お助け通訳のブログ

お助け通訳のブログ

アジアの特にクアラルンプール、ヤンゴン等での出張通訳引き受けます。お助け通訳のアジア英語エピソード
http://otasuketsuyaku.web.fc2.com/

Amebaでブログを始めよう!
日本語チームでは翻訳、通訳を担当する他、技術者たちの日本語の指導も任された。
元々私は教える仕事が好きだったので、これは楽しかった。
技術者たちもモーチベーションが高かった。


また、日本語チームのインド人メンバーたちは毎日のように自分たちの担当の翻訳の日本語について私のところに質問にやって来た。

ある時ラナさんの席(私の後ろ)が空いていたので、プジャさん(女性)がその席に座った。
次々と人が私のところに質問に来るのを見て、「わぁー、ちかさん忙しいね。」と言った。

人に頼られることはうれしいことで、『インドの日本人』の私が特別な存在のような気持ちになった。

しかし、私は通訳の経験を積みたくてこの会社に入った。
それなのに通訳を任されるのは本当にたまにしかなく、ほとんどは日本企業との契約書の英訳だった。

法律物は本当に肩が凝り、精神的にも疲れる。日本でやっていたら結構いい報酬をもらえる仕事だ。
一方IT企業での給料はまる1か月働いて10万円にもならなかった。

もっと嫌いだった仕事は、コンピューター画面のマニュアルなどの単調なものだった。
「このボタンを押すと赤く変わる」だとか、辞書さえ引けば誰でもできるようなものだが、手間がかかる翻訳だった。

こういう事を書くと、とても高慢のように聞こえると思うが、翻訳をされている人ならば、気持ちは分かってもらえるかもしれない。

食事が合わないのも辛かった。
『ああ、もうインドでは長くやっていけないなぁ』と思っていた時、友人のハニー(男性)の結婚式に呼ばれ、ビレンさんに会った。

ビレンさんは日系企業で通訳をしている人で、私が転職をしたいと思っていることを話すと、「じゃあ、うちの会社、通訳探してるから、駐在員の人に言っといてあげますよ」。

ビレンさんがそう言った翌日、日系企業の人事担当者から電話があり、私はそちらから仕事のオファーをいただいたのだった。
人口の大半を占めるヒンズー教徒は牛を食べない。牛は神様の乗り物なのだそうだ。
さらにインド人の大半はベジタリアン。特に女性は90%以上ベジタリアンだと思う。また田舎のほどベジタリアンが多いのではないか。

日本語チームの中にはベジタリアンの中でも、根菜まで食べない徹底したベジタリアンの女性がいた(※普通のベジタリアンでも魚介類も食べないし、卵も食べない)。
彼女の前ではドラムスティックのチキンなど食べるのは気が引けた。

イスラム教徒は肉を食べる(豚肉は食べない)。特に鶏肉、山羊肉をよく食しているのを見た。
日本語チームにイスラム教徒の男性がいた。彼はいつも奥さんの作ったお弁当を持って来ていた。
なのでそれまでわからなかったが、彼はインド人なのに辛いものが食べられなかったのだ!

それは日本語チームで宅配のピザを食べた時にわかった。
ピザには唐辛子がついてきて、好みで振りかけることができる。
彼はのどが悪いらしく、辛いものはだめ。
そんなインド人は大変だぁ!

インドはカレーで有名だが、実は『インド人はカレーしか食べない』のだ!
(というのは誇張ではあるがほぼそれに近い)

最初は会社の食堂の様々なおかずを見て興奮していた私も、入社して3か月が過ぎた頃には、お昼に食堂に並んでいるおかずが食べられなくなった。
私にとってはどれもカレーだった!(インド人は否定するのだが)
なので私は、サンドイッチやポテトチップスしか食べなくなっていた。
IT企業で任された通訳で最も緊張したのは、チェンナイ支店への出張通訳だった。
この時は「一人で行って来い」と命令が下った。

日本の顧客との間で立ち上がったプロジェクトの1周年記念の行事だった。

「プレゼン資料は前もってくれるように頼んだから」と言われていたが、結局出張当日まで来なかった。

とにかくIT関係の専門用語などをすぐに訳せるよう準備しておくしかなかった。
飛行機に乗る前まで猛勉強だった。何が出てくるかもわからない。

大きな会議で私一人が通訳をするというのはものすごいプレッシャーだった。

夕方の飛行機でチャンナイへ向かった。その機内食で食べたチキンでお腹をこわし、夜中もホテルで苦しんだ。
緊張と疲れで、翌日本番の日は最悪の体調。

午前中はインドと日本企業の代表からのスピーチから始まった。
大きな会場に一同が集まり、日本企業からの方々は十数人いた。

皆立ってスピーチを聞いている。
通訳をすべきなのかどうかと迷ったが、通訳ができる環境でもなかったので、皆が立っている中、体調の悪い私は座っていた。
緊張と自信のなさで、お客さんに対して笑顔も出なかった。

午後は工場見学から始まりその後いよいよ日本との中継を交えたプレゼンだった。

インド人の英語はとにかく分かりにくい。母国語の干渉か、南インド人は北インド人の英語よりいっそうわかりにくい。

プレゼンの英語を日本語にするのが私の役目だったが、何度も「えっ?」とプレゼンターに聞き返した。

30スライドくらいあっただろうか。やっとプレゼンが終わると、中継で繋がっている日本側からのコメントがあった。
今度は緊張の日-英。何とかメモし、通訳の用意ができた。

すると会議室のインド人たちが話をし始めた。
一通りしゃべったところで、リーダーが、「先ほどのコメントを訳してもらおうじゃないか」と振ってきた。

時間差があったものの、集中してメモを取ったので、トレースすることができた。
途中、インド人が合の手を入れる。インド人は、「そうだ、そうだ」と言う時に”Correct”と言う。”Correct”という合唱が途中途中聞かれた。

会議が終わり、何とか自分の役目を終えた。

日本側の社長さんは割と若く、40代前半だったと思うが、私にも感謝の言葉をくださった。

英-日はつたない訳だったのに、きちんと気遣いをしてくださったのには敬服した。

なんとか大役を無事勤め上げた安堵感と、満足感があった。

『最悪の体調にも関わらずよくやったぞ!』