荒川が氾濫しそうとかで、深夜三時に緊急警報が五分ほど鳴り続けていた。
ちょうどその時、ゲオで借りていた「真夏の方程式」の映画が終わるころで、そのあとで外を散歩して、これを書いている。
この映画は劇場で見た記憶がある。2013年の夏といえば、僕が中学校二年生の時。甲子園優勝は、二年生エース高橋光成擁する前橋育英。夏休みは毎日のように中学校の部活に行き、そこにいた連中と寄り道しながら帰っていた。
東野圭吾の原作は、「容疑者Xの献身」だけ読んだことがある(気がする。というのも、記憶力があまりよくないもので、読んだ本や見た作品のことなどすぐ忘れてしまう)。
容疑者Xの献身で覚えているのは、湯川(当作の主人公)をライバル視していた帝都大学(東大)時代の同級生が、事件の犯人であったことぐらいである。いや、それさえも確かなのかわからない。献身というくらいだから、その同級生が誰かの為に身を犠牲にし、罪を被ったのだろうと、勝手に脳内で補完してできた記憶である可能性を否定できない。
そんなことはどうでもよく、この作品の感想である。
そもそも僕は刑事ドラマ、推理小説ともにそれほど見たこと、読んだことがない。刑事ドラマと言えば相棒、ストロベリーナイトくらいだし、推理小説は三毛猫ホームズくらいしか挙げられないほど。
そのうえであえて感想を書くのだ。文章を書くトレーニングもかねて。特に誰に読んでもうらうことも想定していないので、見苦しい文章になるだろう。
真夏の方程式、とは実によくできたタイトルだと思う。真夏の、はまさに作品の舞台である玻璃ヶ浦を象徴する一言だし、方程式、はガリレオという作品のイメージそのものだ。
僕は、夏、海という二つが大好きなので、そもそも作品の内容がどうであれ、この時点で十分満足できる。
ストーリーなどは、ここでつらつらと書くよりもより詳しいサイトがいくらでもあるだろうからここでは一切触れない。
僕が一番印象として残ったのは、柄崎 恭平という小学生だ。シンプルに、彼のことを羨ましいと思った。彼はこの事件を通じて、心の底に誰にも言えない秘密、そして疑念を抱えることになったので、羨ましいと言う表現は不適切かもしれない。が、小学校中、高学年という自我がしっかりとしてきて、意思決定能力が備わってきたことに、湯川先生と出会えたということは、彼にとってかけがえのない財産になるはずだ。
僕は、人間が成功できるか否かは「才能」「努力」「運」の三つがいい具合に合わさることが必要だと思う。
運、は場合によっては環境と言い換えてもいいかもしれない。
では、順番を考える。
才能、これは生まれた時に決定している。生まれた時に絶望的なブサイクであった場合、整形でもしない限り美形に成長することはまずない。
努力、これは開始時期を問わない。5歳かもしれないし、30歳かもしれないし、生涯努力しないかもしれない。早く始めたほうが大半の場合良いだろうが、必ずそうとは限らない。
そして、運。これは、早ければ早いほどいい。人生の師と言える人間に、若いうちに会えたなら、それは最高に「運」がいいことだと僕は思う。
これはただの妄想だが、彼はきっと、真実を探求する湯川先生に憧れ、勉学の道を志し、帝都大行くだろう。しかし、彼が選んだのは理系ではなく、文化一類、法学部。警察庁にキャリアとして入庁し、あの時のことを胸に抱えたまま、正しきを模索するのだ…
正直言って、こんなことは作品の本旨と何の関係もなければ、作品の感想としては不適切で的外れだ。だが、一番印象深かったのだから仕方がない。僕は嘆いている。道を示してくれる人間が現れなかった今まで二十年間を。だが、これは言い訳に過ぎない。選択するのは僕であり、周囲のせいにするなど阿保のやることだ。
そんなことは分かっている、分かったうえで嘆いている。阿保でいい。
十代のうちに、人生観を大きく覆されるような出会いをした人間など、そうそう多くはないだろう。
あの時の出会いが、俺の人生を変えたんだ。
なんて言ってみたかった。まあ、まだ人生長いし、これから出会える可能性がないわけではないのだけれど。
















