼいないという交通ルールのガバガバさに驚きながらホテルに戻り、

 ↑この国この飲み物流行りすぎやろ...
寝た!(上3枚の画像は全部俺)

1日目終わり、気が向いたら2日目も書く。


 何が言いたいかというと、顔さえよければ、人生ちょろいということである。

 

 誤解のないように前置きしておくと、僕自身は極めて残念な顔をしており、どう高く見積もっても平均以下の顔面偏差値である。それを僕は十分に理解している。

 自身を客観視する能力については、平均以上のものを有していると自負している。その能力の高さ故、自身の未熟さ、脆弱性、つまらなさ、しょうもなさを痛感してしまい、自分に絶望することは少なくない。

 

 まあ、僕自身の自己評価に関することはまた今度書くことにしよう。今回言いたいのはそういうことではない。

 

 顔は正義である。身長? 学歴? 年収? いや関係ない。必要なのは顔であり、顔さえよければ前記した三つは全てなくたって、それなりに幸福な人生を送ることが可能だ。

 

 まあ、一大学生にすぎない僕自身の見解なので、世間知らずがもの語ってんじゃねえよと突っ込まれてしまえば何とも言い返すことはできないのだが。そのような反論には一切耳を貸さない方針で書かせていただく。

 

 顔など関係ない、努力すれば人から好かれる人間になることだって可能だ。そういった意見ももちろん正しいのだろう。ただ、「努力すれば」や「ほかの才能があれば」というほかの条件が必要になるのは間違いないのだ。ブサイクは努力してようやっと、努力しないイケメンに追いつくことができるというわけである。

 努力しない、才能もないブサイクは、社会的見てゴミなのだ(自己紹介)。

 

 顔の出来の最大に残酷なことは、生まれた時、既にその出来が確定しているという部分である。スポーツをして健康に気を遣えば多少顔は引き締まるかもしれないが、それは大東亜帝国から日東駒専に昇格するというレベルの「どっちでもいい」上昇でしかなく、どう頑張ってもMARCHになれないことが確定している以上、ほとんど意味のない努力だと言っていい。

 

 そして、顔の出来の悪さは、その人自体の人間性を歪めることにつながる。

 顔は第一印象の九割以上を占めるという意見については、異論はないであろう。話をしたこともない状況では、その人の評価を下す材料は外見しかないのだから、仕方がない。

 一度悪くなった印象を覆すことは簡単ではない。それを覆すことができなければ、相応の評価がその人間に定着してしまう。

 覆すということは、顔は悪かろうと中身は立派な人間であるということを他人にアピールするということである。最初のうち、小学生のころはまだいいのだ。それが中学、高校と進むにつれ次第に面倒くさくなり、大学に至っては、顔だけがその人間の評価であるという状況が少なくない。薄い人間関係になればなるほど、評価は第一印象で固定されてしまう。

 

 他人に高く評価されるということは、健全な人間に成長するための必須事項であると言っていい。事実、親に嫌われて育った子には歪んだやつが多いだろうし、いじめられて育った人間は何かしら心に闇を抱えている。

 

 僕を例にすると、人生これまで異性から好意を抱かれたことがない(その全ての責任をこの残念な顔に押し付けるつもりは毛頭ないが。その他にも理由など挙げ始めれば百を優に超すと思われるので、ここでは列記しない)ということは、僕の恋愛への偏見を加速させるには十分すぎる。

 

 じゃあ、顔がよければモテるとでも言っているのか?

 残念ながらそう言っているのだ。世間一般の「モテる」の感覚から著しく離れていることは承知だが、僕としては「人生において一度以上異性から行為を抱かれたことがある」人間はモテる人間である。

 あなたの周りの人間で、顔はいいのに人生で一度も告白を受けたことがない人間がいるか? いないはずである。僕がこれまで出会った顔が比較的いい人間(僕基準でおそらく30人ほどはいる)で、そのような人間は0だ。

 

 わかりやすいため恋愛を例にとったが、その他のことも同様である。例えば大学の推薦入試の面接で、全く同程度の能力、素質を持った二人の生徒がいたとする。だふが、その二人の顔に造りには差があった。どちらを合格させるか? 顔がいいほうに決まっている。

 

 

 隙を見つけた(作り出した)ので自分語りをするが、僕は小説を書くのが趣味である。それを職にできるほど優れたものが書けるとは思っていない。一応今後大賞へ応募してみるつもりではあるものの、まあついでみたいなものである。受賞できる可能性はほぼゼロだろう。

 なぜこんな話題を出したかというと、僕が書く小説の主人公は総じて「イケメン」設定であるからだ。なぜなら、ブサイクを主人公にしても面白くもなんともないからである。ブサイクが異常に異性に好かれている作品を読んで は? しね、ありえねえよゴミ と悪態をついてしまうのもしばしばである。

 

 金を手に入れても、名声を得ても、顔の良さだけは手に入れることはできない。整形すれば良い、確かにそうかもしれない。でもそれは正規ルートではない。顔入手のルートは、親から生まれることだけなのだ。良い遺伝子を継ぐことでしか、本当に良い顔を得ることはできない。整形した顔でイキっているゴミを見つけても、嫌悪感以外の感情がない。

    

 

 

 

 で、だらだらと一切まとまりのないことを書いてきたわけだが、結局は

 

 顔の悪い諸君(含僕)、諦めよう!

 

と言いたいだけだ。

 

 

 では、小説の続きを書こうと思う。木、金にテストが迫っているため、そのうち勉強でもしようと思う(するとは言っていない)

 


 実家での時間ほど暇なものはなく、忙しいはずであった受験生時代が少し楽しい思い出に思えてきたりするものの、やっぱり忙しいだけだったと思い直し、今のこの暇は比較的幸せであるのだ、と自分に言い聞かせる。


 ただ、忙しい時期というのは人を成長させるのは間違いないないのだなぁ、と思う今日この頃、俺は「ニートとお前の差を述べよ」という質問に対する有効的は回答を持ち合わせていない。

  毎日更新と謳いつつ、更新が遅れてしまったのは、地元の友人と昨夜を浪費したからである。
 「いいね」を付けてくれた2人の心優しき方々には慙愧の念が絶えないが、このくそほど中身のない旅行記の続編を書かせていただく。
  
 台湾の北に位置する桃園国際空港に到着したのは、現地時間で9/1の午前2持すぎであった。

 台湾では日本語がどこでも通じる、というのは嘘で、現実には英語が最低限聞けて意思を伝えればなんとかなる、といった感じだ。
 
 現に、空港内の案内も基本は中国語で、わずかに英語での案内はあるものの、日本語で書かれた案内などは一切見られなかった。

 成田から桃園国際空港の間に、Kが持ち前のコミュ力を発揮して、スコットランド出身で50数カ国を旅したという26歳の青年と仲良くなっていたが、俺とNは残念ながらコミュ障であり、ゴキブリよろしくコソコソとしていたのだった。
 
 入国手続きを済ませ、荷物を持ち、空港のロビーに出る。当然、こんな時間に電車は動いていないし、店もやっていない。だから、俺たちは予めこの日に寝るホテルを予約していた。準備万端である。

 予約していたのだ、間違いなく。
 
 予約していたと思ったらできていなかった、などという初歩的なミスを俺たちがするはずかなった。現に、友人Kのスマホに表示されたメールには予約完了の文字がしっかりと映っていた。
 俺たちのミスは初歩以前の問題であった。

 現在位置より40km、と。

 予約するホテルの位置情報すら確認しないという愚行。 
 
 俺はこのとき確信したのだ。友人Kはそこまで有能ではないと。俺は、昨日まで持っていたKに対するしっかりした人間という評価を覆すことを余儀なくされたのだ。

 いったいどこに、到着する空港から40km離れた場所にホテルを予約するバカがいる?
 

 いるではないか、隣に。大して悪びれたような素振りも見せずに。
 
 だが、俺は別に絶望も落胆もしなかった。この程度、想定内であったから。

 Kに対する表面上の評価は、旅行前まで「B+」ほどであったが、実は「C-」程ではないか?と俺は奴の真の能力を見抜いていたのである。
 
 Kには「俺はお前を評価しているよ」と思わせつつ、「実はKは無能であるかもしれない」と心の中で思うことで、Kの予想外に無☆能な行動にもバックアップを効かせることが可能であり、波風を立てずにことをスムーズに進めることができるのである。

 ちなみにこのブログをKも読んでいるので、このブログで原因で波風が立つ可能性もあるが、「あれはネットに書くために誇張したんだよ。俺は本当にKを「A-」くらいに評価しているよ」と口にすることでKは納得するのうな単純な人物なのでなんら問題ない。
 
 午前3時、桃園国際空港に閉じ込められた俺たちに残された選択肢は、タクシーで近場のホテルに連れていってもらう、空港で寝る、という2択であった。が、後者の選択肢などはないに等しく、俺たちは無事正しい前者の選択肢を選ぶことに成功し、タクシー乗り場に到達する。

 「hotel near」と、本当に大学生か?と疑いたくなるほど稚拙な発音でタクシー乗り場のお姉さんに声をかけると、事情を一瞬で察した「A+」の彼女はすぐにタクシーを手配してくれた。
 
 が、適当に任せてあまりに高い所に連れていかれて困るとは当然俺たちの思うところであったが、「我々には手持ちが少ないので、なるべく安いホテルでお願いします」と英語で伝えることは、不勉強な俺たちには不可能であった。

 受験生には悲報であるが、センター試験英語で八割程度では、このレベルの簡単な意思疎通すら困難である。

 隣ではNが「reasonable」「reasonable」と、「なるべく安く」と伝えたがっていたようであったが、悲しいことに全く通じていない様子。 
 
 「A+」さんは内心(何言ってんだこいつ...)と思っていたに違いないが、極めて営業スマイルで丁寧に対処してくれた。
 
 その時のNの表情を写真に収めなかったのが非常に惜しい。

 程なくしてタクシーが現れ、俺たちは後部座席に詰める。
 
 そこで初めて乗ったタクシーが、これまた面白かった。
 とにかく異常なスピードなのである。高速道路でもない普通の道にも関わらず、おそらく80km/h程は出ていたように思う。
 
 「湾岸かよ」と発言したのが誰であったかは忘れたが、とにかくレーシングゲームでもしているかのようにビュンビュン飛ばす。
 
 俺たちは言語が通じないのをいいことに「やべぇ」「ゴミ」「日本なら解雇」「台湾でも解雇」などと散々運転手をこき下ろしていたが、それも許されていいように思えるほど荒々しい運転であった。

 それでも無事、ホテルには到着した。この時間に受け入れてくれるホテルなど少数であったのか、空港から10分ほど離れた場所であった。

 「one room ok!?」と威圧的に言ってくるホテルフロントのババァの発音はお世辞にもいいとは言えず、1泊代2000元を払って、俺たちは深夜3時半にホテルにチェックインした。

 

 形の特殊なホテルであった。一室ごとにガレージがついており、部屋は2階にある。部屋にはダブルベットが1つ。浴室は広く、2人が悠々つかれるほどの広さ。翌朝コンドームを発見して確信するのであるが、俺たちが連れられてきたのはラブホテルであったようだ。
 

 男3人でラブホ...。ラブホ来たの初めてなのに...。

 とは言いつつも、どこであろうと寝れれば良かった俺たちはシャワーを浴び風呂から出ると、世間の陽キャ大学生よろしく「呑もう呑もう」となるわけである。
 
 一番風呂をパクった俺が率先して外出し、250m先のセブンに歩いていく。
 
 ホテル前の道は思ったよりも明るく、電灯なしでも問題なく歩けた。



 もっと「LOVE」と大々的に書けば良いものを。


 海外に行っても慣れ親しんだコンビニがあるというのは随分と安心感を得られるものであり、日本語で書かれた商品を見た時には「ここ半分日本じゃん」と思ったものである。

 ちなみに、日本のセブンと制服まで同じであった。 
 
 お酒は20歳から、などというあってないような法律が存在する日本であるが、ここ台湾では、飲酒は18歳から可能だ。
 
 台湾で酒を飲んでいる画像をTwitterであげている友人に対して、「酒映ってるけど大丈夫ですか?^^」と煽りを入れても、「治外法権認めるキッズおって草。陸奥宗光に謝れ」と完封されてしまうため、肝に銘じておこう。
 
 なので堂々と、極めて威風堂々と酒を手に取りレジに持っていく。ダルそうな夜勤の兄ちゃんが言っていた中国語は微塵も理解できなかったため、「oh year」と海外の陽キャ感丸出しで適当こいているうちに会計は済んだようだ。

 あとから思えば、「レジ袋はいるか?」と聞いていたのであろうが、こっちは5、6ほど商品を買っているのである。
 どうしていらないわけがあろうか?馬鹿か?お前は馬鹿か?と、俺のバイト先のコンビニに来る害悪客なら言ってきそうである。

  酒をあけ、ポテチと共に乾杯。これを至福の時間と言わずしてなんと言おう。栓抜きがないのに瓶ビールを買うというゴミムーブをした俺を、2人が笑って許してくれたのも、その幸福ゆえであろう。

 午前4時、遅すぎる就寝。
 
 翌日、俺たちは台北の街に繰り出すことになる...。

 思ったより長くなってしまったので、一日をパート分けして書いていこうと思う。

 それではまた明日。
 先日、友人NとKと共に、台湾旅行に行ってきた。本当なら日記に書いて記憶に留めておくのが良いのであろうが、如何せんペンを持つのが非常に億劫であるがため、ブログという形で残そうとい思い立った。
 
 特に誰かに読ませることを意図して書いているわけではないため、おそらく稚拙極まりない文章になることであろうが、俺は自己中なので謝罪の文など入れることは無い。

 ただ、これを読んでいるあなたが海外旅行を一度もしたことがなかったり、したいと思っている大学生であるのなら、少しばかりは参考になるのではないかと思う。




 ことの成り行きは随分と適当で、「とりあえず海外に行きたい」という俺が発案したのであった。  

 目的などあるわけもなく、念願の一人暮らしになったにもかかわらずニート以下の生活しかしていない日常から脱却、あるいは一時的にでも離れたいという強い願望から出た発言であった。

 6月のある日であったと思うが、5限終わりの大学生協で一人で(たしか)カレーライスを食していた際、隣にあった生協旅行案内のチラシを見つけたことが始まりである。
 
 ちなみに横では陽キャ女子がキャッキャしてて肩身が狭かった記憶がある。
 実際に肩身が狭いと思っているのは俺だけで、隣の連中は俺になど一切の興味がないのであろうが、自意識というのは常に過剰に働くものである。

  そこで取ったこのチラシ。43,800円というお手頃と言わざるをえない価格に心惹かれ、この写真を友人に送り付けた。


 隣にグアムや欧州諸国の旅行プランもあったのだが、バイトを始めたばかりで貯金のない俺には手の届く代物ではなく、あっさり候補から落選。

 なんやかんや友人共も賛同し、とりあえず旅行に行く運びで決定となったのだが、ここからは計画性のない大学生のなせる業。

 パスポート取得、生協申し込みなど手続きを先延ばしにしまくった結果、予定日であった8/28の2週間前程まで何も準備することなく時は進み、Kが大学生協に確認しに行った時には
申込期限終了
となっていたのである。

 考えてみれば当たり前である。2週間前に申し込んでも間にあうほど席に余りがあったのでは、43,800円という『破格』を設定している意味が無い。

 もう馬鹿を通り越してカスである。自分が手間をかけるのは避けたい、他人に予約など任せて自分は便乗したい、というゴミゴミの実の能力者が3人集まった結果である。


 本来であれば当然落胆するところであろうが、俺は違った。 
 なぜなら陰キャ.コミュ障.人見知りという三重苦を抱えている俺にとっては、知らない他の大学生と一時でも関わることは避けたかったからである。

 そう、個人的に旅行に行けば赤の他人とか変わる必要はなく、なんの気兼ねもなく旅行できるのだから。

 そこで飛行機、ホテルをそれぞれ別で予約する道を探したのであるが...

た  か  い

 そう、旅費が高いのである。ANAやJALを使って行くとなると、飛行機代だけで往復7万円~ほどかかるのである。

 否、この価格は決して高くはなく、おそらく妥当なのであろうが、飛行機代ホテル代込43,800円の生協旅行を逃した手前、これほどの価格差があっては損をした感がとてつもない。

  ではどうするのか? そこで出会ったのが『LCC』、所謂『格安航空会社』である。

 調べていくうちにわかったことは、どうやらLCCは機内サービスや、搭乗の際や手続きの際、有事の際などのサポートが手薄であるらしいということである。


 しかし、そうは言ってもLCCが提供する、往復4万円代という価格は魅力的であった。申込期限直前にも関わらず席は空いていて、三連続で席をとることも可能である。どう考えてもこれを使う他ない!

 と言うのが俺の主張であったわけであるが、友人二人は揃えて「怖い」と口にするのであった。

 何が怖いことがあろうか、どうせ墜落する確率なんて同じだろうと根拠もなく俺が押し切った結果、やはり圧倒的な価格差を前にKが折れ、Nも渋々了承する形で、無事LCCを使用することが決定した。

 しかしどうしても、日本の航空会社であること、という部分だけは譲れないという2人の言葉に俺が押されて、最安価格を提供していた中国の航空会社は放棄されることとなってしまった。


 夜遅くに出発して深夜着というフライト予定に若干の不安は残ったものの、とりあえず決定し、ホテルの予約を俺が入れた頃にはもう出発前日である。

 作ったばかりのパスポートをカバンに入れ、6,000円の超破格スーツケースに衣類を詰め、家を出たのが8/31 11:00である。

 新宿で友人二人と合流し、適当に入ったお好み焼き屋で腹を満たし、時間に超絶余裕を持って、京成本線で成田へと向かう。

 スーツケースを持った大学生3人組など、鬱陶しい集団ランキング世界第6位に入賞するほど邪魔な存在であることは間違いない。
 ちなみに1位は、馬鹿でかいカバンを持った試合帰りの高校球児たち(汗臭いver)である。

空港の無駄に高い料金設定の飯屋で夕食を済ませ、この世で1番くだらないゴミみたいな与太話を続けているうちに搭乗手続きの時間はやってくる。
 
 とにかく初めて(厳密には幼稚園児の頃、アメリカに2週間旅行したことがあるのだが)の海外であり、他の2人も経験不足であるため勝手は分からなかったが、雑と聞いていた旅行会社の対応は極めて丁寧であり、何の障害もなく手続きはスムーズに進んだ。



 雨の影響で1時間ほど遅れたものの、無事に飛行機は出発し、3時間40分のフライトに出ることになる。

 
 乗ったのはジェットスターという日本の格安航空会社であった。
 
 結論から言うと、俺にはANAやJALと大差があるようには思えず、なんの不満もないフライトであった。
  
 そして、現地時間深夜2時すぎ(台湾は日本よりも1時間遅い)に台湾の北端にある桃園国際空港に到着した。