ボチボチひな語り

ボチボチひな語り

ひなひな目線のヅカ語り
月に1、2度観劇しかできない、マイナーなヅカファンが、果たしてどこまで書けますやら…
ヅカ以外の日常の出来事も思うままに語れたら…
ただ心配なのは、なんせ飽き性なもんですから、いつまでやれるかってことで…(>_<)

Amebaでブログを始めよう!

幸いなことに自分を含め身内や神戸の知り合いなどは家具が倒れたりしたものの無事ではありました。

ただ、夜が明けて明るくならにつけて届く神戸や被災地のありえない状況、ニュースに恐怖を覚え、阪急電車が全線不通となっているにも関わらず、それでも職場に向かい仕事をしている自分に戸惑い何とも言えない気持ちでしばらく過ごしたあの感覚は今もはっきり覚えています。

この3年間コロナ禍で舞台公演を続けることは本当に大変でした。


そして5類に引き下げられたとはいえ、その公演関係者に体調不良者が多数出ればやはり舞台は中止となってしまいます。


そのことに関して、なぜ舞台だけはいまだにこのような対応しか出来ないのか、払っているのはチケット代だけではなく、遠征代(交通費、宿泊費などもあるのに、劇団や公演主催者はチケットの払い戻しさえすればいいと思っているのか、なぜ代役を立ててでも公演を続けようとしないのかと言った意見がたくさん見受けられらようになってきました。

(宝塚歌劇団を擁する阪急阪神ホールディングスの株主総会でもこのような意見提案がなされたとか…)


かく言う私も持っていたチケットが消えてしまい、結局その公演は生で観ることは叶わなかったことが何度かありましたので気持ちはわからないではありませんが…


でも、舞台関係者の皆さんは絶対に幕を開けるんだと意地でも思っておられます。舞台に立つためならどんなことでもやるという気持ちの熱い人達が舞台をつくりあげておられます。その為に代役、アンダースタディ、スイングといった役割の役者さんがほとんどの公演にはおられて、とっさの休演者の穴埋めをするシステムになっています(そういえば三谷幸喜さんがご自分の脚本演出の舞台でご自身がスイングとしていろんなお役で出演し公演を続行されていましたね)

宝塚歌劇でも主要な役にはそのようなシステムをしいておられるでしょうし、また新人公演配役の生徒がそのお役に入り公演を続けたりしています(今回の雪組東宝公演がこれですね)遠い昔、病気休演された本役さんには申し訳ないことですが、まだ下の学年であった贔屓やちょっと気になる若い生徒さんが本公演で代役をすると聞いて絶対に観に行かなければと変な正義感でわざわざその公演を観に行ったこともありました…

でもこのシステムも感染者、休演者が5〜6名以下(一般の舞台なら1〜3名程度)ぐらいの少数であれば対処出来ますが、今流行りの新型コロナのように体調不良者が多数となるとさすがに無理です。


どうにかして幕を開けようとギリギリまで関係者の状態を見極め、代役稽古もやって段取りをしたけれど、やはり体調不良者が多く出てしまっては公演は成立しません。特に今流行りの新型コロナは陽性であっても自覚症状が無いこともあり、無自覚のうちに感染が拡がり、あらためてPCR検査をしてみたら想像以上に陽性者が多数であったというのが今回の星組、月組の休演状況なのではないかと思います。


まぁそれでも、宝塚歌劇団経営サイドの甘い見極めのために初日は何とか開けたけど次の日の当日から休演発表とか、貸切公演から再開とか、諸々なんだかなぁな対応に文句の一つも言いたくなる気持ちもないではありませんが…


ただ、宝塚歌劇団のような大所帯の迫力、魅力の団体戦を売りにしている舞台ではスイングの生徒は一度も舞台に立たないことも出てくるでしょうし、果たしてそれがいいのか考えてしまいます。


宝塚歌劇団で出来ることは、お稽古場でのクラスター発生の危険度を下げる対策は取り続ける、新人公演の配役、お稽古を今よりもさらに早めにして、代役にすんなり入れる体制づくりをするなどでしょうか。


新型コロナウイルスに感染し罹患した経験から言えるのは、ほんとうに体が怠くしんどくて、食欲はわかず体力が回復するのには日数も必要です。


体調不良の舞台関係者の方々が一日も早く元気になり復帰し、舞台が無事再開されることを心から願っています。

あの日、珍しく早朝からグズるまだ赤ん坊だった次女をあやしていたら経験したことのない揺れが…
神戸市からは離れている京都でも大きく揺れました。

大きな揺れの後の神戸の様子が映し出されているTVを観ても、あの揺れがこの光景に結びついているとは震源地から少し離れている自分の住んでいるところでは実感出来ずにいました。
とりあえず、何とか動いているバスを利用して街中の職場までたどり着き、ビルの窓ガラスが落ちていたり、崩れている屋根や壁を見たり、完全に止まってしまった阪急電車の駅に溢れかえる人の多さを見て、とんでもないことが起きたのだと実感しました。

その後はどんどん明らかになる被災地の様子にただただ衝撃を受けたことあの日

決して忘れはしないあの日の記憶です。